episode 3

雨の魔女アモと傘職人アレックス 前編



 ある所に雨にとりつかれた魔女がいた。

 巨大ナメクジが引く馬車に乗り、古ぼけた蝙蝠傘をいつも携え、レインコートを着た陰気な女だ。フードをとれば縦ロールの銀髪がとても美しく顔立ちも整ってはいたのだけど、彼女の行く所に必ず雨が降ってしかも止むことがない為、周りから嫌われていた。


 彼女にかかった雨の呪いは徹底しており、たとえ屋内に入ったとしても雨漏りが追い打ちをかけて犠牲者を逃さない。ゆえに彼女はいつも古ぼけて骨が一本折れた蝙蝠傘をさしているのだ。食事の時も、風呂に入る時も。

 彼女が一つの土地に留まれば、そこは万年大雨警報。川は氾濫し、山は土砂崩れ、道路は冠水して池となった。付近の人間はたまったものではない。


 もう勘弁してくれ。どこか他の所へ行ってくれ。

 それが彼女に言い渡される最終通達。

 だから独りでいる彼女の口はいつも「へ」の字に歪んだまま。

 いったい誰が彼女を愛せるだろう。


 風雨の強さは彼女の気持ち次第。彼女が近くに居る際は、精々ご機嫌をとって小雨で許してもらうことだ。

 さまよえる雨の魔女、彼女の名はアモ・レオナグ。雨女のアモだ。

 そんな心から湿り切った彼女に救われる日は来るのだろうか?


 もしも、彼女が本気で笑うその日がくれば ――雨雲は晴れ虹がかかるという。


 ほんの他愛もない、ヨーロッパの山村に伝わる昔話だ。








 ――― 配達員の天敵、それは雨 ―――




 悪天候は配達員が最も嫌悪するものだ。

 新聞配達員やピザの配達員は勿論、運転席に護られたトラックドライバーだって例外ではない。雨の日は視界や路面状態が悪く、職務中に気を付ける事が多いからだ。勿論、フェニックス運送の配達員メチャ子も雨の降る日にはえらく憂鬱になるのだ。


 その理由を少し語ろう。

 まず、メチャ子の俊足だと水滴の当たる顔が痛く、小雨でもつらい。そして、魔法の七里靴であってもハイドロプレーニング現象は避けられぬ。靴裏と路面の隙間に水が入り込み、横滑りの原因となる。濡れたマンホールの蓋なんて最悪だ。その存在は道路に仕掛けられたトラップそのもの。

 人並外れた速さで走れるからこそ世界有数の運び屋として名を馳せているが、もしもすっころべばその持ち味が自分の身へと返ってくる。大根オロシになるのが嫌なら、せいぜい安全には気を使わねばならない。


 さらに、劣悪なのは服が濡れることだ。たとえレインコートを着ていようと袖口や襟元から水は侵入してしみ込んでいく。最後は下着までグッショリだ。

 「水も滴るイイ女」だなんて陶酔している場合じゃない。体温はどんどん奪われていくし、気力も大いに削がれてしまう。考えられることは家に帰ってお風呂に入りたい、それだけになる。いや、それならまだマシな段階で、軒下でも建物の中でも…何でも構わないので雨を凌げる場所が恋しくなったらもう末期だ。

 雨から逃れたい、雨天時に配達員が陥る最後の思考だ。対策はただ一つ。耐え凌ぐこと、根性で。


 だけど依頼とあれば、大嫌いな雨の中へだって突撃していく。

 たとえ空から鎗の降る日がこようとも配達員の業務に休みはない。

 断じてないのだ。




 本日の配達先は、イタリアの首都ローマ。

 都会でありながら古代を忍ばせる街並みや世界遺産が現存する観光都市。

 二千年前に作られたコロッセオが今なお残るのは、ローマ時代のコンクリートが現在のそれよりも強度で勝るからだという。そこに住む人々も紀元前より続く先祖の文化を尊び、地下鉄工事の最中に遺跡が見つかれば路線を迂回させる程だとか。


 その栄えあるローマが、今大変な事態に陥っていた。

 ベネツィアでもあるまいに ――首都が水没しかかっていた。


 原因は降りやまぬ長雨。さしもの古代コンクリートであろうとも味わったことのない降水量。肝の太いローマっ子といえども震え上がった。

 パラティーノ教会の北、ヒノモトの人間なら二度見間違いなしの「サクラ通り」も酷い有様だった。(ラテン語であり桜とは無関係)普段は観光客に溢れる遺跡の散歩道も、冠水して人通りは疎ら。ポンプ車がフル稼働しても追いつかなかった。天の底が抜けたように雨が降り続けていた。


 さて舞台となるは、サクラ通り入り口付近に居を構えるレストラン『プリマヴェーラ』一階にはピアノバー、地下にはワイン蔵、二階にはVIPルームがある高級外食店で、政治家や有名人も御用達。

 そんな名店を、いま一人の女が貸し切りでお楽しみ中だった。


 ゴシック風の黒いドレスをまとった銀髪で小柄な女。眼下のパスタをフォークにグルグル巻いて音を立てながら大胆にすする無法者だ。肌は蝋のように白く、眼はくぼんでギラついていた。


 壁際に待機するタキシードの店員が眉を顰めているのは、女が立てる咀嚼音ばかりが原因ではなかった。店内は薄暗く普段は雰囲気づくりの為だけに置いてある色とりどりの蝋燭だけが照明として機能していた。彼女が店内に足を踏み入れた途端、申し合わせたように電灯が落ちたのだ。昼間とはいえ、悪天候で明かりは欠かせぬというのに。そして、まだ建築年数が浅いはずの屋根から雨漏りがポタポタと垂れだした。

 ここは一階である。係りの者に聞けば二階は更にひどい様子だとか。対策として急きょ置かれたバケツやタライに水滴が落ちてはリズミカルな音楽を奏でていた。


 華やかなピアノバーが、たちどころに幽霊屋敷へと早変わりだ。パーティードレスのピアニストも雨粒の滴りで濡れる我が身を茫然と眺めるだけ。

 雷鳴が轟き、閃光が店内で唯一動きを止めぬ女の影法師を照らし出した。その手が不意に止まり、皿に覆いかぶさっていた女の顔が上がった。満月のように丸い目は、入口へと向けられていた。

 口からはみ出したスパゲッティを噛み千切って落とすと、魔女は言った。


「アンタ…何? 空気が読めないの?」


 開かれた入り口には、赤いレインウェアを着た少女が立っていた。

 自らに向けられた威圧的な台詞もどこ吹く風、彼女は堂々とレストランの中へ歩を進めた。七里靴の踵がコツコツ鳴り、歩きながら脱いだフードから水滴が飛ぶ。

 防水頭巾の下から出てきたのはポークパイハットと龍の角。冷えて変色した唇で笑顔を装い、彼女は魔女に会釈した。その小脇には一メートル弱の小包を抱えていた。


ボン・ポメリッジョこんにちは。雨の魔女アモ・レオナグさん? お届け物ですよ」


「身に覚えのない荷物…受け取り拒否でいいわ」


「いいえ、覚えはあるはずです。アレックス・サモハの名を忘れていなければ」


「それはそれは、懐かしい名前だこと。まぁ、座んなさい」


 レストランのフロア係りはプロ意識が高い店員だった。この状況下にありながら椅子を引き、配達員が座るように促してくれたのだから。

 彼女だって負けてはいない。礼を言って腰を下ろし、ごく自然にリゾットとカプチーノをオーダーするクソ度胸。毛先程も動じぬ態度に惚れ惚れしたのか、雨の魔女アモはここで初めて笑顔を見せた。


「私を恐れないとはね。配達員をさせておくには惜しいこと。何者?」


「天職だと思っているんだけどな、本人は。王女アンヘップバーンなら画になりますが、生憎そうじゃありません。メルファ…メチャ子でいいよ」


「人をくった名ね。私はアモよ、お澄ましさん。ご存じだったかしら」


 魔女アモがフォークの先でメチャ子を差すと、コントじみた分量の雨水が「太い流れ」となって配達員に降り注いだ。


 ザバー…ン。


 しかし、メチャ子はリアクション芸人ではない。

 冷静に内ポケットからハンカチを取り出すと…一度ぞうきんの如くに絞って水気をとってから…顔を拭き、髪型と帽子を整えてみせた。内心の憤怒を欠片も出さず、メチャ子は微笑んだ。


「ここに来るまでも雨、雨、雨。雨はもう充分堪能させて頂きました」


「ふふ、低体温症に気を付けなさい」


「荷物を受け取って頂けないのですか? お客様?」


「そうねぇ、貴方なら受け取るのかしら? 自分を殺そうとした男からの贈り物なんて」


「え?」


「剣呑剣呑、私は有名人だからね。命を狙う闇狩人ダークハンターも沢山。元カレを利用して何かをしかけてくるかも…?」


「そんなぁ、この荷物は我が社がクリーンチェック済みです。科学的にも魔術的にも、まったく問題ありません」


「どうだか。私は自分しか信用しないの。そうやって五百年生きてきたのよ」


 ぴしゃり言い放つと、アモは席を立って入り口へと歩きだした。背を向けたまま、片手を振り振りさらに一言。


「リゾットもきたようだし、それじゃあ、ごゆっくり配達員さん」


「え、あの、ちょ、待って」


 唐突な変わり身に狼狽えるも、メチャ子自身が注文したのだから仕方ない。あれよあれよという間に魔女は表へ止めた巨大ナメクジの馬車へ乗り込み走り去ってしまった。配達員はレストランの窓越しにそれを見送るしかなかった。

 途端に店内は電気照明が灯り、廃屋より酷かった雨漏りも止んだ。憂鬱な幽霊屋敷から解放されて店に活気が戻ってきた。ずぶ濡れのメチャ子も、動き出した空調の温風には感謝せずにいられなかった。置物と化したピアニストも生き返ったかのように指を走らせ始めた。


 残されたメチャ子が急ぎリゾットを掻っ込んでいると、申し訳なさそうに給仕係が伝票を運んできた。


「ご一緒でよろしかったですか?」


「いーわけないでしょ。ああ、もう! それじゃ領収書をお願いします。『フェニックス運送』で」


 しかし、彼女は未払いを決め込んだわけではなかった。良く見ると、彼女が食べ終えた皿の上にユーロ硬貨が一つ置いてあった。五十ユーロ、一般に流通している品ではないが偽物ではなさそうだった。ヒノモトで言えば一万円硬貨のような?

 きっと紙幣は水に弱いから持ち歩いていないのだろう。それならカードを持てばよいのに。


 どうやら荷物と一緒にこのお釣りも届けてやる必要がありそうだった。


「逃がすもんか。アタシの足は速いんだ! ごちそうさん」


 遅めの昼食を終えると、メチャ子は入り口のベルを激しく鳴らしながら出て行った。残されたのは頭を抱える支配人と水浸しになったフロアだけだった。



 サクラ通りは遺跡の間を練り歩く古代の散策路。

 表に出たメチャ子は、七里靴の力を借りて跳躍。コリント式の石柱に跳び乗った。柱の頂点で腰を屈めた様はガーゴイル像のようだ。高所から見回しても馬車の影はなし。何よりも弱まった雨脚は魔女が近くには居ない事を如実に物語っていた。


 大ナメクジが引いているとは思えぬ速度だ。


 ベルトのホルダーから携帯を取り、メチャ子はオフィスと連絡をとった。オペレーターのリックは正確な情報収集でいつも配達員の力になってくれる男。


『なんとまあ、受け取り拒否で逃亡ですか? 気難しい方なんですね。この一件、そのように処理することも書類上は可能ですが?』


「でもさ…怒り心頭って感じじゃなかったんだよね。相手を懐かしんでいた。脈ありだと思う」


『貴方ならそう言うと思っていました。任務続行ですね?』


「あたりき!」


『最新の気象情報ではローマ市の中央部に雨雲が集まっています。SNSではスペイン広場で目撃情報あり。ゴスロリの女性を撮影しようとしたら、携帯にカビが生えて壊れたとか』


「そいつ、どうやってそのメッセージを投稿したんだろうね? 複数所持? OK、行ってみるよ」


『依頼人のアレックス氏に連絡しますか? 詳しい話がきけるかも…』


「火に油なんじゃないかな、アタシが事情を把握していたら。少し遅れるとだけ伝えといて、プリーズ」


 次にメチャ子がアモを捕まえたのはスペイン広場、高台の教会へ続く大階段中腹での事だった。因みにスペイン広場の名称は近くに同国の大使館が由来である。

 末広がりで扇状の階段には、十数段おきにスペースが設けられていた。「見晴らしも良いし、腰を下ろしてご歓談下さい」…そう言わんばかりだ。ただし、それは晴天時の話。今となってはちょっとした段々滝かカスケード噴水のような状態で、くるぶしまで水につかり少しでも気を抜くと流れに足をとられそうだった。


 そんな段々滝に馬車から離れ立ち尽くすアモ。

 モンティ教会を階段から見上げている彼女の後ろ姿は絵画のようで、声をかけるのが躊躇われるまでに美しかった。先ほどレストランでパスタをすすっていた狂気が微塵も感じられなかった。


「まーた、貴方なの、お澄ましさん。」


 メチャ子が近づくと、アモは肩越しに振り返って微笑みかけてきた。雨を降らしている張本人なれど、水滴の殴打が彼女を避けて降るわけではない。涙が頬を伝っても わからぬくらいにその体は濡れていた。

 配達員は、そこで初めてアモが手ぶらな事に気が付いた。


「伝承と違うね。アモはいつも蝙蝠傘を持っているんじゃ…」

 

 メチャ子の問いにアモは苦笑して応じた。


「依頼人に訊いてごらんなさい。愛用の傘がどうなったか、よく知っているでしょうよ」


「アレックスさんは、貴方が傘を失くしたこと…ご存じなんですか? それなら、きっとこの贈り物を代わりにしてくれって意味ですよ。バラしてしまうと、この中身は傘です」


 メチャ子は手にした細長い箱を見せた。アモは記憶を反芻するかのように何度も頷いた。


「そうでしょうね、そうでしょうね。彼は傘職人だから。雨を降らせる私と、世界一の傘職人を目指す彼。運命公認のベストカップルなんだってさ」


「そんなに仲が良かったのに。いったい何があったんですか?」


 やがて二人は階段の手すりに腰を預け、語らいを始めていた。

 


 


 ――― それは二年前のこと ―――



 アモは西欧を中心に各地を放浪していた。身にかかった呪いのせいで、誰もが一所に留まることを許してはくれなかった。


 されど人里から距離を置いた森の中ならば。「葉露の森」そう呼ばれた針葉樹林は、アモがくつろげる数少ない憩いの場の一つだった。木々は彼女の姿を隠し、降り注ぐ雨に文句を言うこともなかった。金には困っていなかったので、財布にものを言わせて大工を呼び、山小屋を建てさせた。そこがアモの秘密の別荘。


 しかし、人の口に戸は立てられぬものだ。

 大工たちに口止め料は弾んでやったのに、やがてアモの住処は人々の知れる所となった。


 厄介な招かざる客が訪れては…小屋の裏にある粗末な墓標が増えていく。

 また新しい別荘を探さねば駄目かもしれぬ。そう諦めかけていた時、出会いがやってきた。


 あれはもう夕刻を過ぎた頃だったろうか。

 アモが薪を小屋に運び込もうとしていると、近くの藪を割って大柄な男が広場に這い出てきた。

 最初は熊か何かだと勘違いしたくらいだ。しかし、熊にしては毛皮が金髪でこじゃれた香水の匂いを漂わせていた。男は頭髪から濡れた落ち葉を払いながら、碧眼で魔女を見据えた。


「いやぁ迷った迷った。探しましたよ。あなたが伝説の魔女アモさんですね。勝負です!」


「勝負、アンタが?」


 闇狩人の類にしてはあまりにも礼儀正しく非常識だった。奴等ならば不意をうって襲い掛かるのが掟だろうに。

 長い金髪を後ろで束ねたやたらと爽やかな青年。中世の貴族服を彷彿とさせる刺繍入りの上着とスカーフ、そして乗馬ズボンとロングブーツ。とても人里離れた森へ入る格好ではない。そして手には何やら武骨な黒い傘を持っていた。


 男はその頑丈そうな傘を開くと、背筋を正して言った。


「勝負といっても傘の勝負です。我が名はアレックス、世界一の傘職人を志すもの」


「アタマおかしいの? そんな恰好で」


「レディと立ち会うのに正装はマナーです。まあ、雨と森に揉まれて痛んではいますが、心意気だけは汲んでやって下さい」


「やはりシェーモアホウね」


 呆れて額に手をやっても、男は朗々と語るのを止めなかった。

 曰く、優れた傘はいかなる悪環境においても壊れないこと。その道を探究する内に魔女アモの持つ蝙蝠傘の存在を知ったこと。何百年と風雨に晒されながら壊れぬその傘、それに勝たぬ内は世界一を名乗れぬこと。つまりは勝負だ。


 そう、この時のアモは蝙蝠傘を持っていた。服も地味な黒い雨合羽。やたらポケットが多く様々な術具が忍ばせてあるのは魔女らしかったけれど。

 彼女の蝙蝠傘もまた術がかかった特別製で、握りの部分が蝙蝠の足と同じ作りになっていた。その鉤爪はアモの肩をしっかり掴んで離さない。アモは両手を使わずして肩で傘をさす事が出来るのだ。


「人の作った物が、私の傘に勝つ? 有り得ないことよ」


「有り得ないと言われて諦めなかったからこそ、人類の発展があるのだ。師匠の教えです」


 この無謀な決闘、アモは当初乗り気ではなかった。白黒つけるまでもなく勝敗は判り切っていたし、男に悪意がないことはその屈託のない笑顔を一目見れば判るのだから。

 されど、あまりにアレックスがしつこく食い下がるものだからアモも大人げなくムキになってしまった。


「いーわ、フィリオ・デ・ミニョッタ育ちの悪いお馬鹿さん。後悔しなさい」


 ほんの少し心に怒りの炎を灯すだけで風が吹き荒れ、常緑広葉樹がミシミシと悲鳴を発した。アレックスは自前の傘で吹き飛ばされないよう踏みとどまっていたけれど、それにも限度があった。

 骨組がへし折れ、中心がズレ、アレックスの傘はおちょこになってしまった。

 一方、アモの傘は肩の上で微動だにしない。


 アモが勝利を確信して鼻で笑うと、嘘のように暴風雨が収まり小雨へと変わった。職人の意地を無残に打ち砕かれ、アレックスは傘の残骸を前に膝をついてしまった。


「ぐっ、これでは駄目か。二年を費やしたのに」


「頑固ではあったけれど、世界一とはいかなかったわね。五体満足なうちに帰りなさい」


「いやその、もう日も落ちた事ですし、夜の森は危ない…こちらで泊めてもらうわけには」


「お断り! 野宿でもしたら、アディオさよなら!」


 アモに締め出されたアレックスは別荘の前で一晩を過ごす事になった。

 夜中にそっと扉の隙間から覗いてみれば、アレックスは傘の残骸から布を剥がして頭上の梢にかけることで簡易テントを作り、雨を凌いでいた。流石は傘職人、器用な真似をするものだ。


 しかし、火を起こす備えがないらしく、濡れた膝を抱え震えていた。この辺りには狼も出るというのに、あれでは良い餌だ。


 少々気の毒になったので、アモは健闘賞として乾いた薪と火種を譲ってあげた。共にこの森では恐ろしく貴重なものだ。


 梢に張った簡易屋根の下でキャンプファイアー。一度火に勢いがついてしまえば少し位は雨漏りしても大丈夫だ。安堵の表情を浮かべ、アモに何度も謝辞を述べるアレックス。


 アモの空模様に変化が生じたとすれば、この時だったのかもしれない。

 そのまま小屋に引っ込まず、つい余計なことを訊いてしまった。


「ねえ、アンタ。まさか本気じゃないんでしょう? 世界一だなんて。ちょっと跳ね返りの若人が好奇心に駆られてきてしまっただけなんでしょ? もう懲りたはずね?」


「いいえ、いいえ。とんでもない。これも師匠の受け売りですが…職人の仕事は一生もので…僕が職人である限り、挑戦は続くのです。新しい傘を作って、また来ますよ。今回は少し硬度にこだわりすぎました。次は柔軟性も含めた素材で…」


「熱いものが脈打っているのねぇ、雨にうたれて冷え切った私のハートでは共感しがたい」


「まさか、貴方だって温かいでしょうに? こうして、助けてくれたのですから」


 言われてみれば、アモが人に親切するなんて何年ぶりの出来事だろうか。

 止まった時が動き出し、呪われた心臓が久方ぶりに脈打ったような…そんな気がした。


「また貴方に会えると思えば、仕事が捗ります。伝説のアモが貴方で良かった」


 別れ際の宣言通りに、それからもアレックスは新作の傘を携えてアモの別荘を訪れた。

 何本へし折ってやろうと諦める事を知らない男だった。アモも次第に「コイツは本当に私と会うのが目的なんじゃないのか?」と疑わしくなってくるぐらいに。


 しかし、職人としての名誉を守る為に書いておくが、彼は口ばかりの男ではなかった。

 回を重ねるごとに傘の強度は増しており、アモの起こす風雨に耐え得る時間が長くなっていった。正確には風圧を逃すしなやかさと硬度を併せ持った傘へと変貌していった。


 その成長速度と熱意はアモの尊敬を勝ち取り、傘を破壊した後の語らいの時間も比例して長く伸びていった。時にはアモの口からこんな意地悪も。


「しかし、お前は世界一の傘と簡単に言うが、その定義は合っているのか?」


「…と言いますと?」


「絶対に壊れない傘が世界一なの? 私はそうは思わないが」


「そこは…師の教えを愚直に継いでいると言わざるを得ません」


「どんなに壊れない傘があろうと…そもそも暴風雨の日に傘をさして表を歩くことを想定しているのがおかしいと思う。どうしても表に出るなら合羽を着た方が良い、そうだろう?」


「おっしゃる通りです。しかし商業的にはそうした売り文句が役立つんです」


「自分達で決めた定義で世界一か、はは。…そんな顔をするな、お前の師を侮辱しようというつもりではない。ただ、私にとって世界一の傘は長年連れ添ったこの相棒だし、師の教えを尊重しつつも自分の道を模索するべきではないかと…ね」


「…実は、少し思うことがあります。憂鬱になりがちな雨の日にも人の気持ちを明るくしてくれるような…そんな傘も悪くないなって。それはデザイナーの仕事で職人の考えることじゃないって怒られたんですけどね」


「悪くないじゃないか。可愛い奴だな、お前は!」


 許されよ、この日はちょっとお酒が入っていた。そう、アレックスをもてなす為に、そうした品を用意するまでの関係になっていたのだ。


 それから、この日がちょっと肌寒かったのも良くなかった。いつもいつも野営ばかりじゃ大変だろうし、別荘の扉を彼の為に開いてやるくらいにアモの気分は高揚していた。


 扉を開き、くるものを受け入れて、全ては変わった。

 長すぎた灰色の時代は終わりを告げ、ただ世界を放浪するだけだった魔女の生き方に目的ができた。幸福を楽しみ、それを捕まえておくという目的が。


 その関係は、ただ別荘で彼を待つだけでは物足りなくなり、こちらからアレックスの家を訪ねるまでになっていた。名目上は傘の出来具合を確かめに行くという理由だ。


 彼は職場の工房に近いアパートで一人暮らしだった。場所はイタリア北部の田舎町。ただ、貴族服で現れたりキザな性格だったりするのは育ちのせいで、実家が相当に裕福な家柄だという話は耳にしていた。職人になることを反対され、両親との折り合いが悪いことも。

 その時のアモには、何も関係のない話に思えた。


 毎度まいど雨のデートだったけれど、二人は幸せだった。

 周りから奇異の目で見られながらも映画館やショッピングモールをまわる。彼と釣り合うようお洒落も気を遣った。アモはただ、一緒に歩いているだけで幸せだった。


 この幸福は、思いのほか長くアモの元へ留まった。

 ある日、彼が絶対に壊れない傘を完成させるまでは。

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