八雲の相談

 学校が終わった後、僕は八福荘の自宅で一人宿題をやっていた。

 だけど、これが中々はかどらない。宿題の量はそう多くないのに、まだ半分も進んでいないのだ。原因はハッキリしている。昨日から今日にかけての水城さんと笹原の問題が頭から離れないからだ。

 数学の問題よりも二人の問題の方がよほど難しい。


 僕は一度悩みだすと他のことが疎かになってしまうけど、もしかしたら水城さんもそうなのかも。今日も何度か声をかけたのだけど、返ってきたのは生返事ばかり。結局一度もまともに話すことも、目を合わせることもできないまま、今日は終わってしまったのだ。


 そんなわけで、学校から帰ってからも僕はずっとモヤモヤしている。昨日は少し言いすぎたから謝ろうと思っていたのに、明日以降に持ち越しである。


(水城さん、そんなに笹原のことが気になるのかなあ?)


 そう考えると心穏やかではいられないけれど、それでもいつもの調子に戻ってもらうには笹原と仲直りしてもらうのが一番だろう。

 もちろん他の男と仲良くさせるというのは気が進まないけど、背に腹は代えられない。何より、これ以上悩んでいる水城さんを目にするのはもっと嫌だ。

 問題はどうやって仲直りさせるかだけどね。


 昼間笹原と話はしたけど、彼は最後まで煮え切らない態度だった。元々仲は良かったみたいだから、何かきっかけさえあればすぐに元の関係に戻れるとは思うのだけど。

 課題と向き合っている最中だというのにこんな事ばかり考えて頭を捻っていると、不意に部屋のインターホンが鳴る音が聞こえてきた。


(誰だろう?新聞の勧誘かな?)


 だとしたら面倒だ。しつこい人なら断るのに数十分は掛かってしまう。水城さんはどんな相手だろうと一分以内に追い返せるらしいけど。

 この部屋のインターホンには通話機能は無い。玄関まで行った僕はドアの鍵を開けないまま、その先にいる相手に語り掛ける。


「どちら様でしょうか?」

「基山さん、八雲です。少し相談があってきたのですが、大丈夫でしょうか?」

「八雲?」


 慌ててドアを開けると、待ち構えていた八雲はペコリと頭を下げる。


「お忙しい所すみません」

「いいよ、暇だったし。遠慮せずに上がって」


 本当は宿題の途中だったけど、どうせはかどっていなかったしね。

 八雲を茶の間に通した僕は、そのままお茶の用意をする。それにしても、八雲が相談なんて珍しい。もしかして水城さんの事かな?学校であれだけ様子がおかしかったのだから、もしかしたら家でもそうなのかも。何にせよ、こうやって頼って貰えるというのは嬉しい。

 向かい合ってテーブルに座り、淹れたカフェオレを差し出す。


「ありがとうございます。それで、相談というのは姉さんの事なんですけど…」

「ああ、やっぱりそうなんだ。水城さん、家でも元気が無いの?」


 だとしたらお姉さん想いの八雲はさぞかし心配している事だろう。そう思ったけど、当の本人は僕の言葉を聞いてキョトンとしている。


「元気が無い?ああ、もしかして昔の友達と久しぶりに会ったのに、色々と勘違いしてしまっていて落ち込んでることを言っているんですか?」

「え、違うの?てっきりその事だと思ったんだけど。水城さん、だいぶ気にしているみたいだから、八雲も心配でしょう」

「まあ確かに気にはしてましたけど、アレは少しくらい悩ませといた方が良いと言うか、もっと反省すべきと言うか。同情の余地がありませんからねえ」

「意外と辛辣だね」


 まあ気持は分からないでもないけど。八雲としてはお姉さんの犯した失態が恥ずかしくてたまらないのかも。


「でもその事じゃないとすると、相談というのは?」

「そうです。実は今度の日曜が、姉さんの誕生日なんです」

「え、そうなの?」


 そう言えば水城さんの皐月という名前は。五月を指す言葉だったっけ。産まれた月から名前を付けたのなら、今月誕生日があると予想がついただろうに、完全に失念していた。


「それで、出来ればお祝いをしたいと思っているのですが、どうすれば良いか考えがまとまらなくて。迷惑でなければ力を貸してもらえないですか?」

「迷惑なんてとんでもない。水城さんには普段お世話になってるし、僕だって祝いたいよ」


 良かった、ここで頼ってもらえなかったら誕生日を完全にスルーするところだった。とは言え何をしたら水城さんは喜ぶだろうか?僕も誰かの誕生日を祝うなんて経験はあまり無いし。


「参考までに聞きたいんだけど、去年は何をしたの?差し支えなければ教えてもらえる?」

「そうですね、去年は家でケーキを焼いてプレゼントを渡して、まあ普通の誕生日ですね。今年もそれで良いとは思うんですけど、プレゼントを何にするかで悩んでいるんですよ」

「なるほどね。去年のプレゼントって何だったの?」

「ええと…現金です」

「現金っ?」


 僕が驚いていると、八雲は恥ずかしそうに言葉を続ける。


「実は僕の家では、誕生日やクリスマスのプレゼントは全部現金だったんです。その方が買いたい物を選べるからいいだろうっていう母さんの方針で。ただ、今年はそう言うわけにはいかないので」

「そうだね。お金なんかプレゼントしても、絶対に受け取ってくれそうにないよね」

「そうして考えてみたのですが、何しろ僕も現金以外のプレゼントなんて貰った事が無いので、何を渡したらいいか見当もつかなくて」


 ああ、なるほど。水城さんや八雲のお母さんもきっとそこまでは考えていなかったのだろう。


「それと、根本的な問題なんですけど、僕が姉さんに何か買って渡すって言うのは、おかしくはないでしょうか?」

「え、どうして?」

「元々僕のお小遣いは姉さんからもらったものなので。それで物を買っても、姉さんが買ったのと変わりないんじゃないでしょうか?」


 そうだろうか?出所はどうあれ、八雲が選んで買ったプレゼントならきっと水城さんも喜んでくれるだろう。こういうのは気持ちの問題だ。

 だけど一方で八雲の言いたい事も分かる。これが自分で働いて稼いだお金なら良かっただろうけど、八雲はまだバイトもできる歳じゃないし。


「それじゃあこういうのはどう?僕も代金の半分を出しして、二人でプレゼントするって言うのは。それだったら少しは話が変わって来るんじゃないの?」

「そんな、悪いですよ」

「良いよ、お祝いしたいのは僕も同じだし。八雲は色んな事を深く考えすぎ。そういうのを気にするのは、もうちょっと大人になってからでいいよ」


 優しく諭すように言って頭を撫でる。これで納得してくれたかどうかは分からなかったけど、とりあえず頷いてくれた。


「それで肝心のプレゼントだけど、例えば八雲ならどんなものを貰ったら嬉しい?とりあえず予算は度外視していいから、思いつく限り言ってみて?」

「僕が嬉しい物ですか?」

「そう。自分だったら誕生日に何が欲しいか。もしかしたら中には、水城さんにプレゼントしても喜びそうなものがあるかもしれないよ」

「そうですねえ。それなら例えば、新しいアイロンでしょうか。最近温まり難くなっているんです」

「なるほど、アイロンね。それなら水城さんも使うだろうし、良いんじゃないの」

「あとは焦げ付かないフライパンに掃除機。洗剤や味噌塩砂糖、ティッシュやトイレットペーパーのような消耗品はいくらあってもいいですし。後は…」


 欲しいものを次々と羅列していく。ちょっと意外だったのは、八雲はあまり物を欲しがりそうにない子だと思っていたのに、予想外に数を上げてきた事。ただ少し気になるのは…


「ねえ八雲。確認したいんだけど今言ってるそれらって、八雲がもらって嬉しいものだったよね。まずはそこから考えてみようって話だったよね」

「はい。もしかしてこれらじゃダメでした?」

「いや、ダメって訳じゃないんだけどね」


 問題なのは水城さんへのプレゼントにふさわしいかどうかではなく、それらがとても小学生が欲しがっている物だと思えないことだ。最近の小学生事情は知らないけど、誕生日にトイレットペーパーを欲しがる子がそうそういるとは思えない。

 よく考えたらアイロンにしたってそうだ。お手伝いをしたいという気持ちはもちろん立派だけどそれを貰って働いてもらうよりも、もっと子供らしく楽しめる物を欲しがってくれた方がホッとするよ。


 八雲は日ごろから姉さんは働きすぎだとか、少しは自分のことも考えた方が良いとか言っているけど、もしかしたらそれは自身にも言えることなんじゃないかなあ?変な所で似た者姉弟である。


(水城さんにアイロンをプレゼントするのならまだ良いけど、もし八雲に同じ物をプレゼントしたら今まで以上に張り切って家事に勤しむことになるかも。そうなるときっと水城さんは良い顔しないだろうなあ)


 もしかしたら、いずれ今回のように八雲の誕生日プレゼントを選ぶ日が来るかもしれない。だけどきっとその時は、今以上に選ぶのが難しくなりそうだ。

 ついには「割引クーポン券を貰ったらすごく嬉しい」と言い出す八雲の話を聞きながら、僕はただ苦笑するのだった。

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