思い出せないアイツ 2

 こんな事を言って怒られるだろうかと心配だったけど、予想に反して笹原は静かに答えてくる。


「仕方ねえよ、もう随分前のことだし、分からなくても当然だ」

「じゃあやっぱり会ったことあるのね。どこで⁉」

「どこでって…」


 笹原は一瞬言いかけたけど、すぐに何かに気付いたように口を閉じる。


「どうしたの?」

「いや、やっぱり言わなくても良いかって思って。考えてみたらわざわざ言うような事でも無いし」

「何よそれ。そんな言い方されたらますます気になるじゃない」


 このままずっとモヤモヤさせるつもり?しかし笹原はジトッとした目で私を見ながら、疲れたように言う。


「そもそもこれだけ話をしても、一向に思い出す気配すら無いのがなんかムカつく。なあ、本当に見当もついていないのか?」

「それは…」


 どうしよう。確かに欠片ほども思い当たる相手がいない。どこか寂しげな表情の笹原を見ていると、さすがに罪悪感が芽生えてくる。

 何か喋らなくちゃいけないのに、下手に言い訳をしたってかえって気を悪くするだけだろうし…


「まったく思い出せないんだな。ならいいや、思い出すまで存分に悩んどいてくれ」

「ちょっ、ちょっと待って!」


 背中を向ける笹原の手を慌てて掴む。


「何だよ?」


 振り返ってはくれたものの、その顔は見るからに不機嫌そうで。

 やっぱりこうまで思い出されないのは気に障るのだろ。意地悪を言いたくなる気持ちだって分からなくない。だけど、それだったら…


「じゃあ、これからもっと話かけて良い?図書委員なんだから、本のことでも良いし。そうしているうちに思い出せるかも。このままって言うのはどうにも気持ち良くないし、それに」

「それに?」

「私がもっと話したいの」

「は?」


 笹原がキョトンとした顔になる。

 これはこの場を繕うための出任せなんかじゃなく、まぎれもない本心だ。

 私は誰とでも仲良くできる訳じゃ無いはずだけど、笹原相手だと不思議と話しやすく、それに何だか楽しい。

 何故と聞かれても上手く説明できないけど、話の波長が合うような気がするのだ。昔会ったことがあるらしいから、もしかしたらそのせいなのかも。


「勿論笹原が嫌だって言うなら諦めるけどさ。あ、もしかして、女の子嫌いだったりする?それなら無理にとは言わないけど」

「別に嫌いじゃねーよ。つーかどうしてそんな考えが出てくるんだ?」

「だって昨日図書室で、女の子に囲まれて迷惑そうにしてたじゃない」

「あれはアイツらの絡み方がウザかったからだ。図書室で騒ぐなんて良くないだろ」

「あと、知り合いに女子アレルギーの奴がいるから」

「誰だよそいつ?」


 基山太陽というお隣さんです。もちろん口止めされているから言いはしないけど。昨日うっかり口を滑らせてしまったばかりだから、今度は気をつけなきゃ。

 けどそんなことよりも問題は、これからも話かけて良いかどうかだ。


「私はもっと話したいし、笹原の事を知りたいって思ってる。特に理由があるわけでも無いし、何となくそうしたいってだけなんだけど……ダメかな?」


 こんなものは私の一方的な要望に過ぎない。会ったことを思い出してくれないような奴にこんな事を言われても、やはり迷惑だろうか。

 恐る恐る様子を窺っていると。


「…何それ?」


 静かに吐き出される声。

 怒った?無表情のままの笹原を見て、一瞬そう思った。しかし…


「…すごくいい」

「えっ?」


 途端に表情をほころばせる。さっきまでの仏頂面とはえらい違いだ。けど、こういう笑った顔の方が可愛くて好きかな。勿論こんな事、恥ずかしいから本人には言えないけどね。

 笹原は不機嫌だったのが嘘のように笑みを浮かべ、何を思ったのかわしゃわしゃを頭を撫でてきた。


「ちょっと、髪が乱れるし、眼鏡が落ちる」

「いいだろ、これくらい。思い出してくれないんだからお仕置きだ」

「…それを言われると辛いわね」


 けど、このスキンシップも不思議とそんなに嫌ではない。結局しばらくそうしてされるがままになり、飽きたところでようやく解放される。


「ハハッ、すげー頭になってるぞ」

「誰のせいよ。もう、学校ついたら整え直さなくちゃいけないじゃない」

「だったら急いだ方が良いな。モタモタしてると予鈴が鳴っちまうぞ」

「えっ、もうそんな時間?」


 慌ててケータイの時計を見ると、後五分で校門が閉まる。お喋りに夢中になっているうちに、だいぶ時間が経っていたようだ。


「急ぐわよ」


 速足で歩き出すと、同じように笹原もついてくる。


「おう。けどあんまり急ぎすぎて転ぶんじゃねーぞ」

「誰がそんなドジ…」


 振り返って文句を言おうとしたところで、言葉が途切れた。よそ見したせいか足元が疎かになってしまい、ちょうどそこにあった段差に足をとられたのだ。


 バランスを崩した体はゆっくりと傾いていく。まずい、このまま転んだら眼鏡が割れるかも。そうなると余計な出費がかさんでしまう。

 安い眼鏡屋は近くにあったっけと頭の中で電卓を弾きながら、地面が迫ってくるのを見て目を閉じた。けど――


「あっぶねーな」


 焦ったような声が耳に入ってきた。代わりに、覚悟していた衝撃はやってこない。そっと目を開けてみると、笹原が私の腕を掴んで支えてくれていた。


「あ、ありがとう」

「礼は良いから、さっさと立ってくれ」

「うん、ゴメン」


 身を起こし、両足をしっかりと地面に着く。ホッと息をついて再び笹原に目を向けると、彼は可笑しそうににやにや笑っていた。


「で、そんなドジがどうしたって?」

「五月蠅いわねっ!」


 言ったそばから転んでしまうだなんて、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。触れてほしくないのに意地悪にも笹原はしっかり突っ込んでくるし。もしかしてコイツ、結構意地悪?

 まあ助けてくれたことには感謝してるけど。


「ホント、変わってねえな」

「えっ、何が?」

「いや、何でもねえ。さて、ぐずぐずしてると本当に遅刻しちまうぞ」


 ホントだ、もうあまり時間が無い。今度は転ばないよう気を付けながら、私達は再び歩いて行く。


 笹原が最後に言ったことはちょっと気になったけど、おいおい思い出していけば良い。というか、ここまで来たら絶対思い出してやる。

 並んで校門を潜りながら、そう決心したのだった。




 だけどこの時、私はすっかり忘れていた。

『笹原に近づくな』。そう言ってきていた女子の一団がいた事を。

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