第18話 みごとな女2

 改めて本番を見ているうちに、この作品の力強さを感じた。俺は何一つ、演出などしていなかった。ただこの作品の強さをコントロールしようとしていただけだ。そんなことをしないでも、物語は立ち上がる。演出なんて言葉を使うのも恥ずかしい。負けた気持ちなのに、なんだか、俺のなかで爽快な気持ちが起こる。

 あさ子がやってくる。電話がかかってきたらしい。真紀が席を外す。その場に残された収はあの緊張にまだ縛られている。あさ子はそんなことおかまいなしに、店にやってきたおかしな客の話をするが、収はうまく受け答えることができない。

 収は拵えた人形たちをどうするのかと訊ねる。明日お嫁入りという日でも、そうしているのではないか、などと呟く。あさ子は収の気持ちなど分かる気など毛頭なく、売りにいくの、などといっている。あさ子は花嫁修業をしているというのに、結婚なんて発想などない。苛立ちを隠しながら、収はどんな職業の男と結婚したいのか、などとあさ子に突っかかり始める。無論あさ子にすれば寝耳に水だ。逆に、あんただったら自分と同じ方面の仕事をしている人と、反対のことをしている人と、結婚するならばどっちがいいと思うか、などと収に訊ねる始末だ。そんなことを訊いたって仕方がない、と収がいうのを、あさ子は無邪気に、どうして? と訊き返す。

「『だってそうじゃないか。結局あなたはあなたで、僕は僕さ。そこんとこはどうにもなりゃしない。あなたは此の頃そんなことを考えてるのか?』」

「『子供じゃないもの、もう。』」

 美しい時間は、間もなく終わる。現実という怪物が、間もなくやってくる。収は逃げるように去ろうとするが、あさ子に止められる。大声で、母さん母さん! と真紀を呼ぶ。なんだそりゃ、と驚く収に、

「『母さんは、あたしのしようと思うことは何でも、黙ってしてくれるから。』」

 とあさ子は言い放つ。

 片岡さつきさんが、やってきた。

「『よし子様のお兄様がいらっしゃいましたけど……。』」

 片岡さんの華麗なるデビューだ。さっきまでの不安げな面持ちはない。思いっきり棒読みだが、彼女はこの家の女中だ。

「『あたしじゃないんでしょう、母さんいるんでしょう。』」

 突然のよし子の兄の来訪にびっくりするあさ子。

「『ええ、でも奥様が、そう……。』」

 自分には存じ得ないことである、とでも言いたげに、なんの感情も挟まず礼をして女中は去っていった。

 舞台からはけた途端に緊張が解けて、片岡さんが倒れたりしていやしないか、と俺は不安になった。

 真紀が男と一緒にやってくる。男はずいぶん老けている。三十三歳にはまったく見えない。髪の毛がやけに艶かしい黒さなのは、白髪染めをしたばかりだからだ。三浦さんだ。帰ろうとする収を、晩御飯を済ましてからしなさい、と真紀は引き止めた。真紀は三浦さんを、上野弘さん、と紹介した。

「『いいじゃありませんか。ごゆっくりなさい。私が入ってもいいでしょう。』」

 三浦さんが茶目っ気たっぷりに収に話しかける。この人も相当な曲者だ。稽古ではしかめっ面で演じており、笑って笑って、といっていたが、本番になったら楽しくて仕方がないらしく笑みがこぼれている。

 親しげに話す、弘とあさ子、そして真紀。うまく話に加わることのできないう収のぎくしゃくした雰囲気。完璧だ。真紀は去り、三角関係の当事者たちだけが残される。無邪気なあさ子、収を気にかけつつあさ子に応じる弘、そして、作り笑いを浮かべる収。一見何事もないように装いながら、それぞれの想いは錯綜する。

「『奥様がちょっと。』」

 女中がやってきて、あさ子を呼ぶ。男二人が残された。

「『いいですね。』」

 あさ子が去っていったほうを向きながら、弘はいった。彼女を言い表すには、言葉が言い足ることがない。それを収は、『誰でも持っている筈のものを持っていない。』という。弘はその言葉に、『誰もみんながもっていないものを持っている。』と返す。

「『あなたも、あのひとが好きになりそうですね。』」

 という収に、弘は『大変好きです。』といった。細君に貰いたいという。あなたはあさ子のことを……と問う弘。

 あさ子が、盆に茶碗を載せて、たどたどしくやってきた。片岡さんの淹れたお茶を机に置く。そして去っていった。場の緊張が解けた。

 かっこいいフィナーレだ。俺は拳を握る。

 収はあさ子の顔が恐ろしくなることがある、という。わけがわからなくなり、独り相撲だという。弘はそんな若い収に、それはあなたの神経だ、とやさしくいなす。

 収が語りだす。長い間彼女を眺めてきた。この頃ではやり切れない気がする。この二人の関係は今更どうすることも出来ない。こんな状態に、決着をつけるためにも、弘が、物事を処理してくれたら……。

 自分勝手で、ただの失恋のセンチメンタリズムでしかないように言葉ではとらえることできる。しかし、それだけではない。和田が全身全霊を懸けて、この台詞をしゃべっている。和田と収が、ひとつの身体で往来している。ベストアクトだ。あとで褒めてやろう。

 あさ子と真紀がやってくる。雲間から、夕陽が射し、入り口から、光の筋が一本床に通る。やった。

 あさ子以外の三人は、それぞれなにかの終わりと新しい季節を感じている。あさ子の弾くへたくそなピアノが染みる。収が体操でも始めようかな、と切なさを隠すようにいうと、ピアノは止まり、あさ子が振り返った。

「『あら体操? 誰が体操をするの? 体操ってラジオ体操のこと? あたしもしようかしらと思ってるの。』」

 と朗らかにいう。四人が笑い、奥の窓のカーテンが閉められ、部屋の照明を俺は消した。完全な闇というわけではない。薄暗さのなか、四人は舞台前に向かうのが見える。明かりがつき、四人が礼をする。拍手が起きる。

 入り口にいた芳賀が俺の顔を見て、何度も頷いていた。

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