第四話〜ミドル8〜

 影裏が及川と話している頃、京香は春見の部屋の前にいた。暗い表情を浮かべる京香は、小さく息を吸うと控えめにノックした。


京香:「春見ちゃん、入っても大丈夫?」

春見:「……開いてます。どうぞ」

京香:「お邪魔します……」


 机に向かって何か書き物をしていた春見は、椅子からくるりと回って体と顔を向ける。その顔には──、


京香:「……あれ。春見ちゃん、目が悪かったんだ?」


 普段、人前で着けない眼鏡を掛けていた。

 春見は小さく吐息を漏らすと、それとない仕草で眼鏡を外そうとする。


京香:「……ねえ、春見ちゃん。私に、気を使ってない?」

春見:「えっ……どうして、そう思うの?」


 予想外の質問に、眼鏡を外す手が思わず止まった。


京香:「高校に通ってた時から、ずっと思ってたんだ。……事故の後、前より感じるようになった」

春見:「……別に、気を使ってなんて無いよ」

京香:「嘘。体が透けた時、私を怖がらせないように気を使ったし、今も──」


 畳み掛けるように言葉を投げかけた後、僅かに暗い顔で続ける。


京香:「……春見ちゃん。ちょっとだけ、意地悪なこと、言ってもいい?」

春見:「……何?」


京香:「春見ちゃん──結理君のこと、好きでしょ」

春見:「──えっ」


 不意を突かれたその頰が明らかに紅くなる。たとえ見ず知らずの他人であったとしても一発で見抜けてしまうほどに。


京香:「ふふっ……『その顔、結理君にも見せてあげたいな』……なんてね」

春見:「──ッ! もう、それは都築さん"も"でしょ!?」

京香:「──うん、そうだよ」


 意趣返しとばかりの言葉には、しかし想像とは裏腹な冷静さで返されてしまう。


京香:「でもね、春見ちゃん」

春見:「…………」


 その反応に驚きのあまりに目を見開く。



京香:「私は──振られちゃった、から」



 力なく笑う京香。その表情は彼女の言葉が真実であることを雄弁に物語っていた。


春見:「──どうして!? だって、結理君は……」

京香:「どうしてかなー。その答えは、私じゃ答えられないなー」


 悪戯な口調で話す京香に、春見は困惑していた。


京香:「ひとつだけ言えるのはね」

春見:「え、えっと……う、うん」


京香:「結理君の隣に、いつもいるべき人がいるんじゃないかな」

春見:「わ、私はっ! それは都築さんだって、ずっと昔から──っ!」


 それに、ゆっくりと首を振って返す。


春見:「そ、そんな……」

京香:「春見ちゃんは、もっと自分の心に素直になって、いいんだよ」

春見:「……でも……、でも私なんて……」


 根底の自虐心が、どうしても抜けない。抑えつけ過ぎて、我慢し過ぎて。そのために自分には似合わないと、誰でもない自分自身を誤魔化してきたから。


京香:「…………」


 春見を、少しの間伏せた目で見て。


京香:「──きっと、今の私が言っただけじゃ、言葉だけになっちゃうけど。……それでも、言うね」


「春見ちゃんは、相応しい人だよ。──がんばってね」


 そのまま部屋を出て行く京香を、春見は引き止めることができなかった。


京香:「ふッ……う……ッ……」


 ドアの前で、声を押し殺して涙を流す。

 彼女にしては精一杯の──八つ当たりに他ならなかった。

 それでも最後の一言に、大切な友達への心からのエールを込めて。


京香:「……………………」


 廊下を通り、自分の部屋に戻る。ただほんの数歩のはずが、やけに重い。

 歩き出した彼女は影裏とすれ違うも、互いに言葉はない。


影裏:「……………………」


 無用の慰めは時に人を傷つける。だからこそ、影裏は声を掛けず、ただ気付かないフリをしてすれ違った。

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