第11話 舞台裏
時は一月ほど、前に遡る。
レムリア帝国とファールス王国が開戦した。
その知らせを聞いたセシリアは済まさなければならない業務を終えると、急遽、レムリア市からノヴァ・レムリア市へと向かった。
ノヴァ・レムリア市に到着すると……
ノヴァ・レムリア総主教であるルーカノスが出迎えてくれた。
そして同時にエルキュールからの親書を受け取った。
親書を読み終えたセシリアは……大きく頷いた。
「状況は把握しました。願わくば私がここに来たことは無駄足で良ければ良かったのですが。……不幸中の幸いと、喜ぶべきかもしれませんけどね」
セシリアはノヴァ・レムリア市とレムリア市を行き来しながら、精力的に政務に取り組んでいる。
ファールス王国とレムリア帝国が開戦した時期は丁度、レムリア市にいる時だったが……
エルキュールから、もしもの時にすぐに情報のやり取りができるようにノヴァ・レムリア市へ来てくれと、依頼されていた。
故にセシリアはノヴァ・レムリアにやってきたのだ。
それが無駄足にならなかったということは、つまり……「もしも」の時が発生してしまったということだ。
「公会議の準備は?」
「すでに整っております。聖下」
二人は小走りで歩きながら、会話を進める。
今は少しでも、時が惜しい。
「公会議の議決ですが、最悪、事後で良いでしょう」
「……宜しいのですか?」
「兵は迅速を尊ぶのでしょう? ご安心を……話は事前に付けていましたから」
そしてセシリアは「エルキュール様は人使いが荒い」と呟いた。
開戦前にエルキュールがセシリアに出した依頼は、ノヴァ・レムリアに来ることだけではない。
もう一つ。
非常に重要な仕事を、セシリアはエルキュールから依頼されていた。
「では……」
「はい。それにそろそろ、ルートヴィッヒ陛下のもとにエルキュール陛下の親書が届いた頃でしょう。ですから、私が親書を書き、ルートヴィッヒ陛下のもとに送り……そしてそれが彼に届く頃には、すでに動かせる状態になっているはずです」
これにはルーカノスも舌を巻いた。
エルキュールとセシリアは、親書でしかやり取りをしていない。
にも関わらず、二人は阿吽の呼吸で動いているのだ。
夫婦としての二人の息が合っているからか。
それとも事前に、数年の時を掛けて行われていた綿密な協議と計画からか。
もしくは……二人の能力が卓越しているからか。
驚いているルーカノスに対し、セシリアは淡々と言った。
「対異教十字軍結成の、要請を出しましょう」
時はさらに数週間前に遡る。
レムリア帝国はファールス王国に対し、長年の時間をかけて諜報網を作っていた。
その諜報網を構成しているのは商人や、メシア教の宣教師、現地のメシア教の教会や修道院である。
つまり、だ。
実はセシリアとエルキュールは一部諜報報網を共有している。
故にセシリアはエルキュールと同等、もしくはそれ以上にファールス王国の情勢や国力を把握していた。
だからこそ、エルキュールとセシリアが抱えていた“危機感”は同等のモノであり……
それ故にセシリアはエルキュールからの“依頼”を一つ返事で引き受けた。
エルキュールからの“依頼”を受けた段階で、セシリアはルートヴィッヒ一世に会談を申し込んだ。
「ふむ……レムリアとファールスが開戦した。その情報に関してはすでにレムリア帝国から通達を受けているが、しかし姫巫女聖下。それは我が国にとって、さほど関係のない話ではありませんかな?」
セシリアから直接、レムリアとファールスの開戦の知らせを聞いたルートヴィッヒ一世はそう言って眉を顰めた。
「まさか、ファールスと揃ってレムリアを挟撃せよなどとは、言いますまい?」
ルートヴィッヒ一世はエルキュールやセシリアとは異なる方向からの、ファールス王国への独自のチャンネルを持っている。
しかしそれはあくまで、外交窓口という要素が強い。
つまりルートヴィッヒ一世はファールス王国の国力や、その情勢についてはそれほど把握していなかった。
もっとも、これは当然の話だ。
国境を接していない、遠く離れた国の情勢など知るはずがない。
外交窓口があるだけでも、ルートヴィッヒ一世は非常に外交を重視している君主と言えるだろう。
(レムリアの軍事力については、嫌というほど思い知ったからな。……もう二度と、あの国と事を構えるのは御免だ)
ルートヴィッヒ一世は内心でそう考えていた。
実はファールス王国とは、レムリア帝国を挟撃しようという密約を結んではいたが……ルートヴィッヒ一世はすでにその密約による利益を得た後である。
加えてレムリアとは婚姻関係が結ばれることとなっている。
密約を履行するメリットは薄い。
(まあ、ファールス王国には精々、頑張って貰おうか。レムリアの国力がもう少し下がってくれた方が、安心なのでな)
ルートヴィッヒ一世にとって、ファールス王国はレムリア帝国を牽制するための道具でしかない。
故にこの認識が精々である。
「ふむ、やはりルートヴィッヒ陛下は事の重大さを理解しておられないようですね」
「……ほう? 何がどう、重大だと?」
セシリアに挑発するように言われたルートヴィッヒ一世は、若干苛立った様子で眉を上げた。
そんなルートヴィッヒ一世に対し、セシリアは告げる。
「レムリアが大敗する可能性があります」
「確かに同盟国が大敗することは重大だ。しかし私はフラーリング王国の王。自国のことだけで精一杯で……」
「アルブム海が異教徒の手に落ちたとしても、ですか?」
「……何?」
アルブム海。
それはレムリア帝国やフラーリング王国が面している、内海である。
気候が穏やかであり、遥か大昔から海上交易が行われていた海域だ。
現在、この海域はレムリア帝国がヘゲモニーを握っている。
この状況はフラーリング王国とっては、実はとても都合が良い。
というのも、国力的にフラーリング王国はどう足掻いても海軍を組織できないからだ。
とてもアルブム海の自国海域の安全を守ることはできない。
だからレムリア帝国がアルブム海の覇権を握っている状態は、心地が良い。
また……封建制国家にとって、君主に求められることは第一に臣下を守ることであり、第二に臣下に利益を分配することである。
そしてその“利益”は土地だけでなく、香辛料や絹などの贅沢品も含まれる。
では、ルートヴィッヒ一世はどこからそれを仕入れているのか?
当然、アルブム海の経済圏からである。
勿論、贅沢品を仕入れるには対価が必要だ。
その対価はどこから来ているのか?
と言うと、それはルートヴィッヒ一世が支配下に治めている北方海域――アルビオン王国とスカーディナウィア半島周辺の海域――の経済圏からである。
北方海域経済圏の商品――塩漬けの魚や木材、毛皮――をアルブム海経済圏へと売り払い、そしてアルブム海経済圏から贅沢品を購入する。
実はルートヴィッヒ一世の権力の源泉は、この二つの経済圏の仲介にあるのだ。
よって、アルブム海経済圏が混乱することはルートヴィッヒ一世にとっては非常に良くない。
北方海域経済圏の物品が売れなくなるのは勿論のこと、小麦などの穀物の輸入量が減れば物価が高騰する可能性がある。
それはルートヴィッヒ一世の権力基盤が動揺することを意味していた。
「驚くことではないでしょう。シュリア属州、ミスル属州がファールスに奪われるようなことになれば、このアルブム海を我が物顔で、異教徒が闊歩するような事態になりますよ」
「いや、しかしレムリア帝国が大敗する可能性など……レムリアは防衛戦争となれば、二十万の軍を動員できる超大国だ」
五年前の戦争以来。
ルートヴィッヒ一世はレムリア帝国の軍事力や国力に関しては、より詳細な情報を集めていた。
それによればレムリア帝国は外征には十五万以上、防衛戦争となれば二十万を超える軍勢を動員することができる……ということが分かっていた。
これほどまでの超大国が敗北する可能性など、あり得ない。
ルートヴィッヒ一世はそう考えていたが……
「ファールス王国は三十万を超える軍勢を動員できる、超大国ですよ」
「三十万、だと?」
そんな馬鹿な。
と、ルートヴィッヒ一世は目を見開いた。
「そうですね。フラーリング王国の軍事力を一とするのであれば、レムリア帝国は二、ファールス王国は三はあるでしょう」
「……」
「アルブム海に異教徒を入れてはなりません。ご賢明なる陛下ならば、分かるでしょう?」
それは最悪の想定だ。
余程のことがない限り、あり得ない……あり得ないが、もしそれが起これば、一大事だ。
「……それで、聖下は私に何をお求めになられているのですかな?」
「もしもの時を想定して、備えをしておいて欲しいのです」
「……具体的には?」
「対異教十字軍です」
対異教十字軍。
それはセシリアが構想した(ということにはなっているが、実際に構想したのはエルキュールである)、対ファールスへの全メシア教徒の軍事同盟だった。
ルートヴィッヒ一世はこの話を聞いたとき、「そのような事態が起こるはずがない。そもそもレムリア帝国が他国を頼るなど、あり得ない。ただの政治的なアピールだろう」と考えていた。
だが、少なくともセシリアとエルキュールはそうなる未来をある程度、想定していたのだ。
「……ふむ」
ルートヴィッヒ一世はすぐに、このセシリアの言葉が、実際はエルキュールの言葉であることを理解した。
エルキュールは立場上、ルートヴィッヒ一世に対し、フラーリング王国に対し、「ファールスとの戦争は勝てるか分からない。だから我が国が危機に陥った時のために、援軍の準備をしてくれ」などとは口が裂けても言えない。
だからこそ、セシリアを介して間接的にその意志を伝えているのだ。
「もしも、レムリア帝国の皇帝陛下から、支援要請が来たら……承諾して、くださいますよね?」
「……その時は、そうするしかないでしょうな」
あのプライドの高いレムリア皇帝が、頭を下げるのだ。
それは本当にアルブム海へ異教徒が足を踏み入れようとしている時である。
そのような事態、起こるはずがないだろう。
そう思いながらも、ルートヴィッヒ一世はその時、首を縦に振ったのだった。
そしてどうやらレムリア帝国の旗色が悪いようだ。
という情報を仕入れたルートヴィッヒ一世は、兵を集める準備を始めた。
そして……
エルキュールからの上から目線の救援要請が来た段階で、兵力の大規模動員を開始した。
国王近衛歩兵軍団(近衛歩兵)一〇〇〇〇。
国王従士歩兵軍団(従士歩兵)二〇〇〇〇。
国王近衛騎兵軍団(近衛騎兵)五〇〇〇。
国王従士騎兵軍団(従士騎兵)一〇〇〇〇。
これに加えて、ローラン伯爵、ブラダマンテ伯爵、アストルフォ伯爵の三名が搔き集めた騎兵五〇〇〇。
合計、六〇〇〇〇。
現状、ルートヴィッヒ一世が単独で動かせる限界がこの六〇〇〇〇である。
「しかし本当に対異教十字軍を起こすことになるとは、思ってもいませんでしたな。陛下」
「ふむ。まあ、まだ厳密には対異教十字軍ではないがな」
ガヌロンの言葉に対し、ルートヴィッヒ一世は不敵な笑みを浮かべたまま答えた。
エルキュールがルートヴィッヒ一世に送った親書は、実質的には救援要請を求めるような内容ではあったが……
しかしより正確には「近日中に、セシリア・ペテロ聖下が対異教十字軍の参加要請をあなたに出すかもしれないから、準備しておけ」というような内容だった。
超大国としては素直に、頭を下げられないということだろう。
そういう親書の内容なので、セシリアが正式にルートヴィッヒ一世に対して対異教十字軍の参加要請をしなければ、この軍隊は対異教十字軍とはならない。
そしてまた、レムリア帝国の領土を通過できないのだ。
「国王陛下。……セシリア・ペテロ聖下からの親書が届きました」
「ようやくか」
ルートヴィッヒ一世はチュルパンから、親書を受け取る。
そして封を開き、中を確認する。
そこには正式な、対異教十字軍への参加要請。
そして二週間以内にノヴァ・レムリア市にて公会議を開き、メシア教大同盟の決議を取ることが記されていた。
「よろしい。……ナモ、ファールス王国の外交官殿には、詫びを入れておいてくれ」
「畏まりました、陛下」
それからルートヴィッヒ一世はガヌロンとナモ、そして息子のルートヴィッヒ二世に留守を任せると伝え、そしてチュルパンには単独でノヴァ・レムリア市まで赴き、公会議に参加するように命じた。
最後に己の配下である、アストルフォ、ローラン、ブラダマンテに向き直った。
「では、諸君。……我らの同胞を救援に向かうぞ!!」
「「「は!!!」」」」
斯くして、このような経緯により六〇〇〇〇の軍勢がフラーリング王国からレムリア帝国へと向かったのである。
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