第12話 講和
六月。
ようやくレムリア帝国とチェルダ王国との講和条約が結ばれた。
・チェルダ王国はレムリア帝国に対し、テリポルタニア地方を割譲。
・チェルダ王国はレムリア帝国に賠償金を払い、そのうち半分を一括で、もう半分を五年賦で支払う。
・五年間、相互不可侵を定める。
・相互不可侵の更新は一年前に、三年単位で行われる。
以上である。
そういうわけでソニアは何とか、チェルダ市へ戻ることができた。
「大丈夫だったか、ソニア! 何か、されなかったか?」
甲板から降りたソニアを、ヒルデリック二世は出迎えた。
そして心配そうに尋ねる。
「……はい。大丈夫です、陛下」
ソニアは答えた。
そしてヒルデリック二世の背後で、気まずそうな表情で立っていた父親に対し、頭を下げた。
「心配をおかけしました。……
「……」
カーマインは悲痛そうな表情を浮かべたが、ソニアは意に介さなかった。
その後も、甲板からはレムリア帝国に捕らえられていた高位の将軍や官僚たちが降りてきて、家族との再会を果たした。
それから数日間の休息の後、ソニアを含め、捕らえられていた者たちも含めた御前会議が行われた。
正式に講和条約が結ばれ、履行されてから初めての会議である。
議題は戦争で疲弊した国を立て直すための方針の決定である。
現在、チェルダ王国には二つの選択肢が提示されていた。
一つ、国力を経済復興に当てて、最低限レムリア帝国に侵略されないだけの軍事力を持って、国を立て直す。
二つ、国力を軍事力に注ぎ込み、テリポルタニア地方の奪還を狙う。
前者を支持しているのはカーマイン率いる、復興派であり……
後者を支持しているのはホアメル率いる主戦派であった。
ホアメルにとってテリポルタニア地方は重要な支持基盤。
これを取り戻さなければならないのだ。
無論、会議は真っ二つに割れた。
現在、支持基盤を喪失してホアメルは勢いを衰えさせていたが……
国土回復を望む中立派を巻き込むことで、カーマインに対抗していた。
そしてヒルデリック二世はこの両者の争いに終止符を打つことができないでいた。
「ソニア、君は……どう思う?」
会議が終盤に差し迫ったころ。
ヒルデリック二世は頃合いを見計らい、今まで沈黙を保っていたソニアに問いかけた。
ソニアは一瞬迷ったような表情を浮かべたが……
溜息を吐いてから、自分の考えを口にする。
「……テリポルタニア地方はもう、戻らないでしょう。ですから、選択肢は一つです」
ソニアの言葉に一瞬、どよめきが上がった。
というのもヒルデリック二世も、カーマインも、ホアメルも、そしてその他の者たちもソニアが国土回復を主張すると思っていたからだ。
「テリポルタニア地方が戻らない、とは、どういう意味だ? ソニア。レムリア帝国に戦争では勝てないと、そういう意味か?」
「……それもあります。ですが、そもそも民が望まない」
誰も、ソニアの言っていることの意味が分からなかった。
テリポルタニア地方に住んでいる者たちは元々チェルダ王国の臣民だ。
それがチェルダ王国に戻ることを望まない?
そんなはずがあるはずない。
「……どういう意味ですか、ソニア殿」
ホアメルが尋ねた。
テリポルタニア地方を支持基盤とするホアメルにしてみれば、ソニアの言葉は聞き捨てならないものだった。
「そのままの意味です。五年後には、テリポルタニア地方の民はレムリアとチェルダならば、レムリアを選ぶようになるでしょう」
「……それは
ホアメルが問う。
テリポルタニア地方は
「確かに、
「それは否定しません。ですが……」
ソニアは目を細めた。
「それはレムリアほどですか?」
「それはどういう……」
「レムリアは……官僚の半分を
「そ、それは……」
融和政策というやり方では、数百年も前からそれを進めてきたレムリアに勝てるはずもないのだ。
同じ土俵で戦えば、必ず敗北する。
「……だが、
そう言ったのはカーマインである。
カーマインは復興派を率いているが……復興派は決して、テリポルタニア地方を完全に諦めようとしているわけではない。
国力を回復させてから、テリポルタニア地方を取り戻すことを掲げているのだ。
つまり最終目標は主戦派と同じである。
しかし……ソニアはそもそも、テリポルタニア地方そのものを諦めるように言っているように聞こえる。
これはカーマインとしては聞き捨てならない。
「そうですね。
「……まるでレムリアを選ぶ者もいるかのような言い方だな」
「少なくない数がいると私は考えていますが」
突き放したようにソニアが言った。
誰もが眉を顰める。
それがこの場にいる者たちの総意だ。
「レムリア皇帝は
「ソニア、それはあくまで、一時的なものだろう? 心の底からレムリア皇帝に臣従しているとは思えない。我々が戻れば……彼らは歓迎してくれるだろう」
ヒルデリック二世は自分に言い聞かせるように言った。
「そもそもチェルダ王国の方が、レムリアよりも……
「現状は仰る通りです、国王陛下」
現状は。
その言葉に……空気に若干の緊張が走る。
薄々、ソニアが何を言わんとしているか、察し始めてきたのだ。
「ですが、これからチェルダ王国はますます
空気が凍り付く。
「レムリア皇帝に臣従した者たちはレムリア皇帝に心の底から臣従しているわけではない。ですが、またチェルダ王国に強い忠誠心を抱いているわけではありません。五年後には、それはさらに薄まるでしょう。反旗を翻したところで、結局待遇が同じになるのであれば……強い方につくのが得策ですね」
「ソニア! レムリア皇帝に絆されたか!!」
カーマインが怒鳴り声を上げた。
ソニアも負けじと言い返す。
「事実を言っているまででしょう、事実を! 知っていますか? レムリアでは兵士が死んでも、家族に年金が支払われるのですよ。毎年、生きていくのに十分な額が、です。我が国はどうですか? 兵士が死んだらそれっきり、身代金すらも支払わない。兵士の身代金も支払わない国のために、誰が命を掛けますか?」
シン、と静まり返る。
ソニアは静かに座った。
誰も、口を開かない。
しばらくの沈黙の後、ヒルデリック二世がかすれるような声で言った。
「ソニア、君は……そもそも余の政策が全て、間違いだったと言っているのか?」
それに対し、ソニアは冷淡に答えた。
「私は陛下が御即位された時から、そう言い続けて参りました。記憶違いでしたか?」
「出ていけ!!」
ヒルデリック二世は怒鳴った。
ソニアは溜息を吐き、そして立ち上がる。
「陛下の気がそれでお済みになるなら、出て行きましょう」
そう言ってソニアは一人立ち上がり、会議所から出て言った。
そして……冷え切った空気の中、ヒルデリック二世は言った。
「方針は決まった」
カーマインとホアメルは目を見開いた。
ヒルデリック二世が自分で決断するなど、滅多にない事だからだ。
「五年後にはすでに民心が離れているというのであれば……カーマインの案でも、ホアメルの案でも、テリポルタニア地方は取り戻せない」
誰もが息を飲んだ。
それはつまり……ヒルデリック二世がテリポルタニア地方の放棄を決めたことに他ならない。
復興派のような、「後回しにする」わけではない。
完全にテリポルタニア地方を取り戻すことを諦めたのだ。
………………
…………
……
と、その時一瞬、誰もが思った。
「講和条約など、破棄してしまえ」
「……はい?」
「へ、陛下?」
カーマインとホアメルは顔を強張らせた。
「講和条約は破棄だ! 今すぐ、戦争をして……取り戻せば良いだけのことだ! 違うか!!」
ヒルデリック二世の言葉が響き渡った。
「……余の政策は、誤りなどではなかった。父から王位を簒奪したこの選択は正しかった。それを、証明する! 異論は許さぬ!!」
その後、カーマインとホアメルの必死の説得により……
講和条約を破棄し、攻め込むのは今すぐではなく、三年後となった。
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