第11話 身代金


 「あの、皇帝陛下」

 「何だ、アリシアか。どうした?」


 ソニアとのお茶会の翌日、アリシアはエルキュールの執務室を訪れた。

 アリシアは戸惑いがちにエルキュールに尋ねる。


 「その、陛下が私を辱めたのは民や家臣を納得させるためだと、聞きました。それは本当ですか?」

 「誰から聞いたんだ? お前とソニアは会話をするような仲ではないだろ」


 カロリナやシェヘラザードは、ソニアと手合わせしたりと交流がある。

 またセシリアもソニアを正統派メシア教に改宗させてあげようと、余計な親切心で接触を試みている。


 だがルナリエ、そしてアリシアは初対面の印象が悪かったためか、互いに避け合っている。

 

 ちなみにニアとソニアは顔を合わせる度に、今でも煽り合っているようである。


 「召使たちが噂しているのを」

 「なるほど……まあ、そうだな。半分くらいは本当だよ」


 実際のところ、レムリア帝国内部に於ける反ブルガロン感情はとても高かった。

 あのままクロム氏族を助けず、経済封鎖を続けていても勝つことは十分に可能だったため、クロム氏族を助けるべきではないという意見は少なくなかった。


 特にアリシアは休戦協定破りの奇襲攻撃で多くのレムリア兵を殺した実行者であり、その上皇帝であるエルキュールを殺めかけている。


 もしエルキュールが二つ返事でアリシアとクロム氏族を助ければ、民や家臣たちに多くの不満が残っただろう。

 そういう意味では……その不満を解消させるために、アリシアを公衆の面前で辱めたというのは決して間違いではない。


 「……半分、ですか?」

 「そう。もう半分は俺の感情だ。ああでもしないと、民と家臣が許せても俺が許せん」

 「……はは」


 アリシアは何と言って良いか分からず、曖昧に笑った。

 エルキュールはアリシアに手を伸ばす。

 ビクリ、と体を震わせて縮こまるアリシアの頭を、エルキュールは優しく撫でてやる。


 「もう過ぎたことだ。気にするな、もうあれでお前のやったことは俺の中で清算されている」

 「……昨晩、そのことをネタに私をイジメたじゃないですか」

 「それも過去のことだ」


 エルキュールは肩を竦めた。

 アリシアは溜息を吐く。


 だんだんと、アリシアもエルキュールという人間がどういう人間か分かってきた。

 エルキュールという男は、ある種の愉快犯なのだ。


 あまりその言動を鵜呑みにしない方が良い。


 「ところで、今は何をなさっているのですか? 最近、お忙しそうですけど」

 「テリポルタニア地方の安定化だ。占領を既成事実化するつもりだ……もう半分は終わっている。あとは時間の問題だ」


 まずエルキュールが行ったことはテリポルタニア地方に於ける反抗勢力の一掃である。

 つまりエルキュールの支配を受け入れない、獣人族ワービーストの村を武力で鎮圧したのだ。

 同時に早期に支配を受け入れた者に対しては、土地と財産、そして生命を保証する……という声名を出した。

 

 実のところ激しい反抗をしたのは一部の獣人族ワービーストだけで、多くの獣人族ワービーストたちはレムリア帝国の支配を消極的にだが受け入れた。


 土地や財産が保証された……

 というのもあるが、それ以上にヒルデリック二世現国王によってラウス一世先王時代の多くの特権が撤廃されていたから、というのも大きい。


 またヒルデリック二世に不満を持つ、ラウス一世派の獣人族ワービーストの数も少なくなかった。


 彼らはレムリア帝国に従う義理はない、と思いつつも、だからと言ってヒルデリック二世のために命を掛ける義理もない、と考えていた。


 故にあっさりとレムリア帝国の支配を受け入れたのである。


 抵抗を見せたのは、先の内乱で勝利し、多くの土地を論功行賞で得ていたヒルデリック二世派の獣人族ワービーストや、極一部の人族ヒューマンだが……

 

 それらはオスカルやステファン、ダリオス、ガルフィス率いるレムリア軍によって一掃された。


 次にエルキュールが行ったのは、屯田兵の入植である。

 常備軍を撤退させるのと入れ替わりになる形で、予め募集していた屯田兵を次々と入植させた。


 レムリア帝国に逆らった獣人族ワービーストの多くは既得権益を持っていた者たち……

 つまり広大な私有地を持っている者たちが多かったため、入植させるための土地には困らなかった。


 反抗勢力が存在していた地域に、エルキュールは支配の楔になる屯田兵を入植させていった。


 ここまで来れば、やることはそう多くない。 

 後は統治機構を整えるだけである。


 エルキュールはレムリア帝国に寝返った人族ヒューマン獣人族ワービーストの有力者を厚遇し、彼らを統治機構に組み込んだ。

 

 また以前、レムリア帝国に亡命してきた先王派の獣人族ワービースト貴族のうち、テリポルタニア地方に領地を持っていた者たちに、一部ではあるが領地を返還した上で、彼らを現地の有力者の上に置いた。


 彼らはテリポルタニア地方の地理に詳しい上に、さらには支配のノウハウもある。

 元々先王派だったので、現地の先王派残党への受けも悪くない。


 そして消極的な態度でレムリアに寝返った者たちよりも、多少は信用できる……という判断である。


 

 尚、当然中央からも多くの官僚を送りこんでいる。

 あと五年もすれば、テリポルタニア地方は完全にレムリア帝国の官僚的な中央集権体制に組み込まれることになるだろう。

 

 その他、軍事郵便制度の整備や……

 戦争で荒廃した農地回復のための治水・灌漑などの公共事業費の捻出など、今後の統治を見据えて、エルキュールは様々な方策を練っていた。


 「和平交渉の方はトドリスが今やっているが、もう大詰めだ」


 「チェルダ王国はテリポルタニア地方の放棄を認めたのですか?」


 「認めた、というより認めざるを得なくなってきたというのが正しいな。まあ、まだ認めては無いが……絶対に認めさせるつもりだ」


 レムリア帝国はチェルダ王国がテリポルタニア地方を放棄する、割譲すると宣言しようとしなかろうとも、テリポルタニア地方を支配下に置くつもりである……

 ということはすでにチェルダ王国に伝わっている。


 トドリスに依れば、チェルダ王国の宮廷は諦めモードに入っているようだった。

 もっとも……極一部、テリポルタニア地方に支持基盤を持っている宰相が抵抗を見せているようだが、それも時間の問題である。


 「今は身代金の交渉中だな。ソニア姫は高値で値段がついたぞ」


 「そんな商品じゃないんだから……ところで交渉中、ということは今は誰の身代金で揉めているのですか? イアソン将軍とか?」


 「いや、違う。一兵卒たちだ」


 レムリア帝国は十万を超える捕虜を、捕らえている。

 エルキュールは低額ではあるが身代金を要求し、これをチェルダ王国に引き渡そうとしているのだが……

 チェルダ王国は支払いを拒否し、値引きしようとしている。


 一人一人は低額であっても、十万という人数になればチェルダ王国の国庫を火の車にさせるほどの額になるからである。


 「なるほど……ただでさえ、チェルダ王国は困窮しているでしょうし、支払えないかもしれませんね」


 「賠償金の支払いもあるからな。……連中、そんな高額な身代金を要求するならば、賠償金の方を減額しろ、って文句を言っている。兵士のことを思うなら、どんなに高くても支払うべきだろうに」


 「それは身代金を要求する側の言葉ではありませんよ」


 アリシアの言葉にエルキュールは肩を竦めた。


 「それでどうされるおつもりですか?」


 「纏まらないようならば、一兵卒の身代金交渉は打ち切るつもりだ。……兵士たちには、チェルダ王国は身代金をケチって、君たちを見捨てるつもりだ。と、説明するつもりでいる」


 「いくら何でも、それは酷いですよ……」


 レムリア帝国から手厚い保護を受けている捕虜たちは、すでに親レムリアに傾いている。

 もしエルキュールが彼らに、そう伝えれば……

 彼らの心はますますチェルダ王国から離れ、逆にレムリア帝国に近づいていく。


 「しかし……身代金交渉を打ち切る、ということは無償で解放する、ということになりますか?」

 「いや、身代金は自己負担して貰うつもりだ。払えない者には労働を与える」


 ちなみにエルキュールは、兵士個人に課す身代金は半額にするつもりでいる。

 格安にすることで兵士たちに「チェルダ王国はこの程度の額すらも、渋って俺たちを見捨てたのか!」と思わせるためである。


 「チェルダ王国に帰るか、レムリア帝国に残るかは選ばせるつもりだ。中にはレムリアの女と関係を結んでいる奴や、テリポルタニア地方が故郷の奴もいるだろうしな」


 帰国しようが、居残ろうが……

 その頃までには彼らの感情は親レムリアになっているだろうから、あまり関係ない。


 「ところで、一先ず和平交渉……という流れになっていますが、次に攻め込むのはいつになるのですか?」

 「何だ、そんなに戦争をしたいのか。案外、好戦的だな」

 「……チェルダ王国は滅ぼす、とおっしゃっていたのは陛下じゃないですか」


 アリシアがそう言うと、エルキュールは肩を竦めた。


 「相互不可侵は五年、と定めている。だから最短で五年後になるな。その頃までにはすっかりと、親レムリア派になったソニア姫が王妃になっているはずだ」


 反レムリアの国王派と親レムリアの王妃派にチェルダ王国を真っ二つに割り……

 その混乱の隙を突く形で、エルキュールはチェルダ王国に攻め込むつもりでいる。


 「せっせとソニア姫とお茶会しているのは、そのためですか」

 「何のためだと思ったんだ?」

 「てっきり、いつもの悪い女癖かと……」


 アリシアがそう言うと、エルキュールは立ち上がった。

 そしてアリシアの手を掴み、壁際にまで追い詰める。


 「な、何でしょうか?」

 「……」


 エルキュールはアリシアの問いには答えず、その唇に自分の唇を合わせて、その返事とした。


 「こんなに美しい女がいるのに、他の女を口説く必要もないだろう?」

 「……」


 アリシアは顔を赤くして、目を逸らした。

 二人は何度か、接吻を交わす。


 それからエルキュールは言った。


 「別に俺は目についた女を、誰彼構わず抱きたいと思っているわけではない。そう思っていると、お前が思うならそれは偏見だな」


 現状、エルキュールは性交渉の相手に関しては質量共に満足している。

 これ以上、愛人や恋人、妻を増やす予定はなかった。


 「大体、ソニア姫はチェルダ王国の国王の婚約者だぞ? それに手を出したら、面倒くさいだろう。しっかりと綺麗な身のまま、お国に返すつもりだよ」


 「……私もブルガロン王国の王太子の婚約者だったんですけどね」


 「そうだっけ? 済まない、その辺は忘れてしまった」


 あまりの言い草に、アリシアは再び溜息を吐いた。

 無論、エルキュールは忘れてなどいない。


 お得意の、「それはそれ、これはこれ」理論である。



 「取り敢えず、五年間は仲良くするんだぞ? チェルダ王国とは。だから関係が悪化するようなことは、少なくともこの五年間はやらない。ソニア姫とのお茶会も、両国の友好のためさ……五年間の間の、仮初の友好だけど」


 「……その割には、積極的に口説いているように見えると召使たちから聞きましたよ? 陛下とソニア姫の仲睦まじい関係は、もうノヴァ・レムリア宮殿中に知れ渡り、ノヴァ・レムリアでも噂する者がいます。本当に、口説こうとしていないんですか?」


 アリシアが尋ねると、エルキュールは肩を竦めた。


 「あれは俺の素だ。美しい女性と話していると、自然と口説いてしまうんだよ」

 「……」


 エルキュールの返答を聞いたアリシアは、何度目か分からない溜息を吐いた。

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