第10話 お茶会

 ソニアはレムリア皇帝と向き合って座っていた。

 テーブルの上には三種類のケーキと、クッキー、マカロンが置かれている。


 召使が香りの良い紅茶をティーカップに注ぐ。


 「ソニア姫は紅茶と珈琲、どちらの方が好きかな?」

 「……どちらかと言えば、珈琲です」


 ソニアが言うと、レムリア皇帝は笑みを浮かべた。


 「なるほど。それは残念だ……私は紅茶の方が好きなんだけどね。まあ、良い。次は珈琲を用意しておくよ。ちなみにミルクや砂糖は入れる派かな?」

 「……はい」


 ソニアは小さく頷き、カップを手に取った。

 そして淹れたての紅茶を飲む。


 (……美味しい)


 ソニアが今まで飲んできた紅茶の中でも、一番美味しかった。

 それからソニアはテーブルに並べたお菓子を見て、ごくりと生唾を飲んだ。


 チェルダ王国には奢侈禁止令というものが存在している。

 奢侈、つまり贅沢品の輸入や使用を制限するための法律である。


 これは先王であるラウス一世が出した法律だ。

 そして……チェルダ王国に於いて、奢侈とされる物は決まっている。


 レムリア帝国からの輸入品である。


 例えば贅沢品の典型的な例である、香辛料や絹などは全てレムリア帝国の領土を通過してチェルダ王国に齎される。

 その他にも、紅茶・珈琲、砂糖、陶磁器、宝石、ガラス細工は全てレムリア帝国で生産されるか、もしくはレムリア帝国を介して輸入されるものだ。


 これらを購入することは、即ちレムリア帝国に富を齎すことと同義である。


 故に一定の制限がされていた。

 そして……つい最近までは戦争状態であったこともあり、大貴族の娘であるソニアも、財政的にも心情的にも贅沢はできなかった。


 しかし……

 ソニアも一人の女の子である。


 甘い物、つまり砂糖を贅沢に使ったレムリア帝国のお菓子や、ミルクや砂糖をたっぷりと入れた珈琲は大好物だった。

 普段は滅多に食べられないからこそ、そういう贅沢品への羨望は強かった。


 それが目の前に広がっているのだ。


 「甘い物は好きかな?」

 「………………………………あまり好きではありません」


 ソニアは必死にお菓子から目を逸らしながら答えた。

 食べ物で釣られるような女だと、思われたくなかったからだ。


 そんなソニアの強がりを知ってか知らずか、レムリア皇帝は笑みを浮かべた。


 「ふむ……まあ、しかしレムリアの菓子は世界一だと私は自負している。きっと口に合うだろう」

 「…………」


 チェルダ王国のお菓子の方が上だ。

 と、ソニアは言おうとしたが、言えなかった。


 砂糖をレムリア帝国を経由してしか得られないチェルダ王国には、とてもじゃないがレムリア帝国のような甘いお菓子を作ることはできない。


 チェルダ王国に於ける甘味と言えば、デーツやスイカ、メロン、イチジク、葡萄などの果物に限られる。


 (少しだけ食べて……後は甘い物は苦手、ということで押し切ろう)


 ソニアは内心でそう考えながら、フォークを手に取り、ケーキを切って口に運ぶ。

 

 「……っ!」


 口にに入れた途端、濃厚な生クリームの甘味と柔らかいシフォンケーキの食感。

 この甘味にアクセントを加えるように、瑞々しい果物の果汁が溢れ、酸味と甘みが混ざり合う。


 ソニアは思わず、うっとりとしてしまった。


 「……あ」


 気付けば、ケーキ一切れを全て食べてしまっていた。

 見下している劣等種、それも敵国の皇帝の目の前で夢中になってお菓子を食べてしまった。


 恥ずかしさから、ソニアの頬が赤く染まる。


 「口に合ったみたいで、嬉しいよ」

 「……はい」


 もはや苦手、などと否定はできない。

 ソニアは美味しかったと、頷くしかなかった。


 「ケーキはまだ二種類あるし、クッキーとマカロンも残っている。それにお代わりもあるから、欲しかったら言ってくれ」

 「わ、私はそんなに食いしん坊ではありません!」


 ソニアは大声を上げて、立ち上がった。

 それから顔を真っ赤にさせて、無言で座る。


 今の反応は、明らかに失敗だった。


 「ソニア姫」

 「……何ですか?」


 開き直ってお菓子を食べ始めたソニアに対し、レムリア皇帝は優しい声音で言う。


 「二週間以内に、一度全ての捕虜をノヴァ・レムリアへと移送する予定だ」

 「……」

 「君にもノヴァ・レムリアに来て貰う。まあ、観光くらいに考えてくれ」


 レムリア皇帝がそう言うと……

 ソニアはレムリア皇帝を睨みつけた。


 「まだ、戦争は終わっていません。チェルダ王国は、負けていない!」

 「無論、分かっているとも。だからこそ捕虜を首都に移送する。交渉の材料として使うために」


 つまりソニア自身も、レムリア帝国にとってはチェルダ王国から譲歩を引き出すための交渉材料なのだ。

 そのことを自覚したソニアは悔しそうに唇を噛んだ。


 「貴様のせいだ。貴様のせいで、チェルダ王国は……」

 「その通りだ。何故なら、私はレムリア帝国の皇帝だからな」


 レムリア皇帝はソニアに対し、冷たく言い放つ。


 「臣民の利益を第一に考えて動くのが、君主だ。原因は私かもしれないが……悪いのは、そちらの国の王だろう」

 「……」


 ソニアは何一つ、反論できなかった。







 それから一月後、五月中旬。


 「……今日のご飯は何かな」


 ソニアは眠そうに目を擦りながら、レムリア宮殿に与えられた客室で食事を待っていた。

 しばらく待っていると、召使が美味しそうな朝食を運んでくる。


 ソニアが好きな珈琲とミルクと砂糖のセットもついていた。


 デザートまでしっかりと食べ、ソニアは大きく伸びをした。

 

 「はぁ……快適過ぎる」


 ソニアは幸せそうな表情で、しかし少し苦悩を感じながら呟いた。

 ノヴァ・レムリアでの捕虜としての生活は、とても快適だった。


 捕虜、と言っても実質賓客扱いである。

 毎日三食+おやつまでついていて、夜には豪勢なお風呂に入ることができた。

 

 用意された下着やドレス、装飾品も、ソニアが持っているものよりも遥かに上質なものだった。


 しかもレムリア皇帝からは「それは君のために用意したものだから、帰国の時は全て持って帰っても良い」とまで言って貰っている。

 

 下着やドレスまでなら分かるが、ドレスのセットで用意されていた美しいルビーや真珠のネックレスやイヤリングなどもくれるという。


 あまりの太っ腹な対応に、ソニアは逆に申し訳なくなってしまうほどだった。


 

 加えて、娯楽なども用意されていた。

 

 本は頼めばいくらでも貸してくれたし、時には図書館に案内してくれることもあった。

 許可さえ出れば、運動施設を借りることもでき……時にはそこでレムリア帝国の二人の皇后カロリナとシェヘラザードと手合わせすることもできた。


 教会や礼拝堂には毎日行かせて貰えたし、姫巫女メディウムとの謁見すらも叶った。

 冗談でノヴァ・レムリア市を散歩したいと言えば、監視付きではあるが本当に散歩させて貰えた。


 信じられないほどの好待遇である。


 もし……これがソニアだけに与えられた待遇であったならば、ソニアはとてもこの待遇を大人しく享受できなかっただろう。

 しかしこのような好待遇は決してソニアだけではなかった。


 無論、身分的にもソニアが一番好待遇を受けているのは事実だが……

 他の捕虜たちもかなり快適な生活が保障されていた。


 チェルダ王国の将軍たちにもしっかりと、三回の食事やお風呂、そしてある程度の娯楽の自由が許されていた。

 ソニアが大嫌いなイアソンに至っては連日レムリア帝国の図書館に入り浸っている。


 平の兵士たちもしっかりと暖かい食事と、体を清潔に保てるだけの環境が与えられ……

 さすがに毎日とまではいかないが、一定の娯楽も支給されているようだった。


 一度、ソニアは同じく捕らえられていた赤狼隊の兵士たちに会いに行ったが……

 彼らの多くは捕まる前よりも血色が良くなっていた。


 そういうわけでソニアは安心して、レムリア帝国からの好待遇を受けてはいたのだが……

 決してレムリア帝国への敵対心を忘れたわけではなかった。


 むしろ、それを忘れないように心の中で燃やし続けていた。


 レムリア帝国の目的は、ソニアを含め、捕虜たちを親レムリア派にすることである。

 そんな分かり切った敵の策略に嵌るほど、ソニアは愚かではなかった。


 もっとも……友好的に接して来てくれている相手に対し、憎しみを抱けるほど、ソニアの育ちは悪くなかった。

 ソニア自身も自覚してしまうほど、ソニアの内心でのレムリアへの悪感情は薄れていた。


 「……そう言えば、今日はレムリア皇帝とのお茶会だな」


 ソニアは立ち上がった。

 今日はいつもよりも、お洒落しよう……ソニアは無意識にそう思っていた。








 「……それほどまでに、あの砂漠越えは準備されていたのですか」

 「まあ、そうだね。費用も掛かったし、危険も大きかった。もっともリターンもその分、大きかったけどね」


 レムリア皇帝は得意気にソニアに語った。


 親睦を深めるため、という名目でソニアとレムリア皇帝は定期的にお茶会をしていた。

 レムリア皇帝の意図は、自分を親レムリア派にするためだろう……とソニアは考えていた。

 事実、ソニアは少しずつだがレムリアに対する悪感情が薄れていっているのを感じていた。


 しかしだからと言って、レムリアが敵国であることは変わりない。


 ソニアはレムリア皇帝から、何か重要な機密を盗み出そうと、様々なことをレムリア皇帝に尋ねていた。

 しかし……


 (重要なことは話さない、か……)


 得意気に、饒舌に、滑らかに話しているその様子はとても口が軽そうだが……

 ソニアが欲しい情報だけは、決してレムリア皇帝は話してくれなかった。


 レムリア皇帝はこちらに対する警戒を、一切緩めていないのだ。

 そのためソニアはもう、レムリア皇帝から情報を盗み出すことは半分諦めていた。


 それでもレムリア皇帝とお茶会を続けているのは……

 純粋にレムリア皇帝とのお茶会が楽しいからである。


 出される紅茶や珈琲、お菓子は無論美味しいが、それ以上にレムリア皇帝は話すのが上手だった。

 会話の節々から、その高い教養がよく分かる。


 またソニアのあまり上手とは言えないレムリア語の発音も、しっかりと笑うことなく聞いてくれて……

 時折、流暢な獣人族ワービースト語で話してくれることもあった。


 何より……


 「ところでソニア姫」

 「……はい。何でしょうか」

 「そのイヤリング、それは……ノヴァ・レムリアで買ったものか?」


 レムリア皇帝の問いにソニアは頷いた。


 「はい。先日、ノヴァ・レムリアの港で買いました」


 ソニアが答えると、レムリア皇帝は笑みを浮かべて言った。

 

 「良く似合っている。いつもより大人っぽく見えるな」

 「……ありがとう、ございます」


 レムリア皇帝はソニアの些細なお洒落に目敏く気付く。

 そして褒めてくれるのだ。


 (……あの人なら、絶対にあり得ない)


 内心でソニアは自分の婚約者と、目の前の色男を比べた。


 前者は自分という婚約者がありながら、人族ヒューマンの女に夢中で、自分を何一つ気遣ってくれない。

 一方後者はどんな些細な変化も見逃さず、褒めてくれる。


 ソニアのレムリア皇帝への好感度は大きく上がっていた。

 しかし……それでも腑に落ちないことがある。


 それはアリシア・クロムを公衆の面前で全裸にさせて、辱めたことである。

 普段の紳士的な態度から、想像もできない。


 「皇帝、陛下」

 「どうした? ソニア姫。お代わりが欲しいのか?」

 「わ、私は食いしん坊ではありません!」


 ソニアはケーキが欲しいわけではない、と否定し……

 そしてなぜ、アリシアにそのような酷い真似をしたのかを尋ねた。


 「ああ、あれか……ふむ、まあ、君がそう思うのも無理はない。随分と酷いことをしたと、私も思っているよ」

 「……分かっているなら、何故?」

 「そうでもしなければ、民と家臣たちの怒りが収まらないだろ?」


 レムリア皇帝の答えに、ソニアはハッとした。 

 アリシア・クロムはレムリア皇帝と帝国に、助けを求めてきたのだ。


 果たして、今まで自分たちの同胞を殺し、奪い、犯してきた者たちに対し手を差し伸べるなど……

 簡単にできるだろうか?


 いや、できないだろうとソニアは思った。

 少なくとも、チェルダ王国はレムリア帝国が助けを求めてきても、それを受け入れることはない。


 それと同じだ。

 ブルガロン人を徹底的に飢えさせ皆殺しにしろ! と、主張する者たちも大勢いたはずなのだ。


 だが最終的に民も、家臣もそれを納得し……今ではブルガロン地方はレムリア帝国の領土となり、その民は臣民として扱われている。


 この状況を作り出すために、彼らの留飲を下げさせるために、敢えてレムリア皇帝は自ら悪者になって、アリシア・クロムを辱めたのだ。


 「あなたは……素晴らしい君主です」


 ソニアは心からの言葉をレムリア皇帝に送った。


 目的のためには手段を選ばない、残虐で残忍な男。

 そう、周囲から思われ、悪人という評価を受けながらも……民を豊かにし、そして敵国の民にすらも慈悲を見せる。

 兵士たちと苦楽と共にし、危険な戦場に立ち続ける。


 それはソニアにとって、理想の君主だった。


 (少なくとも、あいつらとは……違う)


 戦争中なのにも関わらず、政治闘争を繰り広げる自分の父親とその政敵。

 敵に捕まったからといって、あっさりと敵に寝返ろうとする……愛国心もない将軍。

 そして……臆病者で優柔不断、自分の評判ばかり気にしている国王。


 自分勝手に動いて、国のことも、民のことも考えていない奴とは違う。


 少なくとも、ソニアはそう思った。


 「大袈裟な評価だ。私は少なくとも、名君ではあるまい。どちらかと言えば、暴君だろう」

 「そんなことはありません。この国の民の、ノヴァ・レムリアの市民たちの顔を見れば、それは分かります」


 どれほど、このレムリア皇帝が民を思いやっているのかが。


 少なくともソニアの目にはそう見えた。



 「あなたが……我が国の、国王陛下だったら良かったのに……」


 ソニアは心の底から、そう呟いた。

 ……その発言が何を意味しているのか、自分の心の底でどのような思いが芽吹きつつあるのか、まだこの年若い姫君はそれを理解していなかった。

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