第9話 ソニア姫
「あなたがソニア姫か」
牢の中で俯いている
少女は顔を上げ、そしてエルキュールを睨んだ。
「貴様はレムリア皇帝か」
「おや、私と君は初対面のはずだが」
エルキュールがそう言うと、ソニアはバツが悪そうな表情を浮かべた。
「……結婚式で顔を拝ませて貰った」
「おや、それは嬉しいな。どうせなら挨拶に来てくれれば良かったのに」
エルキュールはそう言いながらソニアをじっくりと観察する。
容姿はかなり整っている方だろう。
可愛い、というよりは美人に近いが……まだ十代ということもあり、若干の幼さが残っている。
勝気に吊り上がった瞳は、とても気の強そうな性格をイメージさせる。
カロリナに似ている、というのがエルキュールの印象だった。
しかし頭から生える犬耳と、少し幼さの残る顔立ちからか、少し可愛らしくも見える。
膝を丸めて座っているため、体の凹凸は分かりにくいが……
巨乳、というわけではなさそうなことだけは少しエルキュールにとっては残念ポイントである。
(まあでも、この容姿で巨乳は似合わないか)
顔と体型には、合う合わないがある。
エルキュールの勝手なイメージではあるが……気の強い女性には巨乳は似合わない。
などと下世話なことをエルキュールが考えていることを知ってか知らずか、ソニアはエルキュールを睨みつけながら、吐き捨てるように言った。
「ジロジロと見るな、気持ちが悪い」
「酷い言い草だな」
エルキュールは肩を竦めた。
そして自分の背後に立っていた女性たちを紹介する。
「紹介しようか、こちらの女性がルナリエ。俺の妻で、ハヤスタン王国の女王だ」
「お初にお目に掛かります、ソニア姫殿下。ルナリエ・ユリアノスです」
ルナリエはソニアに対し、会釈をした。
ルナリエはエルキュール以外に対しては、案外対応が丁寧なのだ。
「こちらの女性はアリシア。まだ妻ではないが、婚約者だ。ブルガロンの有力氏族の娘だ」
「アリシア・クロムだ……初めまして」
アリシアは素っ気なく言った。
ルナリエとは違い、アリシアは逆にエルキュール以外の相手に対しては対応が少し粗雑になる。
「で、こちらはもう知っていると思うが、ニア・ルカリオス。俺の大切な臣下だ。……こいつが随分と無礼な物言いをしたようだね。私から謝らせて貰おう。ニア、お前もしっかり謝れ」
「……今までの御無礼をお許しください。ソニア姫殿下」
ニアは物凄く不満そうな顔でソニアに対し、頭を下げた。
尚、ニアは全身をマントで包んでいた。
その下は当然、水着である。
そのためソワソワと落ち着きの無さそうな表情を浮かべている。
エルキュールは本当に水着だけで歩かせようとしたのだが……
ニアから部下に示しがつかなくなるから、せめて何かを羽織らせてくれと懇願されたので、今晩はエルキュールたちの玩具になることを条件に、特別にマントで身を隠すことを許したのだ。
また仮にも大貴族のお姫様に出会うのに、水着一枚というのも相手に無礼だろう……という理由もある。
ルナリエたちからの自己紹介、そしてニアからの謝罪を受けたソニアはそれを鼻で笑った。
「……名乗られずとも、知っている。そっちはレムリア皇帝に体を売って、軍隊を雇っている娼婦で、もう一人は国を裏切った雌犬だろう?」
これにはルナリエとアリシアもイラっと来たのか。
顔を顰めた。
大人しい性格のルナリエでさえも不機嫌そうな表情を浮かべており、エルキュール以外に対しては態度が大きいアリシアは目を吊り上げて怒りをあらわにしている
ソニアはルナリエの方を向いた。
「ベッドの上で腰を振ることしか能が無い女が女王とは、ハヤスタン王国も堕ちたものだ。もしそこのレムリア皇帝が死んだら、今度は誰の寝床に潜り込むつもりだ? 邪教徒のファールス王か? それともあの詐欺師の異端者、フラーリング王か?」
「……小娘が」
ルナリエは特に反論をしなかったが、苛立たしそうな様子で小さく呟いた。
次にソニアはアリシアの方を向いた。
「よくもまあ、人様に顔向けできるな。公衆の面前で全裸にされ、靴を舐めさせられ、その上祖国を敵国に売り飛ばす……私ならば自害するぞ。それとも人前で肌を晒して興奮するような性癖でもあるのか?」
「あまり調子に乗るなよ」
アリシアはソニアを睨みつけ、低い声で言った。
その手はわなわなと震えており、右手が今にも腰の剣に届きそうだ。
最後にソニアはニアの方を向いて……
嘲笑った。
「薄汚い
「だ、誰が……」
ニアはソニアを口汚く罵ろうとするが……
すぐ近くにエルキュールがいることを思い出し、口を閉じた。
暴言を言ったことに対するお仕置きと称して、マントを没収される可能性があるからだ。
「男に尻を振らないと一人では何もできない売女共が」
ソニアが吐き捨てるように言うと、ついにアリシアの怒りが爆発した。
「もし陛下に丁重に扱えと言われていなければ、斬り捨てていたところだぞ、この雌犬が!!」
アリシアは剣を引き抜いて、怒鳴り散らした。
「雌犬はそっちだろうが。レムリア皇帝の飼い犬が」
「黙れ、犬っころの劣等種! 犬もどきの珍種! 半獣が!」
「私は犬ではない……誇り高き狼だ! この長耳猿!! 野蛮人!!」
互いを人種差別用語を使って煽り合うソニアとアリシア。
エルキュールは何故この世から人種差別というものが無くならないのか、その理由を悟った。
「皇帝陛下。ニアで遊ぶのは今度にして、今晩はこいつを痛めつけよう」
「珍しいな、ルナ。そんなにムカついたか?」
「あいつの耳と尻尾の毛を毟り取って、絨毯に加工してやりたいくらいには」
珍しくルナリエも怒り心頭のようだった。
ちなみにニアは懐のナイフを触りながら、チラチラとエルキュールの様子を伺っている。
もしエルキュールがニアの方を向いて頷きでもしたら、すぐにでもニアはソニアに向けてナイフを投擲するだろう。
「アリシア、そこまでにしておけ」
「し、しかし……」
「やめろ。命令だ」
エルキュールが語気を強めて言うと、アリシアは引き下がった。
それからエルキュールはソニアに向けて言った。
「あまり私の妻や婚約者、臣下を罵倒しないで貰いたいね。ソニア姫」
「ふん……私は事実を言っただけだ。文句があるなら、煮るなり焼くなり、好きにしろ」
「ほう……」
ソニアの言葉に、エルキュールは口角を上げて笑った。
わざと嗜虐的な笑みを浮かべつつも、頭は冷静に、ソニアの様子を観察する。
(……少し足が震えているな)
よく見ると、ソニアが内心では怯えているのがよく分かる。
こちらへの煽りは強がりの一種と受け取るべきだろう。
(ニアの奴め、相当脅したな?)
売り言葉に買い言葉で、ニアとソニアが口喧嘩をする様子がエルキュールの脳裏にはありありと思い浮かんだ。
その途中にニアはソニアに対して、先程風呂場でしたような脅し文句をソニアに散々言ったのだろう。
何しろ、エルキュールには外国の有力貴族のお姫様、つまりアリシアを公衆の面前で全裸にさせ、辱めた前科がある。
ニアの脅し文句も、ソニアには現実味を帯びているように感じたはずだ。
「ソニア姫殿下。一つ、約束して欲しいことがある」
「な、何だ! この色狂いの変態皇帝!!」
「暴言は良いが、暴力は止してくれ。つまり暴れないで欲しいということだ……お互い、無益に体を傷つけ合うことはしたくあるまい? それさえ約束してくれれば、すぐに牢からだし、丁重に扱わせて貰う」
エルキュールがそう言うと、ソニアは疑うような表情でエルキュールを見てから……
小さく頷いた。
「はぁ……」
ソニアは小さく溜息を吐いた。
ソニアが今、いるのはテリポル市のとある屋敷の一室だ。
久しぶりのふかふかのベッドに、ソニアは横になる。
今までの冷たい床に藁と粗末な布を敷いただけのベッドと比べればはるかに快適で、そして安心感がある。
ソニアは周囲を見渡した。
ベッドの他には大理石のテーブルや、木製の椅子、小さなクローゼット、タンス、聖書を含め十冊ほどの本が入れられた本棚。
壁には絵画、タンスの上には東方産の磁器、本棚の上には花瓶が置かれている。
身に纏っている衣服も、レムリア風ではあるが……
生地は上質で、お洒落で可愛らしいものだった。
少し前までの牢での生活とはまるで違う。
牢での生活はソニアにとってはかなり辛いものだった。
幾度も戦場で戦い、野営の経験もあるとはいえ……それでもソニアは大貴族の令嬢である。
そんなソニアにとって、冷たく冷え込んだ暗い密室で日々を過ごすのは、相当な精神的負担になっていた。
服も今までの上質な亜麻や絹、羊毛の衣服から、着慣れない麻のごわごわしたもので、さらに寝床は藁に布を掛けただけである。
食事も冷たく冷えたもので、さらに毒殺を警戒しなければならなかったので、とても娯楽にはならなかった。
用を足すため厠に行くこともできず、壺で行い……
それを異性の兵士に運ばれるのは屈辱だった。
時折やってくる
加えて、恐ろしいのは看守が男であり、そしてソニアの牢の鍵を持っているということだった。
もしも深夜、看守が鍵を開けて、複数人でソニアを襲えば……
手枷で自由を封じられているソニアは、あっさりと犯されてしまうだろう。
女捕虜が兵士や看守に犯されるのは、決して珍しいことではない。
自分はやられない、などと思えるほどソニアは楽観的ではなかった。
しかし今日からはその恐怖からは解放される。
ソニアを監視・警護しているのは
「思ったより、紳士的だったな」
ソニアは今日、自分の牢に来たレムリア皇帝の顔を思い浮かべて、呟いた。
レムリア皇帝の前評判はお世辞にも良いとは言えない。
加えて……レムリア皇帝の部下の
最低でも処女を奪われることは覚悟していた。
しかしソニアが散々、煽り、悪口を言い、暴言を吐いたのにも関わらず、レムリア皇帝は怒らなかった。
それどころかお風呂を手配し、簡単な温かい食事を用意してくれて、さらには快適な部屋まで与えてくれた。
「……でも、油断するな。ソニア」
ソニアは自分に言い聞かせるように呟いた。
もしかしたら食事に怪しいもの、それこそ媚薬の類を仕込んでくる可能性だってある。
「ソニア姫殿下、皇帝陛下がお呼びです」
ドアの向こう側から兵士が呼びかけてきた。
体調不良を言い訳に拒否もできるが……しかしここまで丁重に扱ってくれた相手に対し、無礼な態度を取れるほど、ソニアは育ちも性格も悪くなかった。
何より、レムリア皇帝の機嫌を損ねて牢に戻されることを考えると、とても仮病を使う気にはなれなかった。
ソニアは立ち上がり、女性騎士に警護されながら、レムリア皇帝の元へ向かう。
「ソニア姫殿下、さっきぶりだな」
レムリア皇帝エルキュール一世は屋敷の中庭にいた。
白い丸テーブルの前に座っている。
そのテーブルの上には紅茶とケーキが用意されていた。
「一緒にお茶でもしないか?」
レムリア皇帝はティーカップを持ち上げて言った。
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