第9話 世界外交 急

 ササン八世の言いたいことはこうだった。


 もともとは黒突に隠れてこっそりやる予定だったけど、そもそも黒突が最初に裏切ったわけだし、シェヘラザードも結婚するわけだから友好関係をアピールするためにド派手にやろうぜ。

 

 だから少し調印は待って、もう一度練り直そうという……それだけの話である。


 「結婚式だが、二年後くらいで良いかね」


 ササン八世はエルキュールに尋ねた。

 エルキュールは少し考えてから首を横に振った。


 「いや、一年以内だな」

 「ふむ、理由を聞いて良いかね?」

 「簡単だ。……一年以内に済ませないと、もしかすると、この戦争が終わったら結婚しよう、ということになる」

 「なるほど、分かりやすいな」


 ササン八世は肩を竦めた。

 軍事情報を漏らした形にはなるが……結婚式を急がせるには、やはり相応の理由が必要になる。


 「まあ、間に合わないこともない。では急いで結婚式の準備をしようか」

 「ああ。私は急いで国に帰り、ドレスと会場の準備をしておく」


 急遽、決まった電撃結婚。

 結果としてレムリア帝国、及びファールス王国の官僚たちはてんやわんやの大騒ぎとなった。


 結婚というのは立派な政治活動なのだ。

 それが急に決まったのだから、当然である。


 経費を絞り出さなければならず、さらに外交交渉で招待客も呼ばなければならない。

 大イベントなのだ。

 

 取り敢えず、エルキュールは帰国するということで席を立った。


 「ところでニア、なんか機嫌悪そうだが……どうした?」

 「……別に、何でもないです」


 生理でも来たか?

 と、一瞬エルキュールは言いかけたがさすがのニアも怒りそうなのでやめた。







 帰国したエルキュールはことの概要をシェヘラザードに説明した。


 「ふぇええええ!! け、けこ、結婚ですか!!」


 シェヘラザードは目を大きく見開いた。

 顔が真っ赤に染まる。


 「そ、そんな、と、突然……」

 「嫌だったか?」


 エルキュールが尋ねるとシェヘラザードは首を大きく横に振った。


 「い、いえ、そ、そんなことは……ないです、けど……」

 「じゃあ良かったじゃないか」


 エルキュールがそう言うとシェヘラザードは小さく頷いた。

 同時に胸が一瞬、揺れる。

 やはり素晴らしいなとエルキュールは思った。


 「ついにシェヘラザードも結婚ですか」

 「少しは嫉妬でもするのかと思ったのだが……落ち着いているな」


 エルキュールは少し残念そうに言った。

 するとカロリナは肩を竦めた。


 「今更じゃないですか」

 「それは否定できない」


 日頃の行いというやつだ。


 「シェヘラザードは純血ですよね?」

 「はい、そうですよ。カロリナ」


 シェヘラザードは頷いた。

 カロリナは笑みを浮かべた。


 「素晴らしいことです。陛下は優先的に、それも今日からシェヘラザードを抱いてください」

 「な、何を言ってるんですか!」


 シェヘラザードは顔を赤くした。

 当然の反応だが……


 「陛下には男児を作って貰わなければならないのです。当然でしょう? 純血長耳族ハイ・エルフの正妻が私だけなのは、とても気掛かりでしたから」


 カロリナは安堵の表情を浮かべて言った。

 カロリナが安心しているのはレムリア帝国のことを思って、ということもあるが……

 それ以上に自分に圧し掛かる責任が分散されたから、ということが大きい。


 エルキュールは特に気にしてはいないが、やはり周囲はカロリナに男児を求めるのだ。

 しかし男子女子の産み分けは、気合いや根性でできるようなものではない。


 それこそ天運任せである。


 ただでさえ、長耳族エルフは不妊傾向が強い。

 女子ばかりだったら、カロリナは責められる。


 だがシェヘラザードという別の腹が存在すれば、別にカロリナが女児ばかりを産んでも……

 シェヘラザードがいるから大丈夫、ということになる。

 

 二人揃って女子ばかりでも、その時は矛先が二人に向く。 

 互いに励まし合うこともできる。


 まあ悪い話でもないのだ。


 無論、当然「できれば我が子に皇位を継いで欲しい」という思いもあるので敵対することもある。

 だが現段階、産まれてもいない我が子の、それも百年以上先の皇位を心配するほどカロリナは母親に成り切れていなかった。


 「べーつにそこまで身構えんでも良いぞ。ティトゥスとティトゥスの子供がいるからな」


 もっともエルキュールはあまり自分のDNAに拘りはなかった。

 エルキュールにとっては自分の息子が継ぐのも、兄の子供が継ぐのも大差ないのだ。


 優秀であれば、それでいい。 

 そもそも自分の死後まで責任は持てない。


 「そ、そういうことでは、なくてですね! 婚前交渉など、いけません! ふしだらです!!」

 「……」

 「……」

 

 エルキュールとカロリナは視線を交わし合い、肩を竦めた。

 どうやら二人はふしだらだったようだ。


 「そもそもメシア教徒の代表、指導者である姫巫女メディウムが……」

 「何か、仰いましたか。エルキュール様」

 

 エルキュールが言い掛けたその時、後ろから声が掛った。

 銀髪の髪の美少女が額に青筋を浮かべていた。

 エルキュールは仰々しく、両手を広げた。


 「おお! これは主の代理人、我らの親愛なる姫巫女メディウム猊下ではありませんか! どうしてこのようなところに?」

 「……わざとらしいにも程がありますね」


 セシリアは拳を軽く握り、ポカっとエルキュールの胸を叩いた。

 そして軽く咳払いをする。


 「こほん、えー、シェヘラザード姫殿下。ご結婚が決まったと聞きました。一先ず……そうですね。おめでとうございます」

 「これは姫巫女メディウム猊下! ありがとうございます!!」


 婚前交渉はダメだと主張する生粋のメシア教徒であるシェヘラザードは、メシア教の一番偉いお方に祝われ、嬉しそうだ。

 もっともそのメシア教のお偉いお方はもう一人のお偉いお方と、大変不健全な遊びをしていらしているが、シェヘラザードはそのことを知らない。


 勘付いているカロリナだけがその奇妙な景色を見て、苦笑いを浮かべた。


 「姫巫女メディウム猊下も婚前交渉はよくないと思いますよね?」

 「え、え? あ、い、いや、その……」

 

 セシリアの目が泳いだ。

 姫巫女メディウムという立場にあるため決して問題無いとは口では言えないが、しかし問題だと言い切るほど厚顔無恥ではなかった。


 「そうだ、シェヘラザード。お前には一時、帰国して貰う」


 エルキュールは咄嗟に助け舟を出した。

 シェヘラザードの視線がエルキュールに向く。


 セシリアはホッと一息ついた。


 「帰国、ですか?」

 「ああ。嫁いだら本格的に戻れなくなるからな。帰って何もすることが無いというなら別だが、多少はあるだろ?」


 エルキュールが尋ねるとシェヘラザードは頷いた。


 「そうですね。……お母様にもお会いしたいですし。それに皇帝陛下と結婚するわけですから、もう強制改宗の心配もないですね」


 娘をやる、とまで言っているササン八世がわざわざシェヘラザードを改宗させるとは考えられなかった。

 よほど戦争をしたいのであれば、話は別だが。


 「ところで陛下。黒突には断りを入れますか?」

 「まあ、それはな。最低限……ね。俺は黒突とは仲良くやりたいからね」


 実は先日、黒突からファールス王国と婚姻関係を結ぶことになったことを謝罪……はしないにしても、申し訳なく思っているという意思を伝えるために使者がやってきたところだった。

 

 故にエルキュールも全然気にしていないと返答しつつ、ファールス王国と婚姻関係を結ぶことになったことを伝えた。

 無論、ただそれを伝えただけだとササン八世によるレムリア・黒突間の離間工作が成功してしまう。


 エルキュールはそれを危惧し、貿易の拡大を申し出た。

 無論、黒突優位の貿易である。


 少なくとも戦争が終結するまでは間接的に支援するという意志を伝えている。


 エルキュールが一方的に譲歩した形にはなるが……

 それだけ黒突との同盟関係は重要なのだ。


 「まあ、ともかく一年後だ。時間的余裕はあまりないということは、念頭に置いておいてくれ」


 エルキュールはシェヘラザードに言った。

 シェヘラザードは小さく頷いた。


 「ところで陛下。その……私は側室、ということになるんでしょうか? あ、いえ、他意はないです。ちょっとした確認を……」

 「いや、正室、正妻だが」


 エルキュールが答えるとシェヘラザードは目を見開いた。


 「え、でも正室はカロリナじゃ……」

 「別に正室が二人いても良いだろう」 

 「え! い、いても良いんですか?」


 シェヘラザードはセシリアの方を見た。

 メシア教会としての立場、メシア教的にそんなことが良いのか聞きたいのだろう。


 セシリアは軽く咳払いをする。


 「こほん、えー、そもそもですね。メシア教は一夫一妻、つまり重婚は禁じています」 

 「まあ聖書にそんな記述はないけどな。かの六星教徒の魔導王も妻を七百人娶ったと……」

 「陛下!」

 

 エルキュールが口を挟むと、セシリアは怒ったような声を上げてそれを制した。

 余計なことは言うな、ということだ。


 そもそもメシア教の一夫一妻制度はレムリア帝国の慣習である。

 レムリア帝国、長耳族エルフは昔から一夫一妻が原則であり、そんなレムリア帝国でメシア教が広がる間に、それに順応する形で教義が定められた。


 「神が人をお作りになられた時、男女を一対一で作りました。ですから、原則として一夫一妻です。しかし男性が少なく、女性が極端に多いような状況になると……多くの女性が夫を持てず、困窮することになります。そういう時、神は一夫多妻をお許しになられました」


 セシリアは淡々と教会の見解を述べる。


 「古代の王たちの場合、彼らには世継ぎを後世に残さなければならないという義務がありました。ですから、この時も特例として神はそれをお許しになられたのです」


 レムリア皇帝の一夫多妻が許されているのはそれが宗教的根拠である。

 と、セシリアは語った。


 「そして正妻・正室が複数いても良いのか、という質問ですが……先程言った通り原則、妻は一人なのです。そして特例で複数の妻を設ける場合は当然、一対一の場合と同様に妻を愛さなければなりません。つまり優劣をつけてはいけないのです。ですから正妻・正室が複数いることは問題ありません。むしろ扱いに差があってはならないのです」


 と、ここで一つ疑問が湧く。

 では側室や妾の存在はどうなのかと。


 それについてシェヘラザードが聞くと……


 「側室に関しても、我々メシア教会は対等に妻であるという認識です。ただ……その子供に皇位継承権があるか、というだけの話です。それは俗世の問題ですから。妾については我々メシア教会は認めておりません。が、しかしメシア教徒同士の間に生まれた子供は、メシア教徒として洗礼を受け、祝福されなければなりません」


 理路整然とセシリアは答えた。

 尚、妾について「結婚の奇蹟を受けていない男女が快楽を目的に性交渉を行うのは罪である」と言わなかったのは後ろめたかったからだ。


 「なるほど……つまり私もカロリナも、正室になるということですね?」

 「その通りです。そもそも正室と側室の間に扱いの差が生じることは禁じられているため、正室であろうとも側室であろうとも、問題はないと思いますが。ねぇ、陛下。妻はみな、対等ですよね?」


 セシリアは念を押すように言った。

 エルキュールは大袈裟に頷いた。


 「無論だとも! 俺はみんなを平等に愛しているさ……まあ俺の妻はまだカロリナとルナだけだが」


 一瞬、セシリアやニアなども含めてしまい……

 エルキュールは慌てて、「みんな」の部分も否定する。


 そんなエルキュールに対し、セシリアもまた大袈裟に、満足気に頷いた。


 「だ、そうです。ご安心してください、シェヘラザード姫殿下」

 「はい、良かったです!」


 シェヘラザードは嬉しそうに頷いた。

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