第12話 アスティアの戦い 前
「さーて、どうするかね。トドリス」
ブルガロン軍がブルガロン王国に帰還したのを確認すると、エルキュールたちもノヴァ・レムリアに帰還した。
そしてエルキュールはすぐにトドリスを呼び寄せて、そう尋ねた。
トドリスは熟考してから答える。
「一度講和を申し込んでみたら如何でしょうか? 今までのようにいかないことは連中も分かったはずです。貢納金を停止し、不可侵条約を結ぶことができれば十分目的を達成できたと考えても宜しいかと」
「連中との不可侵条約なんて、大して当てにならんだろう。我が国の北、それも首都から三百キロも離れていないところに蛮族が割拠している事実は変わらん」
レムリア帝国の首都ノヴァ・レムリアは三方を海に囲まれた天然の要害である。
が、しかし海に面していない陸側というアキレス腱が存在する。
それを補うために二重の城壁が築かれているのだが……
それでも弱点であることは変わらない。
ブルガロン王国はいつでもそこに攻撃することができるのだ。
これではノヴァ・レムリア市民も安心できないだろう。
「ですが……」
「ああ、分かってるさ。本当は今回の戦争で連中の戦力を減らして、今後数十年の脅威を緩和させるつもりだったんだ。それが頓挫したんだ、ならば次善の策しかない。講和を申し込んでみよう」
エルキュールも長々とブルガロン王国と戦争をするのは本意ではない。
長期間の戦争はレムリア、ブルガロン双方にとっても利益がない。
「トドリス、お前が交渉してこい。条件は貢納金の停止と不可侵条約、あとは交易だ」
「分かりました、陛下」
「講和、か」
コトルミア氏族、氏族長にして全ブルガロン氏族の代表。
ブルガロン王国、国王は不愉快そうに呟いた。
ブルガロン王がいるのはユルトと呼ばれる巨大なテントのようなものだ。
ブルガロン人は定住をせず、この巨大なテントを持ち運び遊牧しながら生活をする。
そのため彼らの国家観はレムリア帝国を始めとする農耕民国家とは大きく異なる。
農耕民たちにとって、国には必ず土地がある。
国土、という言葉の通り土地そのものが国と言っても良い。
だが土地に縛られないブルガロン人たちの場合は少し異なる。
彼らにとって国とは人の集まりである。
土地が無かろうとも、人の巨大な集団さえあれば国なのだ。
ブルガロン王はこの場に集まったブルガロンの各氏族たちの長を見渡す。
彼らの表情は様々だ。
「我が友人たちよ、レムリアからの講和。受けるべきだと思うか?」
ブルガロン王は氏族長たちに問いかけた。
ブルガロン王国は各氏族たちによる同盟によって成立している氏族国家であり、ブルガロン王はその代表に過ぎない。
確かにコトルミア氏族はブルガロン王国最大の勢力を誇るが、単独で過半数を超えているわけではない。
またその支配に不満を持つ氏族も多い。
『友人たち』という表現はまさしくブルガロン王国の国政を表している。
しょせん、ブルガロン王とて一人の氏族長でしかないのだ。
ちなみにブルガロン王とその関係が『友人同士』であるとするならば、レムリア皇帝とその家臣の関係は『主人と奴隷』である。
特にレムリア皇帝と官僚の関係はそれが顕著だ。
奴隷が己の主人に対して呼びかけるのと同様にレムリア帝国の官僚たちは皇帝に対して「我が主人」と呼びかけ、そして皇帝も官僚を奴隷のように手足として使うのだ。
ブルガロン王が『皇帝』を名乗るのは、そのようなレムリア帝国の国政への憧れからである。
「受けるべきだと、私は思います。王よ」
そう言ったのはブルガロン王国の中では三番目の勢力を持つテリテル氏族の族長であった。
テリテル氏族長は元々レムリア帝国との戦いには否定的だったのである。
事実、彼は殆ど兵力を今回の戦争で供出していない。
申し訳ない程度の兵力だけを出したのだ。
「恐れながら……王よ、どうか和平を結んで頂けませんか? 我が氏族の若者たちがレムリアに囚われているのです!」
そう主張したのはトゥラーム氏族の族長であった。
ブルガロン王国では下から二、三番目ほどの勢力であり弱小氏族である。
故にコトルミア氏族には逆らえず、多数の若者を戦場に送り出していた。
人口が少ない弱小氏族にとって、男手を取られるのは致命的だ。
トゥラーム氏族の族長の言葉を聞き、同じ立場にいる弱小氏族の長たちは一斉に和平を支持する。
会議全体が和平に傾き始めた時……
「私は受け入れるべきではないと思います」
一人の男が口を開いた。
ブルガロン王国に於いて二番目に勢力を持つ氏族、クロム氏族の氏族長である。
「ふむ、どうしてだ?」
「講和を受け入れることは敗北を認めることであります。もし敗北を認めれば、農耕民たちへの支配が揺らぎます」
ブルガロン王国は決してブルガロン人だけの国ではない。
いや、むしろブルガロン人よりもその支配下の農耕民たちの方が多いのだ。
もし彼らがレムリアと同調して反乱を起こせば、ブルガロン王国の支配体制は引っくり返りかねない。
「そもそも戦には勝った、負けたはつきもの。今までの連戦連勝が異常だったのです。我々の相手はあの悪名高きレムリア皇帝エルキュール一世。ここで敗北を認めれば、あの男は真綿で首を絞めるように我らを少しづつ追い詰めていくでしょう。……あの残虐な男がやった所業は皆伝え聞いているはず」
ローサ島での一見はメシア教世界だけではなく、その外であるブルガロンやファールスにも伝わっていた。
教義が少し異なるとはいえ、同じ神を信じる同胞にあれだけ惨いことする男だ。
そもそも信じる神が異なる相手にどれほど残虐なことをするか……
と多くの者たちは恐れを抱いていた。
「勝って、我らの強さを見せつける必要がございます。そうすればレムリア皇帝も易々と我らには手を出さないでしょう」
「なるほど……ではもう一度遠征軍を送るか?」
「いえ、その必要はありません。彼らは自らブルガロンの地にやってくるでしょう。地の利は我らにあります。このブルガロンの地で、レムリア皇帝を倒すのです」
ブルガロン王は満足気に頷いた。
防衛戦争というのであればテリテル氏族のように非協力的な氏族も兵力を供出する。
「良い案だ。一度の敗北で膝を折ったら先祖に申し訳が立たない。我らは誇り高き、勇猛なブルガロンの民。決してレムリアなどには屈したりはしない。講和は受け入れない」
ブルガロン王はそう宣言した。
コトルミア氏族とクロム氏族が賛同に回ってしまえば、ブルガロン王国にはこれに逆らえる氏族など存在しない。
斯くしてブルガロン王国はレムリア帝国からの講和の申し込みを拒絶した。
「ふむ……講和拒否か、仕方がない。攻め込むか……」
エルキュールは溜息混じりに言った。
そんなエルキュールにルナリエが尋ねる。
「陛下は攻撃の方が好きなんじゃないの?」
「相手が同じ土俵の農耕民族ならそうさ。だが連中は騎馬遊牧民。機動力が段違いだ。俺の戦略が通じない」
エルキュールの戦略は機動力に物を言わせて、戦争の主導権を握り続けることにある。
だが歩兵を随伴するレムリア帝国の軍隊と、騎兵のみで構成されるブルガロン王国の軍隊では機動力では勝負にならない。
どうしても主導権を奪われてしまう。
「今回のように攻め込ませるのならばともかく、攻め込むのはな……地の利はあちらにあるわけだし」
エルキュールは頭を掻いた。
とはいえ、このまま戦争が長期化するのはエルキュールとしては望むところではない。
「じゃあ勝てないってこと?」
「そういうわけでもない。決して付け入る隙がないわけじゃないからな」
エルキュールは勝てない戦はしない。
勝てる見込みがあるからこそ、エルキュールはブルガロンとの戦端を切ったのだ。
「例えばだ……騎兵の質にムラがある。具体的にはコトルミア氏族やコトルミア氏族と友好的な氏族の騎兵と、その他ブルガロンの騎兵では練度に差があった」
「練度に? それは……どうして?」
ルナリエは首を傾げた。
政治に関してはある程度分かるルナリエも、軍事に関しては少し疎い。
「コトルミア氏族は長年、我が国からの貢納金を横領してたんだよ。それで贅沢な生活をしていたから、騎兵の質が落ちている。おこぼれを貰っていた友好氏族も同様だ。クロム氏族の騎兵は他のブルガロン騎兵と優るとも劣らない強さだったが」
クロム氏族がコトルミア氏族に接近したのは最近のこと。
そのためクロム氏族は未だに質実剛健な生活文化を維持していた。
「それにブルガロン王国は過半数が農耕民族で、ブルガロン人から支配されている。メシア教徒の数も多いし、多くの修道士を送り込んでいる。どうにかしてその対立を利用できれば勝てる」
元々完全勝利は狙っていない。
条件付きで勝ち、上手く今後の安全保障さえ確定できれば良いのだ。
「その言い方だと、すでに工作は済んでいるの?」
「ブルガロン人は元々一枚岩の国家じゃないさ。先帝の時代から密かに交流している部族はそこそこいるんだよ」
「反乱を起こさせるの?」
「さすがにそれは無理だな」
親レムリアであることが、イコールでレムリアの配下であるわけではない。
自らの利益のために親レムリア的態度を取っているだけであり、決してレムリアの利益のために働こうという意識があるわけではないのだ。
よほど追い詰められないかぎりは反乱など、起こさないだろう。
「だが講和を促したり、仲介させるくらいはできる。それに合わせて農耕民の連中の蜂起も組み合わせれば、有利な条件で講和を結べる」
しょせん、戦争は外交の一手段に過ぎない。
戦争での勝利に拘る必要は無いのだ。
「何はともあれ、今度はこちらから行動しなければ話にならない。ルナリエ、兵站の方は頼んだぞ。大兵力を送るつもりだから」
「了解、陛下」
それから数週間後、エルキュールは国境の守りを屯田兵に任せ……
常備軍の全て。
即ち歩兵四個軍団、弓兵一個軍団、
合計八七六〇〇の兵を率いて、ブルガロン王国に侵攻した。
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