第19話 砂糖

 「兵力が足りんな」


 「常備軍があるではありませんか」


 「あれでは全く足りん」




 エルキュールの言葉に、カロリナは不思議そうに首を傾げた。


 カロリナからすると、十分に強力な軍隊があるように感じてしまう。




 「そもそもだが、カロリナ。我が国の周辺にどんな国があるか、理解しているか?」


 「当たり前です。人を何だと思っているんですか」




 そう言って、カロリナは一つ一つエルキュールに説明する。




 まずはレムリア帝国最大の敵国、ファールス王国。


 ファールス帝国とも呼ぶ。


 レムリア帝国に匹敵する国力を持つ、大国だ。




 宗教は正義・法・炎の神アブラ・ダズル神を最高神とする多神教。


 聖火教である。




 レムリア帝国とファールス王国は双方を互いに滅すべき悪魔の国だと考えているので、紛争が絶えない。


 尚、現在は停戦中である。




 というのも、エルキュールの父であるハドリアヌス三世がファールス王国国王ササン八世に二度も敗北し、多額の貢納金を支払うことで和平を結んだからである。




 この多額の貢納金はレムリア帝国の国庫を圧迫している。




 レムリア帝国の敵国はこれだけではない。


 もう一つ、北西の遊牧国家ブルガロン人の国家、ブルガロン王国が存在する。




 (※本人たちは帝国を自称してはいるが、レムリア帝国を含めてどの国も認めていないので以後ブルガロン王国と記載する)




 この遊牧民たちは遥か東方からやって来た民族で、そもそもこの辺り周辺の民族とは全く肌も顔の造形も違う。




 モンゴロイド。


 と言えば分かりやすいかもしれない。




 このブルガロン王国は何度もレムリア帝国に攻め入っており、三度もノヴァ・レムリアを包囲したことがあるほどの強国である。


 この国とも、レムリア帝国は貢納金を支払うことで和平を結んでいる。




 そして西方には同じメシア教だが……教義の異なる諸国家が割拠している。


 彼らとレムリア帝国の関係は、現状小康状態を保ってはいるが……




 いつ転ぶか分からない。




 という具合にレムリア帝国は全方面がほぼ敵というとても素敵な状態になっていた。




 「ハッキリ言って、貢納金を支払うというのは一時凌ぎとしては悪くないが……生殺与奪権を握られている状態は非常に悪い。早いところ、ちゃんとした軍備を揃える必要がある」


 「それにはどれくらいの兵力が必要なのですか?」


 「最低でも、歩兵だけで十万は要るな」


 「じゅ、十万……」




 現在、レムリア帝国の軍事力は歩兵約二万と弓兵一万、騎兵一万の合計四万。


 ここからさらに歩兵を八万増やし……それを支援する弓兵と騎兵も揃える必要がある。




 「まあ、理想は歩兵十五万と騎兵五万、弓兵二、三万程度かな」


 「……今の三倍ですか。できるんですか」


 「今は無理だな」




 無理、とは言うが実はやろうと思えば出来ないこともない。


 そう、とてつもない重税を掛ければだが。




 もっとも、それをやればあっという間に国が傾き、内部から崩壊することになるだろう。




 「税収があと、二倍に増えれば揃えられるのだがな……」


 「二倍に増やすのも難しいですが、仮に二倍に増えても二十万以上の軍は揃えられないのでは?」


 「いや、俺の計算が正しければ揃えられる」




 もっとも、少々裏技を使うことにはなるが。




 「傭兵を雇うのはダメですか? 臨時で雇えば安上がりですよ」


 「あまり傭兵は好きじゃないな」




 勝手に略奪を繰り替えし、戦況が悪く成ったら逃げる。


 それが傭兵という存在だ。


 代替手段が無いのであれば使わざるを得ないが、出来れば使いたくない存在だ。




 「一先ず、税収を二倍に増やしたい」


 「……増やせるんですか?」


 「できないことは無い」




 現在、珈琲と骨灰磁器の本格的な生産が始まりつつある。


 あと、十年もすればレムリア帝国の一大産業になるのは間違いない。




 だが、まだ足りない。


 工業製品も決して悪くは無いが……


 やはり、最も外貨を稼ぐのに効率的な手段は……




 「やっぱり、砂糖栽培が一番だと思うんだよね」


 「砂糖?」




 カロリナは首を傾げた。
















 エルキュールの目の前には二種類の白い粉があった。


 吸うと気持ちが良くなる粉ではない。


 舐めると気持ちいかもしれないが……別に怪しいモノではない。




 ただの砂糖である。


 違いは二種類あることだ。




 「カロリナ、舐めてみてくれないか」


 「砂糖……ですか? 別に構いませんが……」




 カロリナは右の砂糖を手で掬い、ペロっと舐める。


 うん、甘い。




 「砂糖ですね」


 「じゃあ、左は?」




 カロリナは首を傾げながら、左の砂糖を舐める。


 うん、甘い。




 「砂糖ですね」


 「違いが分からないか?」


 「うーん……左の方が不味いですね。雑味があります」


 「その通りだ」




 右の砂糖はエルキュールが海外、つまり東方から輸入した砂糖である。


 原料はサトウキビ。




 一方、左は……




 「飼料用の甜菜から作った砂糖だ」


 「え? あの甜菜ですか?」




 カロリナの知っている甜菜は、葉っぱを食べたり、根っこを食べたり、牛や馬に与える餌。


 少なくとも砂糖にはならない。




 「まあ、成功するかどうかは五分五分だったんだけどね」




 この世界では、砂糖は香辛料の一種として扱われている。


 基本、蜂蜜や果物程度しか甘味が無いので砂糖は非常に貴重で、高値で取引される。




 この砂糖はファールス王国経由でレムリア帝国に輸入されるので……


 砂糖を輸入すれば外貨が流出し、同時に敵国であるファールス王国を富ませることになる。




 しかし、だからと言って禁輸処置を取るわけにもいかない。


 そこでエルキュールは砂糖を栽培しようと考えたのだ。




 割とエルキュールは甘いモノが好きな方なので、個人的なエルキュールの欲望と合致した。




 さて、問題はどうやって砂糖を栽培するかだ。




 一般的に、日本で流通している砂糖は二種類。


 甜菜から作られた砂糖と、サトウキビから作られた砂糖である。




 この世界では砂糖は基本的にサトウキビから作るモノで、甜菜から砂糖を取り出す方法は確立されていない。




 しかしレムリア帝国では甜菜はごく普通に栽培されている。




 サトウキビは栽培されていないが……商人に命じて大金を支払えばサトウキビとサトウキビを育てられる奴隷を購入することは可能だし、レムリア帝国南方は熱帯地方なので栽培することはできる。




 育てるのは容易だが、果たして精製できるか分からない、出来たとして味が保障できない甜菜砂糖。


 入手するのと、大量生産まで時間は掛かりそうだが、確実に精製出来て、味も保障できるサトウキビ砂糖。




 エルキュールは悩んだ。


 そして結論を出した。




 両方やろう。




 というわけで、エルキュールは甜菜からの砂糖精製と、サトウキビ入手の両方を同時並行でやっていたのだった。




 結果、どちらも上手く行った。




 甜菜の砂糖の取り出し方は、概略だけは知識としてあったので何度も試行回数を増やし、改善を繰り返すうちに出来るようになった。


 サトウキビの方は、某クナーラ君と一緒にレムリアに持ち込まれている。




 「凄くないですか! これから、毎日砂糖が食べられるってことですよね!!」


 「……いや、毎日食べたいなら輸入すれば良いだろ」




 別に我が国で砂糖が生産できようとできなかろうと、それは関係ないと言うエルキュール。




 「ガレアノス家の財力では難しいんですよ」




 (どうせ嫁入りする俺の嫁になるんだし、俺が買ってやるんだが……)




 と思ったが、エルキュールは口をつぐんだ。


 さすがに、毎日砂糖を食わせてやるよ、はプロポーズとしては最悪過ぎる。




 「ところで、砂糖で税収が二倍に増えるんですか?」


 「さすがに二倍には増えんだろ」




 エルキュールの行った財政改革だけでも、ようやく一・五倍の増加だ。


 これをさらに二倍に増大させるのには、砂糖だけでは到底足りない。




 「失地回復と荒廃した国土、インフラの復興。地道なことも大切だ」




 当たり前のことを当たり前にするのが大切だ。


 その当たり前のことを当たり前にするのはとても難しいが……




 少なくとも砂糖を栽培したからといって、すぐさまレムリア帝国の国力が上がるなどという事は無い。


 軌道に乗るまでは最低でも十年は必要だろう。




 「まあ、一先ず甜菜から砂糖を作る製法を知っているのは、俺と実験に協力した職人だけ。サトウキビも、持っているのは俺だけだ。両方とも、専売で儲けようと考えているよ」




 大量生産できるようになったら、専売を解除する代わりに砂糖税でも掛けて利益を得るつもりであった。




 「まあ、難しい話は置いて於いて、ショートケーキでも食べないか?」


 「しょーとけーき? 何ですか? それは」


 「甘いお菓子だ」


 「甘い……食べます!!」






 その後、二人は砂糖よりも甘いひと時を過ごした。

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