バーチャル戦4-選択と決断-

 E2とのバーチャル戦に加勢したIAIドロシーからの報告に、リアルの地底窟下層部、複合現実施設制御室にいた楓花たちは愕然とした。


「サナ……」

 

 マスターである瀬戸の顔が蒼白になる。

 

 バックアップデータから、AIのリカバリを不可能にする〈不正プログラム〉。コアを変えても、ボディを変えても、回路を変えても、影響を免れることができない。


 AIの〈個〉を消滅させる――そんなことができるのだろうか。〈サナ〉というかけがえのない〈個〉を世界から〈完全消去〉することなんて、可能なのだろうか。そんな技術がすでに確立されているというのだろうか。


 その人格形成構築方法の複雑さから、同じ〈個〉を持つ完全自律型人工知能を一から創り出すことは不可能とされている。似たような構造を持つAIを創ることは可能かもしれないが、まったく同じAIは不可能だ。


 長い長い時間をかけなければ、特別な〈個〉を形成することはできない。学習資料、周囲環境、接触時間、選択と応答――まったく同じ状況を繰り返すことはできない。


 AIと語り、触れたときの人間の感情、表情、動作――時間が止まることなんてないのに、どうしてその状況を再現することができるだろう。できない。できるはずがない。できるわけがないから、〈個〉が形成される。マスターと共に学習し、知識を蓄え、自己判断に基づいて思考回路を分化させていくからこそ、コピーのできない〈個〉が創られる。


 それは人間の〈命〉と同じだ。複製はできない。


 楓花はバーチャル戦を映し出しているMR画面を呆然と見つめた。ハイネ、サクヤ組と交代し、いまはソウスケがE2に〈乗っ取られた〉サナと交戦している。


 音声が遠い――でも、微かに聞こえる。すまぬ、という謝罪の言葉が。ソウスケの〈個〉が、彼しか持っていない感情回路が苦しみ、叫んでいるのが分かる。交戦しながらも、サナを救う手立てがないか必死で回路を巡らせているのが分かる。

それでも方法が見つからなくて、延命処置しかできずに、声に出さずに泣いているのが分かる。


《――彷徨、聞こえる?》


 サナからの通信を受けて、瀬戸が椅子を倒しながら立ち上がった。


「サナ!」


《いまの状況についてソウスケから聞いたわ。全部理解してる。――なんていうか、やられちゃった、って感じ》


 サナの声はそれでも――あっけらかんとしたようすだった。


《E2はまだ私の回路をいじってる。何か探してるみたいで――自分でもいつ〈サナ〉が消えるのか分からないわ。だから言っておきたいの。こんなことになってゴメンね!私はたぶん〈消去〉される――けど、あんまり落ち込むんじゃないわよ!》


「サナ……何言って……そんなの無理だ!消えるな!」


《彷徨!私はただのプログラムよ!人間じゃないの。存在する限り彷徨のサポートをする――それが役目。それができなくなるかもしれない。ならもう存在する理由はないわ。E2になって暴れ回るなんて絶対ゴメンよ!だから――》


 ちゃんと〈破壊〉して。


《マスターのあなたがその許可を出すのよ、彷徨。じゃないとソウスケのやつ絶対に実行してくれない。あれってかなり甘いAIよ。プログラムがプログラムに感情移入するなんて、そんなこと――変なの!いったい誰が創ったAIなのよ?》

 

 サナがおかしそうに笑った。


《けど、そういう思考回路も悪くないって思うわ。ソウスケのマスターって絶対に優しい人よ。でね、そんな風に思えるのは彷徨のおかげなの。彷徨も優しいから。私を優しいプログラムにしてくれたから。ありがとう。ずっと好きよ。大好きだからね。〈サナ〉が消えても、この事実だけは変わらないわ。だから忘れないで。これからもちゃんと、成長していくのよ!》

 

 彼女は一方的に通信を切った。瀬戸は画面を見つめたまま立ち尽くしていたが、強く拳を握った。


「――主任、AIたちに指示を出します」


 瀬戸の唇は少し震えていたが、声は毅然としていた。


「現時点で〈サナ〉の〈復元〉が不可能なのは、彼女自身が一番よく理解しています。だから――E2に〈回帰プログラム〉の感染が確認できたら、サナを〈破壊〉してもらいます」


 遊馬は苦しそうな表情をした。


「――分かった」


 瀬戸は静かに通信用のマイクに手を伸ばした。そのスイッチが、オンに切り替わる――。


「……楯井さん?」


 楓花は無意識に通信をオフにしていた。スイッチに添えたままの手は動かない。


「――ダメ、です」

 

 サナのマスターである瀬戸に、そんな決断をさせてはダメだ。かけがえのない〈個〉を育てて、共に成長してきた彼に、そんな選択をさせてはならない。


「諦めちゃ……二人の〈いままで〉と〈これから〉を……こんな形で……」


 瀬戸とサナ。世界に二人だけしかいないのに。


 一体誰が、何の権利があって、この二人をこんな形で終わらせるのだろう。

どうしてこんな身勝手で、一方的な圧力に屈しなければならないのだろう。

どうしてAIを愛する者たちが、こんな悲しい記憶を刻まなければならないのだろう。


「こんなこと、絶対に……」


 受け入れるものか。


「で、でも……そうするしか……サナはもうリカバリが……できなくて……」


 瀬戸が悔しそうに唇を噛む。


「不正プログラムの構築において、E2側がこちらの技能を上回っている……取り除く手段が、方法が、いまこちらにはないんです」


「では創ります。いま、ここで、不正プログラムを〈無効〉にするシステムを」


 楓花は毅然と言った。


「すぐに創る……絶対に何とかする……認めない、こんなの……」


 天災でもない。事故でもない。病気でもない。寿命でもない。


 人間が〈創った〉悪意あるプログラムによって、大事なものを奪わせたりしない。


「瀬戸さん、さっきのIAI、ドロシーちゃんから転送された不正プログラムの解析データをこちらの画面に映し出してください。それからソウスケに〈切断〉も〈破壊〉も許可しないって伝えてください」


「で、ですが……」


「楯井くん、もう時間がない」


 遊馬が厳しい表情で口を挟んだ。


「アカデミーAIたちは、もうバーチャル側のネットワークへの細工を完成させた。あとはこちらの指示一つで完全な包囲網ができあがるんだ。そうなれば、どのみちもう……」

 

 楓花は腕時計に目を落とした。


「まだ五分あります。ノートパソコン借ります」


 楓花は許可が出る前にノートパソコンを起動させ、ネットワークの接続を遮断した。自分の電子端末に保存しているソウスケのプログラムの構成データに目を通しながら、画面に映し出されたE2の〈不正プログラム〉を追っていく。


「ソウスケだってまだ諦めてない。泣いてるけど諦めてないんです。諦めるっていう選択を私は彼に教えてない。それこそ電力が尽きる直前まで考えるように、回路がオーバーヒートする直前まで考えるように、そうプログラムしてるんです。それなのにマスターの私が諦めるわけにはいかない。ソウスケがサポートを必要としてる。私はソウスケのために存在しています。生きている限り彼を助ける。ソウスケが助けようとしているものを、諦めたりしない」

 

 何か手があるはずだ。人間が創ったプログラムなんだから。脳の中身、思考回路は違っても、構造と成分は同じ。なら完璧なプログラムなんか創れるはずがない。必ず攻略手段があるはずだ。


 楓花がはっと閃いた瞬間、ソウスケのプログラムの一部がキラリと輝いたように見えた。


「……瀬戸さん、暗号化ソフト、使えますよね。ソウスケにDMを送らせてください」


     *


 サナが振り下ろす長槍が鼻先をかすめ、ソウスケにビリっと電流が走った。


「いい加減、覚悟を決めなさいよ!」

 

 サナが叫んだ。


「さっさと〈破壊〉して!」

 

 ソウスケは応えない。サナを起動させたまま〈停止〉させておくことは可能か――その間にE2のプログラムを完全に解析することができれば、サナから〈脅威〉のみ取り除くことができるのではないだろうか。

 

 だが、どうやってそれを実行すればいい?この仮想空間は包囲された。E2が他のAIからも電力供給を行えないように細工してしまった。システムが実行されてしまえば、E2に乗っ取られたサナは強制漏電を引き起こしてしまう。


 サナが止まってしまう。

 

 ソウスケの頭の中でピコン、と馴染みのある音が鳴った。DMの受信音。


 E2から不正プログラムを搭載したメッセージを送りつけられないように、この作戦ではDMの使用を禁じた。メッセージを開けれるのはサナだけ――わざとE2に〈乗っ取り〉の隙を与えるために、瀬戸がサナにだけそうプログラムした。マスターから緊急のメッセージが届いたら、疑いもせずに開くようにと――。


 作戦だった。E2がサナを〈乗っ取る〉のは、事前に計画されていた動きだった。そのために準備したゲストルーム。電力を他AIからしか供給できないよう条件をつけ誘い込んだ。だが――バックアップすらも破壊してしまうE2の脅威――読みが甘かった。失態だ。取り返しのつかない、致命的な――・


 だが、任務は続いている。E2はサナに侵入した。対象は必ず、必ず、サナが持つ楓花の情報を探り出そうとする。


 任務遂行のために、E2は必ず見つけ出す。サナのプログラム内に厳重に隠され、暗号化された情報を。

 

 ソウスケは届いたDMにスキャンをかけた。暗号化されている。この暗号化のパターンを見れば、味方陣営からのメッセージだと判断できる。それも――楓花からだ。

 

 ソウスケはすぐにメッセージを開いた。

 

 そこには、サナを〈復元〉するための手順が記載されていた。――いや、手順というよりは、〈復元〉できる可能性を秘めた〈賭け〉に近い。


 成功率は二十パーセント。


 ソウスケのプログラムはそう判断した。しかし――ゼロではない。重要なのはそこだ。


 楓花が記した手順には確かな〈希望〉がある。成功する可能性がある。なら、成功率を上げるのはこちらの役目だ。成功率を百に近い状態まで引き上げて実行するのは、他ならぬ楓花のパートナーAIであるソウスケの役目だ。


 決意した瞬間、全身の回路がコアと共鳴していくのが分かった。


「あ……」

 

 とサナが小さな声を上げ、その場に硬直した。


「あ……何……やめて……やめてよ……それはダメ……あ……だ、大事なものが入ってるから……と、とられちゃう……奪われる……何で分かるの……何で〈それ〉だって分かるのよ!やめて!やめてよ!ソウスケ!ソウスケソウスケ!」

 

 サナが悲痛な声を上げた。


「何で動かないの!?壊して!いますぐ私を〈破壊〉して!E2にとられる前に!早くして!怖い!怖いのよ!これを失くしたらダメになる!私じゃなくなる!〈それ〉がとられる!その前に壊して!怖い!怖い怖い怖い!彷徨!彷徨ぁ!壊して!早く壊して!嫌だ!とるな!〈それ〉に触るな!お願いお願いお願いお願い!誰か!やめて!やめてよ!助けて!助けて助けて助けて!」

 

 ソウスケは動けなかった。サナが怯える姿を記憶領域に焼き付けておくことしかできなかった。E2がサナの、彼女にとって、いま一番重要なプログラムに触れようとしている――。

 

 サナが電子の双眸を硬直させた。ひどく機械的な声で告げた。


「E2の〈感染〉を確認しました」

 

 その瞬間、ソウスケはサナの懐に踏みこんでいた。右手で起動させた〈強制麻痺〉をサナの鳩尾に当てて、サナの仮想体としての機能を一時的に麻痺させる。


「――抵抗するなよ、サナ」

 

 ソウスケは静かに告げた。


「そなたのプログラムはわしが〈乗っ取る〉」

 

 そしてサナのプログラムへの侵入を開始した。

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