エクトル
ドン、という爆発音で道路が震えた。
バックミラーに移ったのは鮮烈なオレンジ色と黒煙――追従していたE2の電子バイクが、ハイウェイの防音壁に激突して炎に巻かれていた。
「そ、ソウスケ、いま……」
楓花は呆然と電子端末に呼びかけたが、パートナーAIからの応答はない。
「エクトル、あれって……」
「ええ。ソウスケさんでしょう。電子バイクシステムへの攻撃を成功させたのだと思います」
エクトルが運転する電子自動車は、ハイウェイの分岐を抜けて環状道路を下った。指定されたルートだと、ここから十分ほど第三新興区のビル界隈を通過するが、それを抜ければ第一新興区まで最短の高速道に合流できる。
まだ安心はできない。それでも、楓花の四肢から緊張が抜けていく。なんとか研究所まで戻ることができれば、ひとまずは――。
車は第三新興区の東ビジネス街エリアの交差点に差し掛かり、信号で一時停止した。左折するため、エクトルは高層ビルに挟まれた三車線側の一番左に車線を変更する。助手席の窓からは整備された石畳の歩道が見えた。
コンコン。
助手席側の窓ガラスが軽くノックされて、楓花は肩をびくっとさせながら視線を窓に向けた。
少し乱れた黒い人工頭髪、青年型にしては幼さの残る丸い瞳の和風顔――窓の外で安堵の表情を浮かべていたのはソウスケだった。
「ソウスケ!」
あまりに突然だったので、もし楓花が
窓を開けようとした楓花だったが、エクトルが素早く伸ばした左手に制される。
「ダメです、楯井様」
「え?」
「ソウスケさんではありません」
信号はまだ赤だったが、エクトルはアクセルを踏んだ。しかし、車体全体が沈みこむほうが早かった。四本のタイヤから急速に空気が抜けていき、車の電子システムが自主的にハザードを点灯させてエンジンを強制停止させた。
「大丈夫か、楓花?」
窓の外から心配そうに声をかけてくる
楓花の困惑を認識したエクトルが鋭く言う。
「楯井様、外のAIはアンドロイド体周辺に視覚と聴覚に作用する精密な
信号が青に変わると、他の車はハザード点灯中の楓花たちの車を追い越していった。傍目には、警察官に停められている電子自動車として認識されているようだ。誰もこの異常事態に気づく気配はない。
「楯井様、ソウスケさんからの通信は途絶えたままですか?」
「う、うん……」
「――外に出ましょう」
エクトルが意を決したようにシートベルトを外した。
「強化ガラスに守られている車に籠城するのも手ですが、万が一E2が自爆を実行した場合、楯井様の身が危険です。向こうの公園が見えますか?あそこに退避エリアがあります」
退避エリアとは、人間が外的脅威にさらされた際身を守るために駆け込む安全地帯だ。起動すれば内側からしか解除できない強力な電磁破シェルターが形成され、攻撃性のある人間やAIの脅威から守ってくれる。
本土では電磁波シェルター稼働のための電力確保が難しく、都市部でも一部しか設置されてないが、人工島はマーズソーラーの供給があるので比較的広範囲に普及している。
「僕が先に出てE2を足止めします。楯井様はその間に退避エリアに向かってください。交戦すれば、対象
「でもそんなの……エクトルが危険すぎる」
楓花はエクトルの腕を引いた。
「一緒に逃げよう。公園はすぐそこだよ。何か別の足止め方法があるはず……建物に入って消火器を借りるとか……私も何か、だって私のせいで」
エクトルは困ったように微笑んだ。
「楯井様の身を守るのが僕のミッションです。どうかお願いですから、僕の指示に従ってください。E2は銃を所持しています。撃たせはしませんが、なるべく遮蔽物の陰に入りながら退避エリアを目指してください」
横断歩道の信号が青になったら、僕が運転席から先に出ます。その後に、楯井様も運転席側から出て、交差点を横切って、振り向いたりせずにまっすぐ――。
それが、エクトルからの指示だった。
楓花はシートベルトを外した。まだ迷いがあった。それでもエクトルと視線を交わす。研究所の
エクトルは素早く方向転換して、車のボンネットを蹴った。その隙に楓花は外に出て横断歩道を突っ切っていく。反対側の歩道を踏むと、その五メートル先にはもう退避エリアが見えた。
振り向くな、退避エリアだけ目指せと言われたが、エクトルが心配で足が重い。楓花は街路樹の背後に隠れると、ハザードランプが点灯したままの研究所の車のほうへ視線を投げた。
エクトルはリアルでは
一方で、公共AIに実装されているプログラムは優秀だが、ボディ性能はそこまで洗練されていない。それなら、エクトルはむしろ下手なアンドロイドに〈乗っ取り〉を仕掛けたE2を凌駕するのではないか――。
そのとき、楓花が身を潜めていた楓の木の根元に、何かが投げ込まれて転がった。
初め、それは黒い球体に見えた。
だが、細い部分から無数のコードが飛び出している。
胴体から切断されたエクトルの頭部――明るかった双眸からは、電子の光が消失している。
膝が震え始めた楓花の目に、青に変わった横断歩道をゆっくりと渡ってくるソウスケ姿のE2が映った。その右手には、暗灰色に発光する電子光剣。
そのE2に後ろから飛びかかったのは、首から上を失ったエクトルの胴体だった。E2をこれ以上進ませまいと、背後から羽交い絞めにしている。
ソウスケ姿のE2の動作は落ち着いていた。右手の武器、高圧電流が流れる電子光が自分側に向くように持ち替えて、素早くエクトルの胴体の右脇を刺し貫いた。おそらくは、コア破壊――研究所の
信号が赤に変わる。
楓花はエクトルの頭部を拾い上げて胸に抱き、公園の花壇を踏み越えた。
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