第三新興区

《楯井くん、助かったよ!》

 

 左手首に装着している小型端末から聞こえたのは、安堵した遊馬の声だった。


《あの人時間に厳しくて……大丈夫だったかい?》


「だ、大丈夫でした。エクトルも飛ばしてくれましたし――安全運転の範疇で」

 

 楓花が上司の遊馬と通話しながら運転席に目を向けると、研究所勤めの青年風人工知能搭載人型ヒューマノイド、エクトルがハンドルを握ったままにこりと微笑んだ。本土のタクシー運転手のように白手袋をはめ、艶のある黒靴を履き、ぴしっとした紺のスーツ姿ではあるが、今風のお洒落な赤メッシュを人工頭髪に一筋入れてどこかあか抜けた印象だ。


 AL3のエクトルはAIRDIアイルディの研究開発部サポート用AIなので、車の運転でも研究補助でも他雑務でも、何でも頼むことができる。おまけに体格的にはソウスケに、纏う柔和感が遊馬のAIカインドに似通った部分があり、人間の運転手と一緒にいるよりリラックスできた。


 ***


――人工知能の自動更新コードを渡してきて欲しい。

 

 会議に参加していた上司遊馬からの緊急の依頼だった。遊馬が担当している第三新興区――ビジネス街が集う――に特別な取引をしている相手がいて、本日中に届けなくてはならないコードがある。

 

 それだけなら研究所勤めのAIか、はたまたドローンか電子メールか――という間接的な手渡しも可能かと思われたが、どうやら古風な人物らしく、電子媒体経由、使役ロボットを介した受け渡しを拒否するのだという。

 

 そこで遊馬の代理として楓花が向かった。AIRDIアイルディの研究員が勤務中に外出する際は、必ず人工知能搭載人型ヒューマノイドが同行しなければならないという決まりがあるので、研究所勤めのAIエクトルに付き添ってもらいながら、楓花は第三新興区に乗りこんだ。

 

 新型人工島、第三新興区は孤島のヒューストン、もしくはデトロイト――脳裏に浮かんだイメージがそれだ。メタリックで水晶のごとく陽光を反射するビル群、かと思えば黄褐色の煙突から噴く工場が並び、かと思えばギリシャ神殿のごとく荘厳な石門を構えた銀行が出現し、かと思えば街路樹に挟まれたスクエア公園が窓の外を流れていく。


 目まぐるしい景色の変化に、楓花の脳は大混乱だ。新型人工島の地理を知り尽くしたAIが研究所の車をガラス張りのビル地下へ潜らせていくので、いよいよバリキャリOLらが高いヒールで闊歩するビジネス街デビューかと喉をカラカラにして構えたが――まさかの肩すかし。


 車は本当に地下道に潜り込んで、地底窟らしいごつごつした岩肌を剥き出した場所で停まった。車が停止するなり、赤外線か何かの電子センサーに車体ごとじっくり舐められて、それが完了した後、暗がりからオイルランプを引っさげて出現したのは灰色髭の腰曲がりドワーフ。


 ではなく、腫れぼったいまぶたの、ずんぐりしたご老人だった。


 楓花は衝撃の連続で一時〈凍結フリーズ〉のデバフにかかっており、車内から下りて挨拶をするという初歩的動作も忘れ、助手席で固まっていた。睨みつけるようにこちらを見ていたドワーフ風老人が助手席の窓を軽く叩くと、運転席のエクトルが気を利かせて窓を開けてくれた。

 

 ぬっと、節くれだった手が窓の中に差し出された。


「コード」

 

 楓花ははっとして、慌てて自動更新用コードが入った小型チップを老人に手渡した。


「あんたの名刺」

 

 楓花はわたわたしながら研究所で作成してもらった名刺を両手で差し出した。


「あんたの小型端末」

 

 楓花は固定用の革ベルトをひきちぎる勢いで左手首の小型端末をむしり、老人に献上した。

 

 老人は小型端末をしげしげと眺め、何かを入力し、すぐに楓花の手に戻した。そして「行ってよし」と短くつぶやくと、来たときと同じようにランプを揺らして、洞窟の暗がりへと引っこんでいった。


   ***


――まともに挨拶もできなかった。

 

 エクトルが運転する車内で、楓花はまだ呆然としていた。名前も訊けなかった。ていうか、車から降りることもできなかった。社会人失格。いや、人間失格――。


まことさんって言うんだけど、変わったじいさんだったでしょ》


「ま、誠さん……?」

 

 思った以上にまともな名前が電話口の遊馬から飛び出すので、再び驚愕と安堵がせめぎ合う。


《名乗りもしなかったか……あれですごい人工知能研究者でなあ。あの人がアシスタントとして使用してるIAIがいるんだけど、申告してないだけでAL4じゃないかって言われてるんだ》


「AL4!ていうか、AIの能力値って申告しなくても大丈夫なんですか!?」


《アウトですな。人工知能レベルの偽装申告は、人工島じゃ厳罰対象なんだ。ただのあのじいさんは、このグレーゾーンで幾星霜……追手のかわしかたを心得てるから、手ごわいだろうな》

 

 そう言いつつも、敬う気持ちが垣間見える。遊馬とあのご老人の付き合いは、楓花が考える以上に長いのかもしれない。

 

 楓花は遊馬に例のメールの件を相談しようかどうか迷っていた。信頼していないのではない。大きな騒ぎにしたくないのだ。性質の悪いいたずらの可能性もある。


 例えば、E2に関して知られたくない誰かが、それを探ろうとしてる人間を脅しにかかっているとか――それはそれで、大問題だが。

 

 楓花は念のため、E2が過去に人間を標的にした事例があるかどうか調べた。研究所の調査報告をしらみつぶしに検索したが、そんな事例はこれまでにない。あくまでE2は、AIを狙うAIとしてしかの位置づけしかない。

 

 個人情報が流出した経緯も調べた。しかしMRにウイルス感染の気配はなく、データが流出した記録もない。それなのにどうして、こちらのことが認識できたのだろう。


《……あ、会議に戻らんと。とにかく助かったよ。気を付けて帰ってきてくれ》


「あ、遊馬さん――」


 通話は切れてしまった。しかし小型端末が再び震え始めたので、楓花は急いで通話をオンにした。


「はい楯井です」


《ふ、楓花ぁぁ!良かった繋がった!そなたいまどこで何して……!》

 

 慌てふためくソウスケの声が飛びこんできて、楓花はぎょっとした。


「ソウスケ?どしたの何かあった!?」


《それはこっちのセリフじゃ!そなたの端末のGPSが消えるから、何かあったのではと》


「あ、そうか。もしかすると……じつはさっき仕事で地下に潜ってて……」


《仕事で地下に潜って!?》


「うん、語弊がありそう。とにかくこれから研究所に戻るから――」

 

 心配しないで、と伝えるべきか。

 

 それとも、心配事があるのだと打ち明けるべきか。

 

 ソウスケには相談したほうがいい。でも、せっかく新しい環境に飛びこんで頑張っている彼を、いたずらに心配させていいのだろうか。


《――楓花?どうした?》

 

 パートナーAIは、マスターの小型端末付属のGPSが数分消えただけで、緊急事態なのだと認識する。それほどまでにいつも、二十四時間体制で気遣ってくれている。


 何かあってからじゃ遅い。ここで判断を間違えちゃいけない。


「――ソウスケ。さっきじつは、研究所でおかしなことがあって……」


 話しながら楓花は、運転席の人工知能搭載人型ヒューマノイドに目を向けた。エクトルがしきりにバックミラーを気にしている。


「エクトル?どうかした?」


「……後方を走るバイクが、僕たちの車をついてきているようでして」

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