第890話 魔物使いの旅の終わり
科学の国跡地、現在は合成魔獣の楽園である小島。走り回って遊んでいたアルが戻ってきた、機嫌はかなり良いようだ。
『兄弟、もう帰ってしまうのか?』
『うん、今日はもう帰るよ。ありがとう、カルコス、クリューソス、また今度ね』
『……ふんっ』
手を振るとカルコスは前足を上げて返事をしたが、クリューソスはそっぽを向いた。相変わらずの彼をクスッと笑い、アルを抱き締めてカヤを呼んだ。
『うわ……すごい』
『ヘル? ここは?』
カヤに連れてきてもらった先は立派な城の中だ。
『にいさまに会いに来たんだけど……まさかこんなお城造ってるなんて』
兄は正義の国跡地に生やした大樹の管理を申し出てくれた。この大樹だけは天界に繋げているから、きっと僕に好きな時に会いたいと思っているのだろう。
『おとーと? おとーとっ、どうしたの? もしかして遊びに来たの? お兄ちゃんに会いたかったの?』
城の内装を見て回っていると突然壁が蠢き、ぐにゅぐにゅと歪んで兄の形になり、壁から分離して僕の前に立った。
『に、にいさま? うん……遊びに来たんだけど、その……何、今の。壁から出てきたよね、にいさま……』
『あぁ、建材は僕だからね』
兄はそう言って壁掛けの燭台を掴み、金属に見えたそれをスライム状の黒い物体に戻してみせた。
『ひたすら増殖して、石にして、作っていったんだよ』
『そ、そうなんだ……すごいね』
有事の際には城ごと動き回ったりするのだろうか。見たいような見たくないような……
『えっと、にいさま最近どう? 大樹の管理とか、このお城の住み具合とか?』
『最近……そうだね、おとーとに会う機会が減って寂しいよ』
兄は僕の頬を両側から挟むようにして掴み、むにむにと弄び始めた。
『あの大樹を辿れば天界に入れるようにはしてあるけど……』
『そうなんだけどねぇ、僕も色々忙しくって……天界、空間転移を弾くようにしてるだろ? だから行くまでかなり時間がかかるんだよねー。ちょっとした休憩時間にこのほっぺたを楽しみたいんだけど』
『あんまりひっぱらにゃいでよ、にーひゃま……』
『あの大樹に僕を巻きつけようと増殖を頑張っているんだよ、それなら管理も楽だし、分身がすぐに天界に行けるからね』
未だに人間の感覚が残っている僕には兄のスライム的行動が気持ち悪くて仕方ない。けれど顔には出さずに褒めておく。機嫌を損ねたからと殴られることはなくなったが、拗ねられたらそれはそれで厄介なのだ。
『アルちゃんも久しぶり、相変わらずいい毛並みだね』
『兄君と会わない間に換毛したのだが……』
『……あ、あぁ、それでちょっとほっそりしてたんだね』
きっと兄はアルの変化には気付いていないのだろう。夏毛と冬毛の変化はかなり分かりやすいと思うのだが、それは僕がアルばかり見ているからだろうか。
『にいさま、フェルは?』
『フェル? 待ってね、呼ぶよ』
兄は壁に手を当てて目を閉じた。兄が壁から手を離してしばらくすると少年が走ってくる。
『にいさま、用って何……あ、お兄ちゃん! お兄ちゃんだ! お姉ちゃんも……久しぶりだね!』
フェルは昔の僕のような見た目をしていなかった。虹色だったはずの右目は黒に、毛先から白くなっていたはずの髪は黒く、目を隠すほど長かった前髪はバッサリと切られ、うなじを隠していた後ろ髪も刈り上げられている。
『フェル? なんか……雰囲気変わったね』
『う、うん……首涼しくて、違和感あるけど』
『……なんというか、パンクだな。服装も』
アルが呟いた感覚はよく分からないが、僕やフェルの趣味ではなさそうな服を着ている。
『僕が選んだんだ、可愛いだろ?』
『にいさまは僕を着せ替え人形だと思ってるんだよ……でも、僕は別に服の趣味とかないし、ずっと城の中にいるから誰に見られる訳でもないし、にいさまが可愛い可愛いって言ってくれるから楽しいんだ』
着せ替え人形扱いを嫌がっていないのならよかった。僕とは造形以外が全く変わってしまったけれど、フェルが満足しているならそれでいい。
『仲良さそうでよかったよ』
『まぁね。そっちはどうなの? アルちゃんとは仲良くしてる?』
『うん。ね、アル』
『あぁ、雑音のない空間でヘルと二人きりで居られる、これ程素晴らしい事は他に無い』
ヴェーン邸に居た頃は何かと騒がしく、忙しかったのもあってアルとの時間を大切にできていなかった。けれどこれからは永遠にアルを愛していられる。
『じゃあ姪っ子に会える日も近いかな? 僕はおとーとそっくりな姪っ子二人と甥っ子一人が欲しいんだ、多少は羽とか尻尾とかあっていいけど、人型のね』
『注文つけないでよ……どんな姿になるかなんかコントロールできるわけないだろ』
兄は未だに他人を物扱いする悪癖が治っていない。精神性なら治らないのかもしれない。娘や息子が生まれたとしても兄に会わせるのは短時間にしておくべきだろう。
『お兄ちゃんお兄ちゃん、赤ちゃん生まれたら僕にも抱っこさせてね』
『分かってるよフェル、君に一番に知らせる』
フェルになら安心して預けられる。たまにはこの城に泊まらせてもいいかもしれない。いや、気が早いな、まだ娘も息子も生まれていないのに。
『それじゃにいさま、そろそろ行くね』
兄が僕に抱きついてきた、床に膝をついて僕の腹に顔を押し付けている。
『嫌だ……』
『……また来るから。今日はちょっと寄っただけなんだ、また今度ちゃんと遊びに来るって。ね? 来てくれてもいいし』
涙を溜めた上目遣いはフェルよりも幼い、髪型のせいで丸っこい頭を撫でていると兄だという実感が薄れていく。
『おとーと……』
『なぁに、にいさま』
『…………ごめんね。お兄ちゃんなのに、名前覚えられなくて』
まだそんなことを気にしていたのか。優位に立って初めて兄の可愛げに気付けた、もはや僕は兄を弟として扱っている。
『いいよ、大丈夫。仕方ないもん。ほら離して、また来るから……ばいばい、おやすみにいさま』
一瞬の寒気と共に天界に戻り、実体化させたカヤに「自由にしていい」と命令して放つと天界中を走り回った。
『…………犬だな』
『あはは……アルは走るの好き?』
『人並みには』
科学の国跡地でカルコス達と追いかけっこをしていた時はとても楽しそうだった。僕は動くのがあまり好きではないから、あのやり方ではアルを楽しませられない。
『…………ねぇ、アル。好きだよ』
アルは寝転がって怠惰に過ごすのも好きだ。
『私も同じ気持ちだ、ヘル』
だから寝室に戻り、ベッドに横たわった。また何日もここから動かないかもしれない。
『……僕はもう、ヘルシャフト・ルーラーじゃなくなったのかもしれない。でも、君を愛してるよ。初めて会った時からずっと大好き、誰よりも信頼してる。ずっと一緒に居てね』
『あぁ、ヘル。貴方は随分成長した。それでも貴方は私の愛しいヘルのままだ。旦那様……貴方はよく留まった』
全ての天使を取り込んだ僕の人格は一時期壊れかけていた。けれどアルが居てくれたから留まれた。
きっとこの先も何かある度に僕の人格は揺らぐのだろう。けれどアルが居てくれる限りは僕は完全に壊れることはない。
『あぁ……ヘル、愛している。永遠に貴方の傍に』
僕を見つめる僕だけの狼。輝く銀色の毛に大きな黒い翼、黒蛇の尾が揺れている。
どんな状況でも見蕩れてしまう程に美しい。彼女は僕の妻だ。
『…………僕も愛してる、アル。永遠に君の傍に』
魔物使いとしての人生は終わった。この世の全てを掌握し、愛する人に心身を捧げ、愛する人の心身を手に入れられた。
これからは魔神王としての終わることのない人生が始まる。子供達に囲まれ、仲間に囲まれ、幸せな日々が積み重なっていくのだ。
魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る ムーン @verun
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