第888話 生きるということ
ヘルメスの葬儀が終わり、天界に戻って数日、僕はベッドから一歩も動かなかった。アルもずっと隣で眠っている。
不老不死の僕達は食事や睡眠の必要がなく、一日一日に大した意味がない。けれどヘルメスのような人間は、普通の生き物は、一日一日死に近付いている。
『ふぁ……うぅん…………水浴びをしてくる』
数日ぶりにアルの体温が離れた。
『……ま、待って! 僕も、僕も行く』
サタンによって魔界のような内装に改造された天界、その沐浴場もおどろおどろしい雰囲気がある。設備には全く問題がないので気にしない。
『ねぇ、アル……ヘルメスさん、幸せだって言ってたんだ。生きてる時も、死んで……霊体になった時も、幸せだって』
『……そうか。なら良かった』
『本当、かな。だってヘルメスさん、路地裏で育って、盗みばっかりして、身体酷使して、二十にもなれずに死んじゃって』
無駄に長く伸びた白髪が濡れて頭が重い。
『ヘル、彼が幸せだと言ったなら幸せだったんだ。疑うのは彼の人生を貶める行為だ、たとえ貴方がただ優しさでそう言っているのだとしてもな』
身体に張り付く白髪が鬱陶しい。
『終わり良ければ全て良し。家族と和解し、彼にとって理想の妻を娶り、短期間とはいえ息子と触れ合い、頼れる後輩に全てを託す。私はヘルメスは幸せだったと思う』
浴びているのはお湯のはずなのに身体が温まらない。
『……最近、さ。死んだ人にお祈りしたり、殺した人にお祈りしたり、したじゃん。それで……先輩の死ぬとこ見て…………兄さんが消えたの思い出したりして、僕、思うんだ。生き物は何のために生きてるんだろうって』
『創造神の座を奪った貴方がそれを言うとはな』
『だって、死ぬじゃん。死んだら全部終わりなんだよ、生まれ変わっても記憶も技術も財産も何も引き継げないんだよ。生まれて、死んで、その繰り返し…………なにこの無間地獄』
濡れた黒翼に抱き寄せられ、温かい銀毛にもたれさせられる。
『貴方はヘルメスが生きた意味は何も無かったと言うのか?』
『だって、先輩っ……まだあんなに若いのに、子供産まれてこれからなのに』
『どうせ死ぬ。貴方がそう言った、若かろうと老いようと関係無いのだろう?』
冷えた体が温まっていく。
『ヘル……生き物は何かを次に託す為に生きている。それが種の存続なのか、技術の継承なのか、主義の伝播なのか、それはそのモノによる。ヘルメスは何を託した?』
『めるくん……?』
『だけか? 貴方は彼に何を教わった? 貴方はそれをどう活かす? 彼が何かを教えたのは貴方だけでは無い。彼は死んだが彼の意思は世界に広がり、緩やかに世界は変わる。それはどんなモノでも同じだ』
彼の生き様は英雄としては素晴らしかった。命を削って大衆に尽くす、その行為の危険性と尊さを教えてくれたのは彼だ。
『じゃあ……僕は何が出来るの? 僕は死なない……何も託せないよ、僕は、生きてるの?』
アルは自身の大きな頭を胸に押し当てる。
『とく、とく……と鼓動が聞こえる。貴方は生きている』
『……なら、心臓が止まれば生きてないの? 止められるよ?』
目を閉じたアルから困ったような笑いが聞こえた。
『ヘル、貴方は生きている。心臓が止まろうと、頭が弾け飛ぼうと、身体が粉々に潰れようと……貴方は生きている。私が証明する』
『…………アルが居なくなったら、僕は』
『死ぬ』
予想外の答えに何も言えずにいるとアルは目を開けて僕を見上げた。真っ黒の瞳孔が膨らみ、真っ白の僕が映っている。
『貴方は私が居なければ生きてはいけないだろう? 私が死んで、私を造り直す事も出来ないとなれば、貴方は死んでしまうのだろう?』
『……僕は不老不死だよ』
『貴方は創造神の座を奪った、この世界に満ちる魔力と神力が人格を持った存在が貴方だ。貴方は世界であり、世界は貴方だ。貴方がこの世界を破壊し、創り直す事も無いのなら、誰も貴方を観測せず貴方も貴方を否定するのなら、それは貴方の消滅を意味する』
アルが死んでしまったら世界中の生物を道連れに自殺する。アルは僕をそんな奴だと思っているのか。
『……僕はアルが消えたらみんなを殺すの?』
『貴方にとって私の存在はそれほど大きい』
『…………そう、かもね』
愛情が伝わっているのだと嬉しくなり、更に伝えるために抱き締める。
『……ねぇ、アル、僕はどうして生きているのか、それはまだ分かってないよ、教えて? 生物が何かを伝えるために生きるなら、僕は何のために生きればいいの?』
『生物の営みを見守る、それが神の役目だ』
『…………そう』
これはアルの考えだ。同じく神性であるハスターは文明を破壊し、停滞した平和の箱庭を作ることを神の仕事だと言い張っている。いや……アレも言い換えれば「見守る」か? 見守りやすい形にして、見守って……よく分からなくなってきた。
『そう難しい顔をするな。今のは真面目に考えるなら……だ』
『真面目に考えなきゃダメなことだと思うんだけど、真面目に考えてない答えって何?』
『貴方は私を愛する為に生きている』
一番しっくりくる答えだ。けれどそれをアルが答えてしまうのは意外だ、アルは僕の愛を受け取ろうとしないことも多かったのに。
『確かにそうかも……うん、そうだね。人間だった頃から、アルと出会った頃からずっと、そうだった。アル……よく「貴方に愛される資格なんてない」とか言っちゃうくせに、本心では違ったの?』
アルは僕の足の間に黒蛇の尾を滑り込ませ、僕を尾に座らせるようにして持ち上げた。
『……人の死を実感し、貴方は生に疑問を抱いたな?』
『うん……? まぁ、そうだね』
『私は死を実感して本能を活性化させた』
遠回しな言い方に首を傾げる。
『ヘル、不死身でも何かを託す事は出来る。誰かに教える事は出来るだろう? そして……種を残すのも』
長い舌が頬を舐める。
『ヘル、死を実感した私の本能が囁くんだ。生きている内に子を成せ、と。私はコアを砕かれない限り死なないと言うのに……命を紡げと煩いんだ』
『えっと、アル……? それって』
『ヘルぅ……ここまで言ったなら察してくれ。これ以上は恥ずかしい……』
アルは俯いて耳を垂らしてしまった。申し訳なさが溢れ、謝るために顔を上げさせようと顎に手を添える。
『ごめんね、大丈夫……分かってるよ』
そのまま僕達は不老不死のくせに残っている生物の本能に従って行動した。時計も窓もない沐浴場では時間の経過など分からない。ベッドで動かなかったのと同じだけ時間を使ったのか、太陽の傾きが目にも分からない程度の時間だったのか、分からない。
『はぁ……そろそろ、出よっか』
『…………体が動かん』
『僕も……もうここで寝ちゃおうか、どうせ風邪なんて引かないんだし』
不老不死になってから生活が乱暴になった気がする。悪魔達はよく毎日ちゃんとした服を着ているものだ。
『ふわぁ……そろそろ部屋戻ろうか』
『十分休めたな。もう一度下界に行かないか? 兄弟達がどうしているか気になる』
『あー、僕も兄弟気になるなぁ……行こっか』
沐浴場を出て外出の準備を整え、不意にアルの背中を撫でる。
『ヘル?』
『……アル、妊娠とかしてない?』
『あぁ……そういえば今回は「孕め」だとか言わなかったな、珍しい。言葉も出ない程興奮していたと見える』
『えっ僕そんなこと言ったことないけど……』
『覚えていないのか。いつも言っていたぞ』
鏡で全身を確認してからカヤを呼び、アルが会いたいと言っていたアルの兄弟達が住んでいるはずの科学の国跡地に向かった。
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