第878話 自分から失われた死を実感する

砂漠の国。ここはアザゼルが統治を決めた場所だ。砂漠の真ん中に大樹を生やしてみたが、やはり景色に合わない。けれど人が住める程度の砂漠に留めていくにはこの方法が一番だ、もう移住が始まっているし、アザゼルの住処は大樹の近くに建てさせよう。


『お、よぉ王様! どうしたんだ?』


『やぁ、アザゼル……統合は終わったの?』


赤い瞳の瞳孔は横長の長方形、黒い長髪をかき分けて生えるのは山羊の角、背に生えた翼は黒。堕天使らしい風貌だ。


『おう、俺はもうグロルにはならねぇ、ずーっとアザゼルだぜ。あ、それと、王様が創造神の席奪っちまったから堕天使でもなくなった。魔性が濃いから……分類的には悪魔になる、かな?』


僕は先程摘んだばかりの花をアザゼルに渡した。


『な、なんだよ……嫁の前で口説く気か? 悪いけど国をもらった今お前と寝る気はない……ま、まさか、ヤらせなきゃ取り上げるとか言う気か? わざわざ与えておいて後から……! 卑劣な奴だな』


『……グロルちゃんに送る分だよ』


『俺もうグロルにはならねぇぞ?』


『だからだよ、お供え』


『俺は確かにグロルじゃねぇけどグロルが消えたんじゃなくて統合したの! グロルの思い出も感情もあるんだからな!』


なら少しはグロルらしさを出したらどうだ。見た目だけ妖艶な美女になっても下品な親父の言動のままなんてアザゼルでしかない。


『ランシアさんにも……本当なら牢獄の国の方に行きたかったんだけど、アルを見たらみんな騒ぐだろうし……僕も目立つ見た目だしね。姿消しちゃランシアさんに届かない気がするし、何より……ランシアさんは君の傍に居た気がした』


『……まぁ娘の体だからな。恨んでるかもだけど。ランシアは俺にとっちゃ強姦相手で母親……ま、受け取っとく。花瓶にでも挿しとくよ。じゃあな、おーさま!』


走り去る直前に見せた無邪気な笑みはグロルのものと同じだった。


『…………ヘル、ここには』


『うん、ちょっと待ってね。その前に……』


とんっと足踏みをすれば僕の足を起点にして周囲一帯に背の低い花が咲き乱れる。


『……僕、ここでカヤを暴れさせてたくさんの人を殺したらしいんだ。昔雇ってもらったヴィッセンさんも。最低だよね、僕……ナイ君に騙されて、たくさん殺して……本当、最低』


『ヘル…………気にするな、とは言えないな。けれど気負い過ぎるのもよくないぞ』


『うん……』


初めて砂漠の国に来た日のことを思い出す。空港で話した職員、すれ違った人々、泊まった宿の主人、買い物をした店の主人、顔も名前も知らない人々、そしてヴィッセンのあったはずの無数の未来を思い描くと呼吸が出来なくなる。


『……ベヒモスも殺したよね。直接やったのはセネカさんだけど』


『あれは善行だ、ああしなければ大勢死んでいた』


『そうやって助けた人達を殺した』


『それ、は……』


『この罪悪感を一生抱えていくのが僕の罰だ、僕が受けられる罰なんてそれくらいしかない……アル、行こう。僕達の大切な恩人のところに』


少し移動して何も無い砂地に立つ。


『ここで合ってるかな』


『……分からない』


砂の上に花を落とし、兄にもらったローブを脱いだ。


『………………何故、ワンピースを着ている』


『リンさん喜ぶかなーって……なんか最近こういうの着るのに抵抗ないんだよね』


『そ、そうか……無性化が進んでいるのかもな』


アルを一度蘇らせてくれた人、僕に何度も笑顔をくれた人、僕達を助けてくれていた人……フェルを助けて死んでしまった人。僕の恩人であるリン、彼は僕の女装が好きだった。


『うーん……スカートちょっとたくし上げてみようか』


『やめろ!』


『喜ぶと思うんだけどなぁ……』


彼は神性の炎で跡形もなく燃やされてしまった。灰はフェルが持って帰ってきて砂混じりで瓶詰めにしているが、彼は霊体も魂さえも残さず燃え尽きた。生まれ変わることはない。女装しても、花を供えても、どこにも届かない。


『……こんなことならランジェリー着て写真でもなんでも撮らせてあげればよかった』


『やめてくれないかヘル……! 貴方が真剣に言っているのだとしても、それを聞く私は真面目に祈りを捧げられない。独り言は声に出すな』


『なんかごめん……』


あまり湿っぽくならずに済んだのはきっと生前のリンの人柄の賜物だ。感謝しなければ。


『スカートって足スースーするなぁ……』


『早くローブを着たらどうだ』


『あ、うん……でもローブ着ても足はそんな変わらないんだよねー』


一度自室に戻って男物の服に着替え、ローブを羽織る。再びカヤを呼び、各大陸に散らばったという獣人達の中から知り合いを探して様子を見に行った。


『あれは確か、ミーアとか言う……』


『……元気そうだね』


白猫の獣人、ミーア。彼女に会いたくはないので物陰から眺める。身体中に包帯を巻き、杖をついているミーアは楽しそうに父と話している。


『随分大怪我をしているな』


『狩りの失敗でもしたんじゃないの』


ミーアに手を振る黒髪の少女を見つけ、その方を見る。彼女は確か鴉の鳥人のコルネイユだ、元気そうにしている。彼女との間には何もなかったが、別に会いたくもない。


『コルネイユさんも元気そう……次行こうか』


『次? もうか? 分かった』


正気を失った兄が喰い殺した獣人達、僕が連れてきてしまったルートに殺されてしまった獣人達、彼らのための花をこっそりと咲かせ、もう一度カヤを呼んだ。


『誰に会いに来たんだ?』


『正義の国に捕まってた人達の中に、ちょっと仲良くなった兄妹が居てさ』


僕達は川辺の家の前に転移した。裏手に回ってみると薪割り中の狼の獣人達が居た。全身に銀毛を生やし狼の頭部を持つ獣寄りの青年と、人と全く同じ姿の銀髪の人間寄りの少女だ。


「え……魔神王様!? 兄さん、魔神王様!」


「えっ、ぁ、お久しぶりです! 王妃様も……くっ、相変わらずいい女……!」


『お久しぶりです、会いたかった』


あぁ、相変わらず美しい。鼻筋の通った美顔だ、右耳が折れているのが何とも愛らしい。


「えっと……あ、魚焼いてたんですけど、食べます?」


『僕は遠慮します、アルは?』


『頂こう』


薪割りは魚を焼くためなのだろうか。少女はよく焼けた魚をアルの前に置いた。


「もう一度会いたいと思っていたんです、尋ねてきてくれるなんて……ありがとう、魔神王様」


『いえいえ、僕もとても会いたかったので』


青年と握手を交わし、人間と同じ手なのに存在する肉球の感触に昂る。アルの肉球の方が当然素晴らしいのだが、アルの前足は僕の手を握ることは出来ない。


『美味い魚だ、焼き加減が良いな』


「ありがとうございます……! 王妃様みたいな綺麗な方に褒められると、とっても嬉しいです……」


少女とアルは仲良くなれそうだ。僕も青年と仲良くなりたい。


「あの、魔神王様? いつまで手を……」


『あぁ、ごめんなさい。少し考え事をしてしまって』


「い、いえ……にしても、相変わらず魔神王様の奥方はお美しい……見とれてしまいますね」


『目抉るぞ』


「えっ?」


『美人でしょう? アルは本当に綺麗で……毎日隣に居たら心臓が持ちません、不老不死でよかった』


二匹目を食べ終えたアルの傍に屈み、顎の下に手を添えて顔を上げさせ、口の周りについた魚の皮や身の欠片を舐め取る。


『なっ……! 何をするヘル! 人前で!』


『食べカスついてたから』


『なら手で取れ! 貴方は人間だろう!』


人型だが人間ではないので首を横に振るとアルは「揚げ足を取るな」と怒った。


「本当にいい女だ…………あっやば勃った」


「……兄さん最低」


「仕方ないだろう! あんないい女見てたら発情期じゃなくても発情する!」


全て口で取ってやりたかったがアルが嫌がるので仕方なくハンカチで口を拭い、綺麗になった口の端に改めてキスをした。


『……っ、馬鹿!』


照れ隠しに尾で殴られて吹っ飛ばされてしまったが、照れるアルを見られただけでお釣りが来る。

お詫びのブラッシングをしてアルの機嫌を取り、獣人の兄妹に手を振ってからカヤを呼んだ。

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