第848話 竜を駆る者

ヘルは竜が気難しく誇り高く人に慣れにくい生き物だと思っていた。だから自分に断りなく竜の里を出ることなどできないと勘違いしていた。

彼には想像できなかったのだ、自分以外に懐く魔物など。


「よーしよしよし……頼むぜ、ドラゴン」


好奇心旺盛なセレナは竜の里に来てすぐに竜に接触した。同じく好奇心旺盛ながらも警戒して近付かなかった竜達と持ち前の明るさですぐに打ち解け、親友を作った。


『くるるるっ……』


「……正義の国に復讐する。雪華の目を覚まさせる。アタシはこの二つがしたい、協力してくれるよな?」


人間を凌ぐ知力を持っていたのは過去の話、今の竜種の知能は人間以下だ。好奇心旺盛で臆病な彼らは他者を怖がることはあっても疑いはしない。ずっと竜だけで生きてきた彼らは全ての者と分かり合えると信じている。


「…………よし、じゃあアタシを外に出してくれ。こっそりだぞ」


『くるるっ』


人の言葉を勉強中の竜はセレナが竜の里の外に出たがる理由が分からない。だが、出たいと言っていたら出してあげたくなってしまう。竜はセレナを額に乗せて人里を離れ、石を並べて人界に出る門を作った。




また別の場所でも人と竜の絆が生まれていた。


「雷帝どの、お元気ー?」


神降の国国王、トリニテートは自国の軍事のため竜を懐かせていた。竜が居れば科学の国の戦闘ヘリ一機分程度の戦力にはなる、手を出さない訳にはいかないだろう。


『ぐるる…………ニン、ゲン?』


「お、言葉覚えた? 俺だよおーれ、トリニテート。トリりんって呼んで」


『とりりー……?』


岩場で眠っていた竜は国王に気付くと寝転がったまま長い首を伸ばして彼の匂いを嗅いだ。かつては雷属性の最高峰と謳われた種族の彼は意地でも人間の言葉を覚えようとしていた。


「……人界に出たい。雷帝どのには俺のお願い叶えられるかな?」


『ぎるるっ……!』


国王はプライドが高い者の扱いを心得ていた。雷帝なんて大層なあだ名を付けられた竜は重たい体を起こし、枕にしていた岩を噛み砕き、その破片で門を作った。




数日前から科学の国に侵入していた者達が居た。彼らは無法地帯と化している路地裏を拠点とし、活動していた。


「……気持ち悪い街ね」


犯罪者達の巣窟と化していた廃ビルの窓から表通りを眺め、毛先にかけて白くなっていくグラデーションの金髪を高い位置で二つ結びにした女──アルテミスが呟く。彼女の眼下にはガスマスクを着けた科学の国の国民達が歩いており、背後では廃ビルに住んでいた逃亡犯が床に転がって呻いていた。


「普通の国ならもう機能不全に陥ってる頃よ?」


不機嫌なアルテミスが視線を移した先には黄金の弓を構えた男が居た。彼の髪はアルテミスと同じくグラデーションになっており、炎のように赤かった。


「アポロンの弓も、アルテミスの弓も、新しい疫病を作る訳じゃない。衛生が整い特効薬が既に開発されている国には弱いな」


彼らは密入国を果たし、疫病をばらまく弓を何度も放った。科学の国には根絶したはずの複数の疫病が蔓延したが、医療の面では他国に圧倒的な差をつける科学の国はなかなか倒れなかった。


「……ヘルメスが居ればもう少しやりようがあるんだがな」


「あのバカ、神具の使い過ぎで死にかけてるんでしょ? 全く……肝心な時に何してんのよ」


「悪知恵も工作も諜報も、奴より優れた者は居るまい」


二人はようやく家族になれたばかりの弟のことを心配していた。神具使いが短命なのは彼らには常識だが、それでも十代で寿命が来るのは珍しい。物を盗む癖が治らないから王族には相応しくないと安易に国外追放したことをアポロンは後悔していた。事実、国外追放なんてしなければヘルメスは生活費を稼ぐために神具と自身の体を酷使することなどなく、二十年は寿命が伸びていただろう。


「…………まぁ、アタシ達もアタシ達にしては悪知恵働かせた方じゃない?」


「医療施設と軍事施設の狙い撃ちがか?」


「貯水タンクを狙えばガスマスクじゃ防げないし、医療従事者は疲労で免疫が下がってるはずよ。もうすぐ崩壊するはずなのよ」


「そう言ってから何日経った? 貯水タンクを狙ったところで人に届く前に殺菌されては元も子もない」


薄々気付いていたことを言われて更に不機嫌になったアルテミスは窓から離れ、病に苦しみ息も絶え絶えな逃亡犯の上に腰を下ろした。アルテミスが科学の国を「気持ち悪い」と評するのには彼のような存在も理由の一つだった。

表に見える国民はガスマスクを着けて健康に幸福に暮らしているが、裏路地に住む彼らは清潔な水で手を洗うことすらできず、ろくな栄養も摂れず、死んでいく。そして政府はろくに調べもせず裏路地の不潔な環境が疫病の発生源とし、裏路地の住人達にハッキリとした身分証がないのをいいことに人権を無視した殺菌作業を進めている。


「……ほんっと、嫌な国」


「そろそろ軍事施設に乗り込むのも考えた方がよさそうだな、軍を止められなければ俺達がここに居る意味はない」


彼らは国王の命令で科学の国に潜入した。正義の国との戦争中に戦局を引っくり返すような兵器を使われてはたまらないと、使わせるなと、命令を受けてきた。

疫病によって国としての機能を損なわせ戦争から手を引かせる、それが計画だった。だが、科学の国は疫病が流行してもなお国の機能を保った。だからもう武力を行使するしかない──その考えに至った神降の国国王ことトリニテートは雷帝と名付けた竜に跨り、空を駆けていた。


「……さ、て……そろそろ来るんじゃないか? 雷帝どの、気を引き締めろよ」


『ぎるっ』


額の角に勝手にベルトを取り付けた彼はそれによる固定を改めて確認し、真正面から飛んできた黒い何かを睨んだ。


「迎撃用の誘導弾……! さっすが、イイもん持ってんねぇ」


『ぐるるるっ……るォォッ!』


竜が咆哮を上げるとミサイルは突然あらぬ方向へと進路を変えた。


「……雷帝どのを選んで正解だ、科学の国ってのはどうも電気や電波っつーのに頼り過ぎてるらしい…………んなもん、神力や魔力で幾らでも乗っ取れるっつーのによ」


雷帝のあだ名は決して誇張ではない。電荷の性質を持つ素粒子の直感的な支配が彼の力だ。長い平和を経て知能が下がった竜の感覚で言えば「なんか電気使ってるっぽいと思ったもの」を感覚器官で捉えられる範囲、操作できる。


「よし、よし……よし、雷帝どの、科学の国の物はほとんど電気で動いてる。雷帝どのは全部操れるからな」


理論上は生体電気すらも操り、その魔力に抵抗出来ない限り彼の視界に入っただけで簡単に殺されてしまうような竜だ。しかし竜自身は生き物に電気が流れていることを知らない。国王は絶対にそれを教えてはならないと考えているし、逆に敵の兵器には全て電荷があると教えなければとも考えていた。


「竜、か……おとぎ話の生き物に乗れるとは……はは、それにしても……」


竜の視界の端に発射場が捉えられると、どこまでも澄んだ青い空高くから雷が降り注ぎ、その施設ごと破壊された。


「ひゅーっ、一瞬雷樹見えたぜ今」


勝鬨を上げる竜に畏怖を抱きつつ、念の為に神具を持った過去の自分を思い出して鼻で笑った。領土内に複数ある軍事施設から対空兵器飛んできているのにも関わらず、観客に徹することを決めた国王は寂れたビルの屋上から放たれた金と銀の光の筋を見つけた。


「雷帝どの、雷帝どの、あっち行ってくれ、息子と娘が居た」


国王は竜の背に息子達を招いた後、何故まだ自分達が侵入しているのに攻撃を開始したのか、巻き込まれたらどうする気だったのかと責め立てられ、そもそも命令を果たせていないことを盾に醜い言い争いを始めたのだった。

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