第843話 神の腕をもぎりとる魔王

僕が今まで吸収した四人の天使の属性は、雨、月、雪、忘却……そして元々持っていた支配属性と『黒』に成り代わったことで手に入れた自由意志の属性──単純な破壊力がない。月属性はなかなかのものだが、月が出ている夜にしか使えないし半月以上でなければ大した破壊力は出ない。

だから力を司る天使であるゼルクはとても欲しい天使だ。


羽根が変化したナイフを仰け反って避けるが、僕の体の上でナイフを持った手が開き、重力に従って落ち、ローブに刺繍された結界に弾かれた。


『……タンマ、休戦だ魔物使い』


耳まで裂けそうなくらいに楽しそうに笑っていたゼルクの表情が凍る。


『てめぇ……結界はアリだと思ったか? ざけんなよ、イモ引いてんじゃねぇぞ! 喧嘩つったら拳のぶつかり合い、んな小細工使って何が喧嘩だ!』


『……ご、ごめん……ローブ脱ぐから、脱げば結界張れないから、ね?』


透過を使って無理矢理となれば彼がここに留まるかどうか怪しい、勝負を放棄せずローブを脱いだのは正しい判断だ。兄には分かってもらいたい。


『…………っし、やるぜ』


『う、うん……』


ゼルクに笑顔が戻る。今から戦うのに、吸収するのに、そんなふうに笑わないで欲しい。


『仁輪加、雨の鞭』


右手の上に雨雲が現れ、雨水が手の甲から指を伝って落ちる。その水滴は地面には落ちずに次に落ちてきた水滴と繋がり、鞭のように伸びていく。液体のまま固体となった雨水の鞭を振ればアスファルトを抉った。


『クククッ……ハハハハハハッ! ザフィエルか、面白ぇ!』


ゼルクの姿が消える、目で追うこともできずに凹んだアスファルトを見て推理して見上げれば数十メートル上空にゼルクが居た。


『俺も雨降らせられんだぜ? ほらよっ!』


筋肉や血管の浮いた太い腕を背に回し、自身の羽根を毟る。ヒラヒラと舞うはずの白い羽根は彼の手を離れた直後にナイフに変わり、雨のように僕の元へ降り注いだ。


『氷膜……止まれ!』


傘のように氷の膜を作り、垂直に落ちてきたナイフを防ぐ──はずだった。氷の膜はナイフが一本刺さった瞬間に砕け散り、その刺さったナイフは失速したというのに僕の腕に柄まで刺さった。


『……っ!? やばいっ……』


翼を広げて体を丸めると落ちてきた無数のナイフは翼に刺さって止まった。柄が引っかかったようだ、何とかなった。そう安堵する暇もなく丸まった体を横から蹴り飛ばされ、ブロック塀に叩きつけられる。立ち上がる間もなく腹を踏みつけられ、背にブロック塀の破片がくい込む。


『………………弱くね?』


ゼルクがボソッと呟く。弱いからゼルクを吸収して強くなりたいんだ、そう言い返してやりたい。属性の数では僕が勝っているんだ、このまま負けるはずがない。


『……っ、氷柱……!』


刺々しい金髪の上に黒雲が現れ、滝のように雨を降らす。その雨水は空中で凍り一つの大きな塊となってゼルクの上に落ちる。しかし彼の突き上げた拳が触れると粉々に砕け、氷の破片はキラキラと輝いた。


『神の腕のゼルク様によぉ……んなもん効くわきゃねぇだろうがよぉっ!』


ゼルクは僕の腹の上から足をどかし、髪を掴んで持ち上げると顔面に膝を叩き込んだ。何度も、何度も。更に持ち上げてもう片方の手で殴られると掴まれていた髪が抜け、店らしき建物に叩きつけられ、その店を瓦礫の山に変えてしまった。


『……っ、やば、い……』


脳を損傷すると傷の再生速度が遅くなる。頭を優先しなくては。まだゼルクは来ていない、再生しながら策を考えなければ。

彼の戦法や癖を分析しようと戦闘を思い返していると、ふと不思議なことに気付く。彼の蹴りや踏みつけは確かに強力だしアスファルトにクレーターを作るような力はあるのだが、腕に比べると段違いに弱い。顔を蹴られても陥没程度だったが、殴られるとここまで吹っ飛んでぶつかった建物まで崩れた。それに『神の腕』と二つ名のようなものまで名乗ってくれた。間違いない、彼が強いのは腕の方だ。


『まーものーつーかいっ! 伸びてんのか? もっとやろうぜ!』


瓦礫を貫通したゼルクの腕が僕の肩を掴み、引っ張り出す。


『てめぇぶつけて辺り一帯更地にしてやろうか』


『こ、こにっ……住んでる、人、達が……』


『ぁー……でもまぁどうせ戦争始まったら大方死ぬだろ、ちょっと早まるだけだ、お前殺せば戦争は小規模なもんになるしな』


天使のこういうところが嫌いだ。犠牲ゼロなんて馬鹿な子供の夢想なのかもしれないし、僕だって犠牲を払ってきた。けれど、僅かな犠牲を肯定してしまってはダメだろう。


『足高蜘蛛十刀流……荒舞、黒雨』


僕のせいで死んでしまった人、不幸になってしまった人、彼らへの悲哀。犠牲を容認する天使へのやりきれない憤り。夢想を夢想のままにしてしまう現実への恨み。それら負の感情によって篦鹿の角は黒く染まった。

突然僕の頭から生えた無数の黒い腕にゼルクは身を強ばらせ、その僅かな隙に黒い腕が掴んだ雨水の剣は彼の肩を幾度も切りつけた。


『気持ち悪ぃもん生やしやがって……! ん……? あれ?』


ゼルクの両腕から力が抜け、だらりと垂れ下がり、僕は瓦礫の上に落ちた。


『肩の腱を切った……再生は、待たないっ……!』


この機会を逃せば次はないだろう。僕は自らの手で雨水の剣を握り、彼の首めがけて振るった──刎ねた! そう確信したが、剣が彼の首に触れる寸前で腕を掴まれ、止められた。


『そんなっ……まだ再生するはずないのに』


ゼルクの腕が両腕とも治っている、片方に集中させた訳でもない。再び殴られるかと目を閉じるが、彼の拳は僕には当たらず腕を掴んだ手も離れた。


『……舐めた真似してくれたなぁ!』


ゼルクは僕に背を向け、どこかへ向かって怒声を上げる。


『ざけんじゃねぇぞ……真剣勝負に水差して許されると思ってんのか、あぁ!?』


怒声に反応してか物陰から女がゆっくりと出てきた。淡い桃色の髪は緩くカールがかかり、透き通る青い瞳には星が浮かんでいるかのような、優しげな女だ。彼女の背には翼が、頭の上には光輪がある。


『……こっちのセリフよ。魔物使いとの接触禁止令の無視、建造物や道路の破壊、私に借金してるくせに消滅覚悟の戦い……ふざけてるのはそっちよ!』


『ラビ……男と男の真剣勝負だ口挟むんじゃねぇ!』


『一回痛い目見たくせに何でまだ男性体使ってるのよ!』


ツカツカと歩いてきたラビエルはゼルクの股間を思い切り蹴り上げた。彼は声にならない叫びを上げ、股間を押さえて震えながら地に伏した。

なるほど……そこ狙ってもよかったな。


『無性別同士で何が男と男の真剣勝負なんだか』


僕はまだ無性別まで進んでいないと思いたい。確かに骨格や肉付きは怪しくなってきたが、象徴はちゃんとある。


『……さ、いつまでも蹲ってないで立ちなさい。魔物使いを足止めして、私は天界に連絡するから──』


ラビエルはその純白の翼を広げ、蹲ったままのゼルクを踏み台に飛び立った。


『氷塊……撃ち抜け!』


僕は慌てて氷の塊を生成し、ラビエルに向けて撃ち込んだ。戦闘向きでない彼女は避けることもままならず翼に穴を空けられ、空中で姿勢を崩した。


『氷塊……撃て、撃て、撃て、撃ち落とせ!』


何発も撃てば容易に落とせる。しかし油断は禁物だ、ラビエルが司るのは癒し、自分に術を掛ければすぐに再生が終わる。


『その魂、寄越せぇっ!』


雨水の剣を構えて彼女の元へ走る。しかし寸前で再生を終えた血濡れの翼によって避けられ──なかった。はばたき、躱すつもりだったろうに、ゼルクに足を掴まれて避けられず剣に体を両断された。


『……え?』


僕とラビエルは揃って同じ音を発した。

下半身と分断された上半身が瓦礫の上に落ち、ラビエルは腕をついて起き上がり、ゼルクを罵倒する。しかしゼルクは何も言わずに頭を踏み潰し、胸に手刀を突き刺すと肋骨をこじ開け、淡く輝く真球を取り出した。


『…………ほらよ』


ラビエルの髪色と同じ淡い桃色の真球の中には小さなハートが幾つも浮かんでいる。


『……欲しかったんだろ?』


ラビエルの魂越しに見たゼルクの笑顔はこれまで見た彼のどんな表情とも違って悲しげだった。

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