第815話 征服者の保護者

時は少し遡り、ヘルと分かれて雪華が居ると思われる教会に到着した零とエア。


「……留守みたいだねぇ、誰も居ないや」


『探す? 待つ?』


「待とうかなぁ、そんなに長く留守にはしないだろうしぃ、多分買い出しか掃除だよぉ」


教会に神父は居たが雪華は居らず、他の修道女など見習いも居なかった。零とエアには知る由もないが処刑の片付けに駆り出されていたのだ。


「……この人には零達は見えてないんだよねぇ? すごいなぁ」


長椅子に座って蓄電石の解析を体内で行っているエアとは違い、零は教会内を走り回ったり神父の顔の前で手を振ったりしている。普通ならその年齢と差があり過ぎる行動は気味悪さすら感じる異常なものだろうが、エアは一切気にしていなかった。


『…………ねぇ、神父ってカウンセリングできるんだよね?』


「んー? うん、派遣先での主な仕事はそれだからねぇ」


教会に入って数分、零は透明人間であることに飽きてエアの隣に座った。詰めて座られたエアは握り拳三つ分の間を空けてから零に話しかけた。


「……何か話したいことがあるなら話すといいよぉ。君の力で零以外には聞こえないみたいだしぃ、零は神父として守秘義務っていうのがあるからねぇ」


『…………なんだ、君、察しは良いんだね』


「うーん、魔物使い君のお兄さんで、そんな落ち込んだ顔してたらなぁ……」


思い悩んで病んだ表情がそっくりだ、と言外に聞こえたエアは見透かされていることに不快感を覚えつつもヘルに似ている部分がまだ残っていると喜んだ。


「話していいよぉ、もちろん、辛いなら話さなくてもいいからねぇ」


『………………僕、天才なんだよ』


「うんうん」


悩みじゃなくて自慢だろ? そんな反応を一切見せない零に驚きつつも話を続ける。


『だからさ、先輩も教師も両親すらも、僕は尊敬の対象に出来なかった。それと……無償の愛をもらえなかった。物心つく前から天才だったから、父母は僕の将来への投資として愛情を…………愛情? うぅん……ただの媚び売りかな』


「そっかぁ。それで?」


『甘えられる人が居なかったんだよ、僕には。でも天才だから要らなかった、甘えたくなることもなかったんだよ。イラついたら弟のお腹に顔を埋めて、ぶーってやったら何かスッキリしたし』


年々かかるストレスは増えて、ストレス発散方法も過激になっていった。スキンシップで済んでいた、愛しい弟も笑顔になっていた、そんなストレス発散は次第に涙と悲鳴が必須になっていった。

エアはそれは伝えずに深いため息をつく。


『……でも、弟が魔物使いだって分かって、弟の周りに強力な悪魔が集まって…………僕は所詮人間の中の天才止まり。それでも魔法の汎用性で悪魔と差別化を測ってた……けど、あの邪神のせいで……それもできなくなった、魔法ですら僕は負けた』


魔法を人間に教えた存在であるナイ、その劣化版とも言えるライアー、彼らはエアが絶対に適わない相手だ。


『一番の魔法使いじゃない僕に価値なんかない。弟を守れない兄に、弟に好かれない兄に、弟の役に立てない兄に、意味なんかない。僕には存在する価値も意味もないんだ』


「…………なら、魔物使い君は──」


『まだ聞いて』


「………………うん」


再び黙った零はなかなか続きを話さないエアに催促することなく待っていた。


『……無償の愛を与えてくれる人が一人居れば、僕の存在は肯定される。弟は僕を恨んでいるし、もう一人新しく作った弟も弟に取られた。弟が勝手に作った兄は……甘えようとしてみたけど、やっぱり彼のことは嫌いだし、彼も僕が嫌いだった』


表面上でもライアーと仲良くすればヘルが喜ぶと思い、当初はその目的でライアーに近寄った。甘えられる人が欲しかったエアは彼を兄と呼ぶことにしたが、彼は兄にはなってくれなかった。


『でも……無償で力を貸してくれる奴が居たんだ。彼は僕が負けを認めざるを得なかった誰よりも強くて、何故か僕に従ってくれた。だから大切に思われていると勘違いしてしまった。暴言を吐いても雑に扱っても離れない彼に我儘になることで甘えてしまった。彼は僕を大切だなんて思ってなかった、ただ、罪悪感で僕の面倒を見ていただけだったんだ』


本来ならすぐにでも魂の解放を望んでしまうような醜いスライムの姿にさせられたのに、その姿を固定する魂縛石を使わせた。そんなトールの罪悪感や後悔はどれほどのものだっただろう、彼はそういった感情を一切表に出さなかったので何も分からない。


『そう知ったのは彼が死ぬ寸前で……一人だけで、心の中だけで「お父さん」って呼んでたのなんか知らないで、勝手に贖罪果たしてスッキリして死んじゃった』


「…………そう、今君には頼れる大人が居ないんだね?」


『……僕はもう二十一だよ?』


「心の方はどうかなぁ?」


『精神年齢低いって? バカにしてる?』


零はマスクの下で困ったように笑い、ひとまず頭を撫でようと手を伸ばした。しかし分厚い手袋に包まれた手は払われてしまった。


『……バカにするなよ、僕を憐れむな! 僕は天才なんだ……! 僕が、全てを……征服するんだよ。この世の王になった僕が座る玉座の前で、床に座った弟が僕を尊敬の眼差しで見つめるんだ……』


零の手を払った手で頭を掻き毟り、長椅子の上で蹲る。そんなエアを慰められる者はいない。


『………………話さなきゃよかった』


「……ちゃんと話そうよぉ、零は君の苦しみを何とかしてあげたいよ?」


『黙れ、嘘つき、そんなこと君は思ってない』


「思ってるよぉ、神父として、大人として、困っている子がいたら助けたいよぉ」


『そんな聖人君子が居るわけないだろ!? 馬鹿にするのもいい加減にしろよっ……弟の知り合いだからって僕が殺さないとでも思ってるの!? 加護受者だか何だか知らないけど、無能に落ちた僕にだって君を殺せるくらいの力はある!』


自分から求めたくせに救いの手を振り払う。そんなエアの手を掴める者なんて居ない。


「……君がお父さんって呼びたかった人が、君をどうとも思ってなかったとしても、君が感じた無償の愛は君が受け取ったものだよ」


『…………馬鹿な思い込みだろ』


「思い込みだよ? 思い込みでも、君には良い影響を与えるはずさぁ、君が疑って否定したりしなければねぇ」


苛立ち紛れに立ち上がったエアは零に背を向けて俯き、爪を噛んだ。


『……ねぇ、親は子供に無償の愛を与えるとは限らないけれど……子供は無条件に親を愛するよね?』


「幼い間は親が居なければ生きていけないからねぇ、そりゃあそうだよぉ。でも、分かってると思うけどぉ、その愛は無尽蔵じゃない」


『…………僕もアイツらは嫌いだしね。僕の弟を身勝手に刺しやがった阿呆女に、何から何まで約立たずの空気野郎……僕を褒めて、僕に媚びて、頭ん中金と名声でいっぱいにして……!』


人の心を覗く魔法を身に付けた幼い日のエアは何の気なしにその魔法を両親に使い、自分に甘く優しく接してきていた両親の愛情が利己と打算で作られていると知った。


『子供……そうだ、お父さんでも弟でもなく、子供を作れば……その子は僕に……』


「…………あ! 雪華……帰ってきた! お兄さん、お兄さん、行こう!」


『名前なんにしようかな……いや、その前に何人かを決めないと……』


「ねぇ、雪華帰ってきたってばぁ、後で一緒に考えてあげるから戻ってきてよぉ」


零に腕を掴まれて振り回されたエアは鬱陶しそうにその手を払い、他の修道女達と共に帰ってきた雪華の元へ向かった。


『……これ攫えばいいの?』


「ダメだよぉ、ちゃんとお話して、納得してついてきてもらいたいんだぁ」


どこか暗い顔の修道女達は疲れた笑顔を浮かべて神父に掃除の報告を行う。その中で一人押し黙っていた雪華は不意に顔を上げると神父に疑問を投げかけた。

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