第778話 御挨拶

とうとうやってきた結婚式の日、その早朝。僕は長かったようで短かった一週間で心の準備が終わらなくて、純白のスーツを着ながら手足を震わせていた。


『しゃんとせんかいな頭領、そんなんやったら旦那も親父も務まらんわ』


『う、うっ、うん……だ、だだっ、大丈夫、大丈夫』


『……あんま動きなや、髪結われへん』


髪を持ち上げて後頭部でまとめてもらうと、ずっしりと髪の重みを感じるようになった。新郎ということもあって髪の結い方も出来る限り男性的に見えるよう言っておいたが……自分では鏡を見てもよく分からない。


『狼はん……新婦はんとは広場で会いはるんやっけ?』


『せやせや、全部揃てるんは初めて見んねんやろ?』


震えながら鏡を置き、頷く。

普段使いにも使えるらしい丈が短めのワンピース姿は見たが、引き摺るスカートやフリル、ヴェールを着けた姿は見ていない。


『ほー、そら楽しみやん』


『しゅっ、酒呑……広場まで、おぶって……』


『俺が親父みたいやん、嫌やわ』


『みたいなものだから大丈夫』


頼りになるし、何かと気遣ってくれるし、見た目年齢的にも不都合はない。酒乱であることを除けば僕の理想の父親像は酒呑になるかもしれない。


『……さ、さよか? せやったら……』


『あきません』


『…………せやな! せやわせやわ、あかんで頭領! 一人で行き!』


納得しかけていたのにあっさりと茨木に止められてしまった。優秀な部下のようで何よりだ。


『……ヘル、ほら』


部屋を出るとライアーが空間転移の魔方陣を展開して待っていた。正装の彼の手を取り、光の洪水を抜けて広場近くに立つ。


『行ってらっしゃい』


噴水のある広場に即席の台を作り、それに赤い絨毯を敷いて国民への挨拶用の舞台は完成。後は僕とアルが両側から登って挨拶を済ませればいい。

僕が今居る物陰から出て行くのは司会者が合図をした時。新郎新婦の入場です……とかその辺だろう。


『……ね、ねぇ兄さん、司会者って誰? にいさま……いや、ベルゼブブとか?』


振り返ればライアーはもう居なかった。王城の庭の会場の準備があるのかもしれないが、一人は心もとない。


『……では、新郎新婦入場』


一瞬で静まり返った広間に低い声が響く。マイクを使っているとはいえ、よく通る声というのは何故かハッとしてしまうな。

僕達が登る舞台の斜め前、舞台の半分程度の高さの小さな箱に黒いスーツを着た男が立っている。彼が司会者のようだ。まだ黒髪だということしか分からないが、ヴェーンではない。もしかしてプロの方?


『……っ!?』


司会者の横を通る時、そっと顔を覗いた。


『サっ……タ、ン……!? 何、して……』


『…………しー……』


サタンは僕の方を向いて悪戯っぽく微笑み、唇に人差し指を立てて当てた。白い手袋と黒い袖の隙間から覗く浅黒い肌や振り返って強調された首筋が妙な色気を発している。これが妻帯者の力か……なら僕にも? いやいやないない。

アルが見直してくれるような男の色気に憧れつつ、驚愕によって僅かに緊張が薄れたので、しっかりと地を踏み締めて舞台に登ることが出来た。


『…………!』


数歩先にアルが居る。その顔をヴェールで隠し、純白のドレスに身を包んだ愛しい銀狼がもう少しで僕に触れる──!


『国王様、それでは御挨拶を』


初めて見るドレス姿に感激して我を失いそうになっていると、いつの間にか舞台袖に移動していたサタンにマイクを渡される。


『ぁ……え、えぇと……本日はお忙しい中お集まり頂き──』


前々から考えていた挨拶を真っ白な頭で読み上げる。もう自分が何を言っているのか分からなかった。隣に立つアルのヴェールを捲りたくて、そのドレス姿を目に焼き付けたくて、声が震える。


『──では、新婦からの……挨拶を』


アルが僕の肩に前足を置いて後ろ足と尻尾を使って立ち上がる。一瞬どよめきが起きるが、サタンが目を向ければまた一瞬で静まり返る。

ヴェール越しのアルの口元にマイクを持っていった。


『……私は、人間が生命を弄んだ末に生まれた合成魔獣です。この通り、醜い継ぎ接ぎの身体です』


『…………アル……?』


ヴェール越しの黒い瞳が僕を睨む。黙れ、と言いたげに。


『魂など無く、正当性など無く、存在するべきでは有りません。しかし、この人は──私を認めてくれました。禁忌でも、魔獣でも、便利な兵でもなく、私自身を必要とすることで私という存在を肯定してくれました』


身体を支えていた尾が足に緩く絡む。黒蛇の尾には純白のリボンが巻かれて美しく飾られていた。


『……私は私としてこの人の隣に永遠を誓い、貴方方を導く統率者の伴侶として傍に立ち続けることを誓います』


トンっ、と軽く肩を押して、前足を床に下ろし、頭を下げる。

アルの挨拶に呆然としているとマイクがサタンに奪い返され、挨拶の終了と拍手の要求、停止──そしてヴェールを捲り、誓いの口付けを交わすことを告げられた。


『……ぁ、えっと、アル……』


向かい合うとアルは再び僕の肩に前足を乗せた。軽く頭を下げ、目を閉じる。そっとヴェールを捲り、仄かに紅を差された目元に釘付けになる。


『ヘル……』


黒い双眸を銀毛に隠し、僅かに顔を傾ける。キスは何回もしてきたはずなのに、衆目とドレスのせいで緊張で吐きそうになってしまっている。


『……?』


アルが片目を薄らと開け、きっと情けない顔をしているだろう僕を捉える。再び目を閉じてため息をつくと、アルは白いリボンやレースで飾られた翼で僕を抱き寄せ、口付けを交わした。


『新婦からとは、珍しい。男は度胸だなんて申しますが、いざと言う時に度胸があるのは女の方だなんてもよく聞く話。しかし性別可変の淫魔ばかりのこの国ではどちらもさした意味を持たない俗説で──』


硬直する僕を横目にサタンが間を持たせる。アルが僕の肩から胸に前足をずり下ろし、トンっと軽く押して離れる。しっかりしろと怒られた気がして震えながらも正面を向いた。


『──では、お次は会場にて。入場券をお持ちの方は王城にお越しください。ここまでの方は、さようなら。どうか良い休日を』


入場券は国のVIPと希望者の中から抽選で選ばれた者に配っている。後は関係者……身内だ。会場に入れない、入らない者達は残りの休日を楽しんだり、王城の柵の向こうから覗いたりする。


『ぁ、アル……えっと、すごく綺麗。本当、もう……なんて言うか、お迎えでも来たのかなって』


披露宴会場への移動は兄の空間転移、転移先はベルゼブブが勝手に立てた小屋。新郎新婦は客より先には揃わないものなのだと。まぁ、そのよく分からない慣習のおかげでアルと話す時間が得られたのだから文句は言うまい。


『貴方は随分と緊張していたようだな。お陰で私の方から……はしたない真似をしてしまった』


『う、うん……ドキッとしたよ、あれ』


それにしてもウェディングドレスは素晴らしい出来だな。

上半身のラインを浮かばせながらもレースで飾り、立ち上がった時に映えるリボンを胸元に結び、足は一切見えない長いスカートと菱形の穴から飛び出た黒蛇の尾、その菱形の穴から覗いている銀毛……事前に見ておかなかったから硬直してしまったのだが、この感動を式当日に得られて良かったとも思う。


『メイクしてるんだね』


『要らないと言ったんだがな』


目元に紅色の粉でぼんやりと歪な丸が描かれている。


『……新鮮だよ』


『…………似合わないんだな?』


似合わないという訳でもないが、あえて欲しいという訳でもない。


『……にしてもさ、あの演説』


『あぁ、結婚式には向かなかったかな』


『…………アル、もっと自分に自信持ってよ。こんなに綺麗で、可愛くて……こんなすごい国の王妃なんだからさ』


アルはゆっくりと目を閉じ、頬への愛撫に擦り寄る。


『……自信なら持っているさ。貴方に選ばれた、それ程素晴らしい事は無い』


『何言ってるの。僕は寧ろアルの唯一の汚点だろ、目立たないシミくらいになれるよう頑張ってるけどさ?』


黒い瞳をまん丸にして、笑いを零す。僕の自虐はアルは嫌いなのかと思っていたけれど今くらいのなら笑ってくれるようだ、良かった。


『ところで、クラールは?』


『ここ』


椅子に座っていた兄が膝の上を指差す。深く赤い高級そうな生地に黒いレースのフリルの塊……いや、クラールだ。ヴェーン制作のドレスに身を包んだクラールだ。


『動きにくい服着せられてお父さんもお母さんも居ないで不貞寝しちゃった』


『そっか……ごめんねクラール、披露宴ではご馳走とケーキあるからね』


抱き上げて軽く揺らし、頭を撫でていると不快そうな寝言は甘えた鳴き声に変わった。僕はアルに目配せして微笑み、そろそろだろうと外からの司会者の声に耳を澄ませた。

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