第776話 花嫁の憂鬱

結婚式の日程、式場の設計、引き出物、料理など全て決定。ドレスのデザイナーが見つかったのでヴェーンに依頼の代行を頼み、共に家を出て白いスーツを仕立てる。


『結婚式、私も見に行きます。楽しみですね』


『……ええ、良い物作ってください』


『もちろん!』


異性に身体を測られるのはなかなか恥ずかしい。淫魔なら性別は変えられるだろうに……アルに見られたら不機嫌になるだろうな。そんなことを考えつつ計測を終え、カヤに頼んで家に戻る。


『ただいまー、ヴェーンさん帰ってる?』


『まだだ。近頃は随分と忙しないな』


リビングで暖炉の前に寝転がったアルは他人事のように言う。


『おとーたん、おきゃえりー!』


机の上でアップルパイを食べていたクラールが僕に気付く。頭を撫で、抱き上げようとするとパイにしがみついたので背中を撫でて机の上に戻した。


『アル、暖炉つける? 寒い?』


『いや、大丈夫だ』


寝転がったアルの隣に座るとアルは僕の膝に頭を乗せた。手や服の匂いを嗅ぎ、ガバッと起き上がる。


『……女の匂いがする』


『て、店員さんだよ……言っただろ? 服仕立てるって……測ってもらったんだよ』


大きな頭が押し付けられる。調べるように嗅がれるのは少し苦手だ、風呂は欠かさないとはいえ体臭が気になる。


『男にしろと頼めば良いだろう』


『気が弱くて……あんまり店員さんに指図できない』


『とか言って押し付けられる胸に喜んでいたり……』


じっと僕を睨み上げる黒い双眸を見つめ返す。


『……していなさそうだな』


『あ、分かってくれた?』


『まぁ、な……』


顎の下で揺れる首飾りの石の色彩は赤っぽい色が優勢になっている。鮮やかな色なら僕の精神状態は良好だ、激しく揺らめいているのは感情が高ぶっているということ……つまりアルに擦り寄られて喜んでいるということ。


『この石を眺めていたが、貴方は出かけている間ほとんど感情を動かさないらしい。薄らと虹色に輝いていただけだった』


『ふーん……? ところで、なんでそんなにスリスリしてくるの?』


アルは全身を、頬を僕の身体中に擦り付けてきている。


『…………所有権の主張だ』


分かっている。照れたように目を逸らして言うのが、それでも匂いつけの手を一切休めないのが可愛らしい。

念入りに僕に擦り寄るアルの背中を撫でていると、不意にリビングの扉が叩かれた。扉を開けて廊下に出ると、ヴェーンとヴェーンに似た青年が立っていた。


「……まさかの親戚。デザイナーはネール、ネール・アリストクラット。俺の母親の二人前の旦那の息子だ」


ヴェーンは顔を顰めて自分の背後に立った青年を指す。黒髪に赤いメッシュ、吸血鬼らしい縦長の瞳孔を持つ深紅の双眸に、淫魔の腰羽根……しかし淫魔の角や尾はない。


『は、初めまして、国王様……えぇと……ネール・アリストクラット。吸血鬼と淫魔の混血です……』


『……レストランの店長さんですよね?』


確かメルとセネカが働いているレストランの店長だったはずだ。会ったのは別の時間の出来事だから彼は覚えていないだろうけど、ヴェーンの異父兄弟というのも知っていた。


『え……? は、はい……そうですけど、どうして』


「副業……いや、道楽だ。俺がオキュロフィリアで兄貴がプテロフィリアだろ? そのノリでネル兄はポドフィリアでな、店員も性癖に従って選んでるし店の作りも客の──痛っ!? 何すんだよネルにぃ!」


『勝手に人の性癖を語らないでもらえないか! それも国王様にっ……』


異父ながら兄弟らしさがあるな。良いことだ。


「店の制服も自分で考えたんだよな? ってかネル兄のデザインした服一通り見たけど性癖に忠実過ぎて引くわ」


ヴェーンは持っていた冊子をパラパラと捲り、僕に渡した。どうやらネールのこれまでの作品をまとめた物のようだ。


『寝てる僕の目に指突っ込んできた君に言われたくないんだけど!?』


「……淫魔の混血珍しいから、つい」


あのウェディングドレスを見た時にも思ったが、酒色の国では珍しく露出が他国の服と同等だ。飾りも最低限で、しかし身体のラインを美しく浮かび上がらせる上品な出来栄えだった。


『…………別に、性癖? は読み取れないけど』


「はぁ? よく見ろよ。このタイツとか、このズボンのベルトとか……どう見ても脚に異常なこだわりあるだろ。上半身と比べて力の入れ方が違う」


説明されてもよく分からないが、ネールは足が好きなのか。人の足切り取って集めてたりするのかな。


『人の目を抉り取る君に比べてかなり平和なフェチだと思うけどね!』


『ネールさんは集めてたりしないんですね』


『しませんよそんなこと。切ってしまったら曲がらなくなるじゃないですか……! 股関節からの筋の流れも止まってしまうし、何より血色が悪くなるし、皮膚もガサガサにっ……!』


誰でも好きな物の話をさせると止まらなくなるものだ。しかし、この言い方では一回二回は切っていそうだな、ヴェーンの異父兄弟なら仕方ないか。


『……はっ! し、失礼しました、国王様……それで、あの……ウェディングドレス、でしたよね。ヴェーンから聞きました、あれを奥様の体型に合わせて欲しいとのことでしたが……』


『ぁ、はい、妻はこちらの部屋に……今からでお時間大丈夫ですか?』


『は、はい! 大丈夫……です。あの、どうしてヴェーンの家に王様が……?』


「居候だ。クソムカつく……お前そろそろ家自分で買えよ」


『ヴェーン!? 王様になんて口を!』


「国王国王うるっせぇんだよ! こいつはちょっと前まで目が綺麗なこと以外取り柄のない奴だったんだ!」


おかしいな、魔物使いの力は唯一無二のものでそれが取り柄のはずなのだが。ヴェーンとネールの言い争いをしばらく眺めて、僕の視線に気付いたネールが意識をこちらに戻す。


『……ぁ、あの……国王様の奥様、王妃様は今まで全く露出がなく、ようやく見られるとのことで、どんな方なのかと巷で話題になっております』


「やったなネル兄、先行謁見だ。見たら絶対驚くぜ」


『うるさいよ! ぁ、えぇと……その』


『……妻は繊細なので、あまり見た目に言及しないでいただけると助かります。あと、子供も居ますからあまり騒がないで……』


ネールの返事を聞きながらリビングの扉を開ける。アルが暖炉の前に寝転がり、クラールが机の上でアップルパイを貪る、出た時と変わらない景色だ。


『……王妃様はどちらに?』


『アル、ドレス作ってくれる人が来たからおいで』


説得はしたがやはり気乗りしない様子で、起き上がってこちらに来たものの動きは鈍いし表情も固い。


『……こちらがアル、アルギュロス……僕の妻です。彼女をより美しく引き立てるウェディングドレスを、お願い致します』


ネールは目を丸くしたままアルの前に膝をつき、頭を下げて右前足を握手をするように握った。


『狼……?』


呟かれた言葉に嫌な未来を感じ取りつつ、不安そうに僕を見上げるアルを安心させるために微笑む。


『…………すごい。あぁっ、すごい、筋肉……この筋肉! こんなに引き締まった女の脚は初めて見ました! すごいっ……あぁこの関節の位置がたまらない、黄金比! 爪の長さと鋭さも素晴らしい!』


獣なんてと眉を顰める最悪の未来が訪れなくて良かったが、これはこれで嫌だな。


『はぁっ……! この厚い毛皮に隠された脚線美……! たまらないっ、どの角度から見てもいい! どの要素を切り取ってもいい! どこのどんな美も互いを邪魔せず引き立てるっ……素晴らしい、素晴らしいっ、素晴らしいぃいっ!』


土下座のような体勢で頭を床に擦り付け、顔を横にしてアルの足を見つめるネール。まともな人だという第一印象は崩れ去った。アルは後ろ足と尾で立ち上がり、僕の身体に前足を絡めて立ち上がる。怖いもの知らずといった雰囲気のあるアルだが、変態は苦手のようだ。


『……僕の妻に変態行為をするのはやめてください』


後ろ足に踏まれようとするネールの肩を足で押し、正気に戻るよう促す。


『なんとお耽美っ……! 筋肉、脂肪共に必要最低限を下回る、耽美な細身! やはり健康的な足が至上というのが通説ですが、こういった足としての役割を十分に果たせそうもない穢れなき儚げな雰囲気のある耽美な御御足もまた素晴らしいと──』


『私のヘルに触れるな変態!』


僕の足に頬擦りを始めたネールはアルの尾で弾き飛ばされた。吹っ飛んだ先で正気に戻り、深い謝罪を繰り返す彼を見ていると責める気が失せる。


「……アリストクラットの血縁って全員あんな感じ」


ヴェーンは床に頭を擦り付けて謝る異父兄弟を見て楽しそうに笑っていた。

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