軍人集め
会談や視察、訪問の予定はない。しかしライアーに押し付けられる書類仕事ばかりでもない。希少鉱石の国を初め他の貿易国にも軍を置くという約束をしてしまった。軍を作らなければ。
『……ってことで、ベルゼブブ。意見ちょーだい』
『アンタ馬鹿なんですか? どうして無いものを有るとして交渉するんです?』
『暴言は要らない……っと、あぁー、お父さん負けちゃったぁ。クラール強いねー』
リビングの机を挟んで向かいに座ったベルゼブブが呆れた目を向けてくる。僕はクラールと縄の引っ張り合いをしながら軍作りについて聞こうとしていた。
『そもそも国って普通軍ない? なんでこの国ないの?』
『アシュメダイが居ましたからねぇ。有事の際には自分の軍団を魔界から一時的に引き上げますから。同じ理由で娯楽の国にも軍はありませんよ』
『そっかー……じゃあ一から作らないと。魔法の国にも無かったしなぁ……』
魔法の国には絶対に破れることのない結界があった。魔法を教えた神が来なければずっと平和だったのだ。まぁ、魔物の襲来がなく魔法の国が滅びなかったとしたら、僕は兵器の国で兄の玩具として一生を過ごしただけだろうけど。
『陸、海、空、が基本ですかね。空軍なら担当してもいいですよ』
『ありがとう! お願いね』
『即断即決……いい事ですねぇ』
嫌味だろうか。いや、一々気にするな。
『海……は、まぁ、船護衛用に集めたけどまだ待機させてる子居るし……人は問題ないけど統率役が欲しいな』
『大将って奴ですね』
『…………酒呑でいいかな?』
彼に海の印象はないけれど、水を扱う術を使える。派遣するのは彼自身ではないし、名前だけ借りておこう。
『で、陸軍……かぁ。ベルフェゴール?』
『寝てますよ?』
こちらも名前だけ借りるつもりなので寝ていようと何していようとどうでもいい。
『マンモンは空軍に欲しいですし……まぁ、ベルフェゴールが順当なんでしょうか』
『僕立候補していい?』
ひょこ、と肘掛けの影から顔を出す兄。驚き過ぎて大きな反応はできなかったが、多分心臓は何秒か止まったと思う。
『兵器の国で大佐やってたし、軍の動かし方は結構勉強したよ。どれかって言えば陸が一番得意だし、やらせて』
溶けた身体で強引に僕と肘掛けの隙間に入り込み、最も早く固体になった頭部を目の前に持ってくる。兄が座るスペースを確保し、全身が個体になるのを待った。
『第一候補はベルフェゴールだったし、にいさまがやってくれるって言うなら文句ないよ』
第一候補からして最低保証以下だった、悪魔に比べて戦闘力で劣っていても多才で怠け癖のない兄は申し分のない立候補者だ。
『じゃあにいさまは陸軍大将ね。ベルゼブブが空軍大将、酒呑が海軍大将……後は人員…………それぞれでスカウトしてくれない?』
『はっ倒すぞクソガキ。おっと失礼口調が乱れました。私は軍団持ってますから……まぁ、ほぼほぼ魔界から出られない中途半端な悪魔なんですけどね』
『人界でしっかりやってもらえないと困るよ』
ベルゼブブの補佐に力の供給役が欲しいな。無限となると合成魔獣のうち誰か……いや、アルを除いた二人のどちらかを入れておきたい。
『あ、そうそう、希少鉱石の国から返品させてきた魔獣達、野生に帰ってくれなくなっちゃったからさ』
『じゃあ鳥はうちが。犬と猫は兄君どうぞ』
『獣臭い軍だね……僕は適当に他の子誘っておくよ、家に居る子使っていいだろ?』
『強制じゃなきゃね……』
兄のことだ、予め釘を刺しておかなければ自主的な行動を強制するに決まっている。生返事に不安を煽られつつも兄を見送り、ベルゼブブに向き直る。
『あのー……何でしたっけ、ピンク色の淫魔』
『セネカさん?』
『あの人欲しいです』
『誘っておいて。後さ、仕事してる人は派遣できないからさ……その』
『派遣要員は別で確保しますよ』
僕は国を強く見せるために軍の体裁を整えたいだけだ。トップならまだしも別の仕事をしていて使えない下の人員が要るのか? ベルゼブブはもしかして別に軍を使う気ではないだろうか。
『……じゃあ、軍作りは任せるよ』
『魔物使い様は何するんです?』
『家族サービス?』
『死ねば?』
無表情のまま声色を変えずに他者に死を要求する、流石は悪魔だ。なんて冗談はさておいて、僕も本当に妻子と戯れるだけの時間は過ごせない。兄とベルゼブブには人員集めを押し付けられたが、酒呑は今仕事中だし今後も忙しいし海上海中戦闘を得意とする魔物に面識があるとは思えない。
『……さて、お父さんは鮫系の魔獣スカウトに行ってくるから──』
『私も行く』
ベルゼブブを見送ってクラールに話しかけていると机の下からアルが這い出てきた。寝ているとばかり思っていたが、起きていたらしい。
『大丈夫? アルの羽根ってアヒルとかのじゃないでしょ』
『……貴方が他所の女と会うと分かっていて濡れるのを嫌がっていられるか』
『他の女って……鮫とかだよ?』
呆れた、とまではいかないけれど近い感情でアルの目を見つめると、ぐるる……と唸り声が返ってくる。
『……ゃ、あの……連れてきたくないとかじゃなくて、海大丈夫かなって……あの、うん……』
『…………ヘル、知っているか?』
『な、何を? 僕が鮫って言ってるの実は全部鯨とかそういう話はやめてよ、前に言われた時すっごい恥ずかしかったんだから……』
鮫は魚類で鯨は哺乳類という明確な違いがあるらしい、僕が貿易船の護衛用に集めたのは鯨類の群れ。背びれだけで「サメっぽい、多分サメ」と言っていた過去の僕を殴りたい……銀の鍵はこういうくだらない時に使っても門を開けてくれるのだろうか。
『狼というのは執念深い生き物でな、集団で何日も獲物を追い掛け続けるんだ。睡眠や休憩を邪魔し、追い詰める…………なぁ、ヘル? 私は狼の群れの中で生きた事は無いし、そう長く獲物を狙った事も無い。けれど……きっと、私はそういう女なのだ』
『……な、何が言いたいのかよく分かんない』
『貴方に限って無いとは思うがな、どんな狡猾な女が貴方を狙うか分からん。貴方は警戒心が緩いからきっと簡単に懐に入られてしまう』
僕はそんなにモテないし、そう警戒心が緩くもない。
『…………朝起きた時に見知った女の喰い散らかされた死体を見たくないのなら、私以外の女には冷たく接する事だ』
仲良くなった人に夜這いでもされたらその人を喰い殺す、それも僕に見せるために汚く喰う、そういうことだろうか。怖いなぁ。
『……アルも、ね。あんまり他の人と遅くまで飲んだり撫でられたりしないでよ。僕、八つ当たり酷いタイプだから』
『あぁ…………ふふ、ヘル……好きだよ』
『僕も、大好き』
脅し合って目を合わせて微笑み合う。こんな夫婦関係はきっと普通ではないのだろう。けれど僕は生まれてこの方普通だったことはないし、ずっとその言葉に苦しめられていたから、誰に「普通じゃない」「異常だ」と批判されても積年の恨みを込めて切り捨ててみせる。
互いの愛を攻撃的な未来の夢想で表現するのは案外楽しいのだ。
『海、か…………ふむ、クラールを海で泳がせてみてはどうだ?』
港に到着し、ちょうど来ていた貿易船の護衛の海洋魔獣達を目の前に、アルが呟く。
『んー……この季節はちょっと寒そうだけど。派遣要員探すなら暖かいところも行くかもしれないし、そういうとこ行ったら泳がせてみよっか』
今まではプールと湯船でしか泳いでこなかったか、海の方が浮力が大きいなんて聞くし、何より波が楽しいだろう。僕は仕事と称して家族旅行を楽しむ海はどこがいいかと世界地図を頭に浮かべた。
『しかし……ヘル、貴方が鮫と言っていた魔獣、これは……逆叉では』
『なにそれ』
『殺し屋鯨だとか海のギャングだとか呼ばれる恐ろしいモノだ』
『へぇ……殺し屋。頼もしい……』
桟橋に立ち、集まって来ていた魔獣達に手を伸ばす。間近に居た子を撫でると黒と白の身体をくねらせて桟橋に登ってこようとした。止めなければと力を使う間もなく隣に居た子が撫でていた子に体当たりを仕掛け、僕の方を向く。
『…………可愛いなぁ』
『早く止めなければ桟橋が壊れるぞ』
僕を求める争いに頬を緩ませていると引っ込めた手にアルが額を押し付けてきたので、争いを止めずにアルを撫で回すのに尽力した。
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