黄衣の王
メイラは突然訝しげな顔をして話を止める。
「……どうした?」
振り返り、首を傾げてまた僕を見つめる。
「…………変な虫でもいたのか? 話、続けるぞ」
『……は、はい。すいません』
怯えた顔でもしていたのか、いや、仕方ないだろう。だって背後のハスターが──
「劇の上演から山側の連中の採掘反対が勢いを増した、過激にもなった。今までそんなに反対してこなかったのに……って当時はビビったよ、いや、ドン引きの方が正しいかな。過激になった後に生まれたスメラギはそれしか知らないから、豹変したって不気味さを知らねぇ。だから話し合うーとか言ってたんだ」
流石の長命だな。四百……とか言ってたかな?
「俺はずっと止めてたんだけどある時行っちまってさ、帰ってきたスメラギは様子がおかしかった。山側の連中は何故かずっとニコニコしてたらしく、説明会の手応えはあったらしい。で、説明会の後に帰る準備してたら劇に誘われたんだってよ」
『それが、黄衣の王?』
『見てよ、ねぇ、君も見て。見てってば。見て』
「そう、説明会の手応えはあったって話してた、ニコニコしてて海側で言われてるような凶暴な人達じゃなかったって話してた。普通なら喜ぶことだろ? でもスメラギはずっと自分のやってきたことは全て無駄だったって言って塞ぎ込んだ」
大収穫を得たのに無駄だった? 確かにおかしい。いや、それにしても……ハスター……どうしたんだ? 様子がおかしい。怖い。気味が悪い。気持ち悪い。怖い。
「……おい? 大丈夫か?」
『…………あ、うん、ごめん。聞いてるよ』
「それからもスメラギは頻繁に山側に行くようになってな、そのうち変な格好し始めたんだよ。劇の仮装なのか知らねぇけどよ、不気味だろ? アレ」
『……そうそう、スメラギ君はいい子なんだよ~。毎日毎日僕に捧げ物して祈ってさ~。彼が信じてくれたから僕は定着できたんだよ~』
ハスターの様子が落ち着いた。ひとまず安心……なのか? これだけ不安定だと別の恐怖も湧いてくる。
「そしたらいつの間にかアイツ起業しててさ、畜産。羊ばっかり。意味分かんねぇよ」
『……羊、嫌い?』
『…………ひ、羊嫌いなんですか? 僕は好きですけど……』
『好き? そっかそっか~、いい子いい子~』
ハスターが僕の背後に移る。よかった、メイラから離せた。見た目も声色も元に戻ってきた。
「いや好き嫌いの問題じゃねぇよ。放牧されてるからたまたま群れに出くわしちまって頭突きされまくって二回くらい死んだから嫌いだし」
メイラは遠くを指し、ため息をついた。羊とはそんなに凶暴なものだったかな、お菓子の国で綿あめと化した羊の世話をしたことがあるけれど──そういえば牧場主がはね上げられていたような。
『……………………嫌い、なの?』
僕の体をすり抜けてハスターがメイラの眼前に迫る。しかし、メイラには知覚できていない。
『……っ、で、でも、もふもふしてますし、基本的には温厚でしょ? 可愛いじゃないですか。メイラさんどうせ何かイタズラしたんでしょ』
「してねぇよ。閉鎖された鉱山に忍び込もうとしてただけ」
それはそれで犯罪行為だが、羊が怒るとは思えない。
『羊嫌いなの? ねぇ、そんなに嫌い? 見たくないの? 育てない? ねぇ、嫌い? どれくらい嫌い? 絶対好きになれない?』
『で、でもほら、もふもふしてますよ、もふもふ』
「お前どんだけ毛もくじゃら好きなんだよ……まぁ、見た目には可愛いよな。あの角のデザインは秀逸だと思う。セツナも羊毛好きだし……畜産自体はいいんだよ、ただ薄気味悪いのがなぁ……」
『…………好き? 羊、好き? 好きになった?』
風が止み、視界を覆っていた黄色い布が離れる。視線を横にやれば黄色い布と白い仮面だけが浮いていた、その様子は落ち着いているように見える。
『……メ、メイラさんも羊そのものは好きなんですよね? 苦い思い出あるってだけで』
「羊そのものはな。肉まぁまぁ美味いし」
『……っ、ぁ、これはいいんだ』
黄色い布の下の何かがどんな形をしているのか、座っているか立っているかそれ以外の体勢なのか、そんなのは分からないけれど、ハスターは変わらずちょこんと座っているように見える。
「…………何が?」
『な、なんでもないです』
食ってもいいが嫌うのはダメ。基準が分からない。
「…………何かめっちゃ話逸れたな。とにかく、今のスメラギには関わらない方がいいってことだ。山側にも行くな。黄衣の王は見るな。じゃ、俺そろそろ帰らねぇと便秘だと思われるから」
別に戻らなければならない理由を大っぴらにしなくてもいいのだが。
『ハ、ハスター? あの……』
メイラが行ったのを確認し、目の前で静止しているハスターに声をかける。
『…………君、何したの?』
メイラの話を聞くに、スメラギの豹変はハスターが取り憑く少し前に起こっている。
山側に行く、劇を見る、様子がおかしくなる、ハスターを喚び出す、取り憑かれた、今……といった流れだろう。
つまり、山側で見た劇でハスターを知り、信仰した。真面目なスメラギの信仰心は神をその身に降ろすまでに膨れ上がった。
『何って……うぅん、嵐を逸らしたり~、野生動物追っ払ったり~?』
家畜を守っているということか? 僕が聞きたいのはその話ではない。
好意的に解釈すれば劇の内容はハスターの偉業か何かだろう。その素晴らしさに感激して信者が増えるのだ、それなら何の問題もない。
しかしひねくれ者の僕には「山側の人の温かさや説明会の大成功があったにも関わらずスメラギが何もかも無駄だったと落ち込んでいた」ことが気になって仕方ない。
『そっちじゃなくて! その、劇の内容は?』
『見に来てよ~』
『……あらすじだけでも』
『だめ~、見て~』
何よりはメイラが話している時のハスターの態度、様子の変化だ。上位存在なのだから多少は人間の精神に影響を及ぼすだろう、しかし、アレは気味が悪過ぎる。魅了されるような寒気が走るような美しさを感じるのならまだしも、身の毛がよだつような恐怖を感じるのは神としておかしい。
『…………じゃあ、さ、君の目的は何? 何がしたいの?』
『山を掘り返したり~、石を敷きつめたりせずにさ~、家畜と一緒に暮らせばいいんだよ~、うん。人と家畜の数の調整は僕がしてあげる~、他の邪神や悪魔からは僕が守ってあげるよ~? うん、僕の庇護の元で羊飼いとして生きればいいんだ~、うん、それがいいよ~』
これが嘘でないのなら確かに邪神ではない。そこらの神よりよほど人間に優しい。しかし、何だ? この鳥肌は。
『ひとまずそこの大洋到達不能地点を埋め立てようね~、星が動いても良くないものが浮かんでこないように全部埋めてしまおうよ~、うん、そしてそこに植物を植えて羊を飼お~、うん、うん……最高だよ~、うん』
『……海を埋め立てるの? なんで?』
『大きなタコなんて出てきたら怖いよね~? うん、羊も人間も怖がっちゃう~。怖い夢見たら怖いよね~。だから悪夢の原因は排除しないと~』
クラーケンの話……いや、何かの喩えなのか?
『アレを埋葬してあげたら次は悪辣な文明の削除だね~、うん、家畜と歌って暮らせないような文明は吹き飛ばそうよ~、更地になったら植物を植えて羊を飼お~、うん、そうやってこの星を平和に変えていこうよ~』
文明の削除? 吹き飛ばす? 雲行きが怪しくなってきた。
『家畜達と暮らしていれば海の向こうに爆弾を落としたりしないし~、山を削って棲み家を失った野生動物達を虐殺しなくていいよ~? うん、うん……ター君もいい未来だと思うよね~?』
『……良い、とは思うけど』
退行だ。
『今あるものを……壊すのは』
『……被害が少ないうちに壊さないと自壊するんだよ~? 文明の発達で壊れる星は割とあるんだ~、うん、何個か見たよ~?』
白い仮面が眼前に迫り、両手に黒い触手が巻きつく。両手を握って説得されているといったところか。
『進化の究極は死だ。文明の最果ては滅亡だ。だから途中で止めようよ~。それがいいよ~、うん、平和で止まろうよ~』
『……牧歌的な風景ってのは僕は好きだよ。でも、その下にたくさんの人が死んでるってのは……怖いよ』
『……………………君、まだ心は人間だったよね?』
『……だ、だと思いたいけど、だったら何?』
『…………ここで見せてあげる。黄衣の王を。そして、君達人類のこれまで営みがどれだけ無駄だったか知るといい。最初から動かなければ幸せだったと、だから最初に戻して止まろうと、そう思うんだ』
白い仮面が剥がれ落ちる。黄色い布が強くなってきた風に捲れ上がる。
僕は咄嗟に眼窩に親指を押し込んだ。
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