第736話 追われて逃げて

神降の国でのお茶会。クラールもドッペルもハルプもお茶菓子に夢中だ。

お菓子ばかりではいけないだとか、バランスよく食べなければいけないだとか、そんなものは長く生きる予定がある者のためだけにあるのだ。スカーフによって苦痛は感じないし体調不良は癒されるのだし、美味しければ毒を食っても構わない。


「そういえば魔物使い君は結婚式とか挙げないの?」


『やってみたくはあるんですけどね』


銀の鍵を使う前ならウェディングドレスを作るためにアルの寸法を測ったりしたのだが、時を超えてあの行為も無駄になってしまった。


『……落ち着いたら挙げたいので、来てくれますか?』


「俺は絶対行くよ!」


『教会で挙げるんやったら俺誓いやったるけど』


魔法の国でどうやっていたかは知らないし、僕を必要としなかった亡国の文化を継いでやろうなんて思えない。アルの出身である科学の国は創造神信仰だし、敵対していると言っても雰囲気作り程度なら構わないだろうか。


「あ、りょーちゃんずるいよぉ。零もやりたい」


『零来たら新郎新婦招待客全員凍ってまうわ』


「ちゃんと抑えるよぉ」


『一生に一度の結婚式であんっの気味のわっるいマスク着ける気か?』


気味の悪いマスクと言うと、今零が座っている椅子の肘掛けに引っ掛けられている鳥を模した物だろうか。着けていては食べられないから外しているのだろうが、そのおかげでお茶は食道を通るのが分かるくらいに冷えている。


「一生に一度かどうかは分からないじゃないかぁ」


『なんてこと言うんですか』


「銀婚式とか金婚式とかやらないのぉ?」


『ぁ……あぁ、そっちですか。何周年とか祝うんでしたっけ……?』


離婚してまた結婚するかも、なんて話ではなかった。流石に神父がそんなことは言わないか、それも穏やかで優しい零が……いや、零は腹が読めないし案外とそういう冗談も言うかもしれない。


『ぱぱ、ぱぱぁ』


『ん? ドッペル、ハルプ、どうしたの?』


『くー……きー?』


『くーきー……? 空気? あ、クッキー? クッキー欲しいの?』


僕の分のチョコクッキーを見せるとドッペル達はバラバラに首を縦に振った。


『いいよ、はい』


半分に割り、咥えさせる。ドッペル達は姿勢を戻して咥え直し、ゆっくりと食べ始めた。


『……おとーた、おとーたぁ、くぁーぅ……もぉ』


『クラールもクッキー欲しい? えっと……ごめん、お父さんもうクッキー持ってないや』


『きゃうぅ……』


そう悲しそうな声を出さないで欲しい。どう納得してもらうべきだろう、お姉ちゃんでしょなんて言いたくない。

悩んでいるとカランと音が鳴る。空だった僕の皿に視線を戻せばクッキーが一枚乗っていた。


『え……? えっと……誰?』


誰かが入れてくれたのだろう。アルは初めからクッキーを子供達に全て分け与えていたから違う。零は遠いしツヅラは動けない。性格から考えてヘルメスだろうと視線をやると、彼はにぃっと笑った。


「ねぇってホント素直じゃないよねー?」


「……何のこと?」


「このクッキー好きなくせにあげたじゃん、俺見たよ?」


「はぁ!? 誰も見てないの確認して……」


アルテミスは机を叩いて立ち上がり、ハッとした顔をする。


「……ぁ、やっぱりねぇだったんだ」


「アンタっ……見たって嘘ね!?」


ヘルメスはアルテミスに胸ぐらを掴まれて振り回されているが、それでもへらへらと笑っている。


『……あの、アルテミスさん。ありがとうございます』


「…………ふんっ!」


ぷいっと顔を背けてしまったアルテミスの元にもらったクッキーをもう食べ終えてしまったクラールを抱えて連れていく。


『クラール、ほら、このお姉さんがクッキーくれたんだよ』


クラールはふんふんと鼻を鳴らし、前足を水を掻くように動かす。


『ありがとうって』


『くー、き、ぁいあと!』


「……べっ、別に……もうお腹いっぱいだったからあげただけよ!」


『理由が何でもクッキーくれたのは変わらないもんねー、嬉しいよね、クラール?』


ワンと鳴いて応えるクラールは元気いっぱいで、何年も何十年でもこのまま元気に吠えていそうだと思わせてくれた。愛おしくなって抱き締めて、再び顔を逸らしてしまったアルテミスにもう一度礼を言った。席に戻る途中、アルの真後ろに黒い霧が立ち込めているのに気が付く。


『……アル! こっちに!』


慌ててアルを呼ぶとアルはドッペル達を額に掬って僕の元に走って来た。黒い霧が背の高い青年の姿を取り、僕を睨む。


『ヘル! 今日という今日はいい加減に仕事を──』


『カヤっ!』


伸びてくる黒く大きな手に捕まる寸前でカヤが現れ、僕達を次の目的地に運んでくれた。時刻の予定は狂ったが大きな問題はない。


『さ、娯楽の国だよクラール、ドッペル、ハルプ。娯楽ってくらいだからね、とっても楽しいよ?』


念入りな下調べによって子供達が遊べそうな場所は分かっている。娯楽の国の自慢であるネオン輝く歓楽街は今日は遠目に見ることもないだろう。


『……耳が痛いな』


テーマパークと呼ばれる施設の中に入ってしばらく、アルが唸る。激しい音楽が流れているし子供達の楽しそうな叫び声も響いている。


『帽子でも被る? ほら、クマ耳帽子』


土産屋の前で立ち止まり、茶色いクマの頭を模した可愛らしい帽子をアルの目の前に持っていく。


『…………要らん』


『えー、可愛いのに。耳も塞げると思うよ?』


人用の形はしているが、アルが被るのに問題ない大きさだ。人が被ったなら耳あてになる部分もあり、そこから紐も伸びている。顎で結んで落ちないようにする……もしくはただのデザイン。紐の先には丸い毛玉の飾りもあって可愛らしい。


『私には似合わん』


『……それがいらない理由? 帽子嫌いとかじゃなくて?』


『ん……? あぁ、そうだ。私にそんな可愛らしい物は似合わない。煩いのは我慢するさ』


『すいませーんこれくださーい』


同じデザインで白色の物も買い、茶色い方をアルに被せる。人と狼の頭の形の差か安定して乗ってくれないので紐を顎の下で結ぶ。白い帽子は僕が被り、紐はそのまま垂らした。


『おそろーい』


似合わないとは分かっているし、僕はこういった可愛らしい物を身につけるのは嫌いだ。けれどアルと揃いというのはなかなか嬉しい。


『…………貴方が満足ならそれでいい』


ぷいっと顔を逸らしてしまったが、その後ショーウィンドウに自分を映して帽子を眺めていたので、機嫌を損ねたのではなく照れているのだと思いたい。

クラールとドッペル達に与えられそうな土産物が無いのは残念だが、大人しく被っているとは思えないしまぁよしとしよう。


『水上コースター……これ乗ろっか、あんまり怖くなさそうだし』


テーマパークには来た者を楽しませる様々な乗り物がある。曲がりくねったレールを走る物や高い所から落とされるなどの所謂絶叫マシンを始めとし、ゆっくりと高くへ上がっていく観覧車、作り物の怪物に驚かされるお化け屋敷……とにかく色々ある。

水上コースターは絶叫マシンに分類されるようだが、僕が選んだのは子供向けの物で絶叫するほどではなさそうだ。


『……魔獣用のシートって何かアレだね』


ボートを模した乗り物に乗り込み、アルをシートに固定する。


『病院の診察台のようだな』


直方体の上にベルトで固定するだけの単純な代物。


『それは見たことないから分かんないなぁ。えっと……このベルトがお腹で、こっちが……首?』


四足歩行用のシートではあるがアルのように大きな魔獣用ではないらしく、少々窮屈そうだ。これがカルコスやクリューソスならベルトが腹に回らなかっただろう、彼らと比べればアルは小柄だ。


『苦しくない?』


『あぁ、それよりヘル、子供達を落とすなよ』


子供達のように小さな魔獣用のシートはないので、首から下げた鞄に入れて顔だけ出させている。抱っこ紐の類似品と思って欲しい。

人間用のシートに座ってベルトを回し、鞄の上から子供達を抱き締める。職員に準備完了を告げるとボートが動き出した。


『暴れないでねー……っと、そうだ。クラール、視界共有しようね』


水の上を滑る爽快感は顔に触れる風だけでなく流れゆく優美な景色あってこそ楽しめる。視界共有を意識するとクラールは嬉しそうな声を上げた。


『わ、わっ……結構速くない?』


『そうか?』


アルに乗っている時よりは景色を楽しめるけれど、この速さと時々ボートが跳ねて与えられる浮遊感には僅かな恐怖を覚える。


『わぅわぅ!』


『ぴりりっ、ぴぃ!』


『子供達は楽しそうだぞ? お父さんは怖がりだなぁ?』


僕を横目で見ての意地悪な笑顔もクマの帽子を被っていると可愛らしさしか感じられない。


『ぱぱ、こぁいー?』


『う、うん……ちょっと、怖いかな。ちょっとだけね』


『くぁーぅ、こぁくなぃー!』


『そ、そっか、クラールは強いね。ドッペルとハルプも怖くない? 僕だけかぁ……』


父親として情けないと落ち込むべきか、子供達が楽しんでいることだけに集中して喜ぶべきか。クラールのためにも景色を見ようと顔を上げ、風と水飛沫を浴びた。

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