第710話 対処はほぼ完了

顔に飛んできたコウモリのくるくると巻いた毛の感触に引き剥がすのを忘れていると、不意にその感触が消えて目の前に薄桃色の髪の少年が現れる。


『魔物使いくぅーんっ! 会いたかった会いたかった怖かったよぉっ!』


『ちょ……セネカ君、王様に何を……』


セネカを僕から剥がそうとする男の手に手を添えて止め、僕に抱き着くセネカの肩に手を置いて優しく押した。青空を閉じ込めたような瞳を潤ませて僕を見つめるセネカに微笑んで、首を傾けて目を閉じる。何も言わなくともセネカは察し、僕の首に牙を立てた。クセになる快楽を味わいたいところだが、名残惜しくなっては無駄な時間を食ってしまう。痛覚と快感を遮断し、血が抜けていく音を聞く。


『はぁ……美味しかった。ありがと、魔物使い君』


『欲しくなったらいつでも言ってください、ヴェーンさんも。それで、えっと……』


ライアーは既に怪我人の治療を終えていた、今は通りに出て周囲一帯に修復魔法をかけている。


『…………ヴェーン? ヴェーンだって?』


『どうしたの店長』


店長だったのか……男は僕の隣を抜けてフェルが肩を貸しているヴェーンの元に行った。


『……ヴェーン! よかった、生きてたのか! 無事……じゃ、なさそうだけど』


『…………誰だお前』


親しそうな知り合いに思える発言だがヴェーンは覚えていないらしい。


『は!? ネールだよ、ネール! ネール・アリストクラット……君のお父さんの二人前の君のお母さんの夫の息子!』


分かりにくい説明だが異父兄弟らしい、そういえばどことなく顔が似ているような。


『…………あぁ、淫魔の混血……えっと、ネルにぃ……だったよな?』


『君引き取ったのうちだったよね……?』


『久しぶりだな、元気か?』


『君よりはね……』


引き取った……確かヴェーンは母親と双子の兄と縁を切ったなんて言っていたか、アレは結構幼い頃の話だったようだ。しかし異父兄弟あり義兄弟でもある彼の顔を忘れているとは酷い奴だ。


『……ヴェーンさん、他の人助けなきゃだからもう次行くけど、話あるならここ残る? 兄さんに結界貼ってもらうから安全だと思うよ』


結界を解くことが出来るナイはもう居ない、国を覆う結界も張り直したし、後は結界内に残る天使を追い出せば完璧。ナイが二人三人と来なければ……の話だけれど。


『え……? いや、嫌だけど。お前と一緒がいい』


『え? そ、そう……? 何急に……気持ち悪いよ?』


『お前の傍に居なきゃ魔力安定しなくて再生進まないし上手く動けねぇんだよ』


『あぁ……そっち。びっくりしたよもう』


『そっちってなんだよどっちだよ』


周辺の建物の修理を終えたライアーの服の裾を掴み、レストランに居る者達に手を振って、また次の場所へと向かった。

転移先は薄暗い室内、灯りに照らされたなら輝くだろうガラスの飾りが割れて散乱するホストクラブの店内だ。


『みんな! 無事?』


『ん……おぉ頭領! 来たんか』


無傷の酒呑に出迎えられ、見渡せばクリューソスが結界を張っていると気付いた。中には従業員と客らしき者達、それにカルコスが居た。反対側に視線を移せば何かを踏みつけながら手のひらに乗る赤い塊を弄ぶ茨木が居る。


『……無事、そうだね。よかった……魔力大丈夫? 僕食べる?』


『は? いや、何言うとるん。食わへんよ』


『そう? 疲れてない?』


『全然、久しぶりに暴れられる思うたんに歯応えのうて消化不良やわ。せやな、後で手合わせでも頼むわ』


冗談交じりにそう言ってケラケラと笑う酒呑は本当に元気そうだ、僕を気遣って──だとかではない。あの口寄せとか言う術を使わなければ彼はほぼ肉弾戦だし、魔力の消耗が少ないのも分かる。茨木に任せたのかもしれないし……と、そうだ、茨木。


『茨木ー、大丈夫ー?』


呼び声にようやく振り向いて、赤い塊を弄びながら僕の前に立つ。


『頭領はん、よぅ来はったねぇ。忙しいやろうにすんまへんなぁ』


『うん、茨木、魔力大丈夫? お腹空いてない? 僕食べる?』


『食べへんけど……?』


『お腹空いてない?』


『んー…………せやね、たこ焼き食べたいわぁ』


魔力不足による空腹ではなさそうだ。義肢は魔力を消費しないし、彼女は術を使わない、傷も見たところはないし──無事で良かった。


『……よし、後はにいさまだけだね』


兄なのか兄の分身なのかは分からないが、神獣にもドラゴンにも似た見覚えのある魔獣が空を飛んで陶器製の天使達を壊して回っているのを見た。ベルフェゴールの『堕落の呪』は僅かでも睡眠欲が無ければ効かない、名前持ちの天使のように肉体で活動していない陶器製の天使達が今のところ一番の脅威だ。と言ってもその戦闘力は高度な訓練を受けていれば人間でも辛勝出来る程度だけれど。


『…………あれ探すの?』


ライアーは分かりやすく嫌そうな顔をしたが、じっと上目遣いをして頃合いを見て頷くと探知魔法を発動してくれた。


『……ダメだ。空間転移を繰り返してるし認知湾曲も隠匿も妨害もあるから追えないよ』


『………………無事?』


『多分。魔力は凄い勢いで減ってるけど、おそらくこれは……結界? いや、街全体に修復魔法と治癒魔法、蘇生魔法をかけてるんだね』


その直後、瓦礫がひとりでに浮かび上がって建物が元に戻っていくのを見た。ライアーが魔法を使った様子はない。


『あの熱い天使に燃やされた分は魔法で戻すのは無理っぽいけど、それ以外は何とかなったね。火災は……うぅん、火に対して個別で結界を張る?』


ライアーは街の復旧について考え始める。優秀な秘書だ……なんて思ってみたり。しかし、肉体だけなら国民一丸となっても数ヶ月かかるであろう作業が一瞬で終わるなんて、やはり魔法は便利だ。使ってみたかったななんて諦め悪くも思ってしまう。


『結界を張ったとしても時空間ごと燃やされたりすればやばいかなぁ……概念的な炎だもんねアレ』


『……待って、あの天使結界破れるの?』


『結界を破るって言うか、結界っていう事象を燃やして無かったことにするって言うか…………ちゃんと解析してないから分かんないけどさぁ』


『じゃああの封印は!?』


魔法による結界はナイ以外には解けないと思っていたから至る所に張ってもらったのに、魔法による封印はナイ以外には解けないと思っていたからあの天使を封印して離れたのに、あの天使が対抗策を持っていたなんて。


『まぁまぁ少年、封印解けてもあたしの呪いあるんだから大丈夫っしょ』


『ベルフェゴール……まぁ、そう……かな。呪いも燃やされたりしない? っていうか……落ち着いたね』


『うんうん少年、落ち着きまくってるよ。うん……何かダルい、少年少年、おくすりちょうだい』


『………… し っ か り し ろ 』


目を合わせて真正面から声を聞かせる。少し眠気を飛ばすくらいならベルフェゴールのような強い悪魔でも魔物使いの力は効く。


『……はっ、魔物使い様! 分っかりましたぁー!』


『…………な、なんかごめんね、終わったらゆっくり寝ていいからね』


『添い寝を所望します!』


『ごめんね僕アルとクラール以外と同じ布団入ると蕁麻疹出るんだ』


適当な作り話で誤魔化す──と、フェルが泣きそうな顔をして僕の腕を掴んできた。


『……訂正、家族以外』


街の修復と陶器製の天使の掃討が終わったら兄も空間転移を繰り返すのをやめて、どこかに止まるだろう。僕を探しに来るかもしれない、兄だけに任せ切りにもしていられないし、外に出ておこう。


『うわ、すごい……欠片がいっぱい』


陶器の破片が道を埋め尽くしている。街の様子は先程見た時より良くなっている、倒壊しかけていた建物が修復されているのだ。しかし、兄も天使の槍を動かすのは出来ないようで、槍が刺さった部分はそのままになっていた。


『……さ、て。にいさまー? にいさまー、聞こえるよね、一段落ついてからでもいいから来てー?』


少なくとも空を飛び回っている兄の分身には聞こえたはずだ、繋がってはいるだろうし……そんなことを考えつつまだ倒せていない天使や治せていない怪我人は居ないかと歩き出す。すると、目の前に神獣にもドラゴンにも似た美しい魔獣が降りてきた。何体も何体も──溶け合って一体になって、僕の腹に飛び込んできた。


『わっ、に、にいさま?』


りりり……と鈴のような鳴き声が返ってくる。僕の腹に額を擦り付けて目を細める姿は兄と思わなければ可愛いけれど、話したいことがあるから人の姿になって欲しい。


『…………あ、お腹空いてるの? 分かった、いいよ、そのまま食べて。にいさまはお腹が好きなの? うん、どこ食べてくれてもいいよ、大丈夫』


痛みを感じないようにと意識する。ぱっくりと割れた魔獣の頭、その隙間に見える牙に原始的な恐怖を覚える。皮を裂く牙や内臓を蹂躙する触手は痛覚さえ消えていればただ不快なだけだった。

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