第704話 それぞれの危機、洋服店の場合
ヘルがナイを罵倒している頃、カルコスが救助に勤しんでいる頃──新装開店の小さな洋服屋に運の悪い魔性達が居た。
「何でこんな所に居るんだよ俺はぁ!」
「しーっ、静かにしろバカ死にたいのか!」
「お前もうるせぇよ!」
普段ならヴェーン邸で寝たり遊んだりを繰り返しているグロル……今はアザゼルと、普段ならヴェーン邸の地下に籠って作業に没頭しているヴェーンだ。
「お前が服欲しいとか言うから連れてきてやったんだろ、今更ギャーギャー喚くな」
「言ったのはグロルなんだろ!? 知らない間に服増えてると思ったらお前だったのかよ……やめろよその微妙に子供に甘くして良い人感出すの!」
「良い人感出すってなんだ! 俺はそんなんじゃなく、服欲しい服欲しいってうるさいから仕方なくだな……」
言い争いをやめない二人の背後でカシャン、カシャンと陶器が擦れる音が響く。服の山の中に隠れた二人は目配せもなく同時に呼吸を止めた。
「…………ぷはっ、死ぬかと思った……」
足音が遠ざかり、アザゼルが呟く。
「ふぅ……で、どうする? 静かに話せよ?」
「どうするって……そりゃコソッと家帰る一択だろ。火ぃ放たれたらどうしようもないし」
天使が攻め入った先が焼かれたなんて話はよくある。まだ火を放っていないのは天使達が何かを探しているからだろう。アザゼルはそう考えていた。
「…………お前、動けるか?」
「無理無理無理……でも、陶器ばっかなんだよな店の近くに居るの」
「陶器?」
「ん……あぁ、マジモンの陶器って訳じゃないんだが、陶器っぽいから陶器って言われてる無名共だ。天使の中でもいっちばん弱い」
流石は元天使、とヴェーンは心の中で嘲りを込めた拍手をする。
「お前でも頑張れば不意打ちで倒せるかなーって感じだな、俺も……まぁ、多少体に負担はかかるかもだが」
「…………なら行くか。家はそう遠くねぇし、上のヤツが来たり燃やされたりしたら終わりだ」
「えぇ……マジかよ、分かった。身体作り替えるからちょっと待って」
アザゼルは口を押さえ、身体中を巡る血の温度が上がり鼓動が早まる苦痛に耐えた。瞳孔の形が円から長方形へと変わり、黒髪を掻き分けて山羊に似た角が生える。服を吹き飛ばさないように少しずつ少しずつ翼を伸ばし、堕天使としての姿を確立させた。
そんなアザゼルの横でヴェーンは懐に隠していた包み紙を取り出す。中身は赤黒い錠剤のような物──ヘルの血を固めた緊急の栄養補給剤だ。それを奥歯で噛み砕いて飲み込むと、ヴェーンは四肢の末端まで電撃が何周もしたような衝撃を受ける。
「よし、準備出来た。行くぞ……おい? 大丈夫か?」
「んっ……ぁ、あぁ……大丈夫……よし、行くか」
飛び出して陶器製の天使達を蹴散らして進む──なんてことはしない。しっかりと足音や羽音を聞き分け、傍に居ないと確信を持って服の山から抜け出し、服を置く台などに隠れながら進む。
「よし、よし……店からは出れそう」
「この道真っ直ぐ行って右だぞ、分かってるな?」
「馬鹿にすんな、王様じゃあるまいし道くらい覚えてる」
ショーウィンドウから見える道を指差して話す。その道には淫魔なのか人間なのか店内からでは分からないものの多くの死体があった。
「風よ、我に従いて突風を起こせ……!」
アザゼルは店の奥の鏡に突風で飛ばしたハンガーを叩き付けて音を鳴らす。店内に居る陶器製の天使達が鏡に集中した隙をついて、ショーウィンドウを破って外に飛び出した。
「風よ、風よ、我が怨敵を吹き飛ばせ!」
外を飛び回っていた陶器製の天使達を吹き飛ばす風を巻き起こす。天使達は建物の壁に叩きつけられるだけで簡単に割れた。
「血界……我が同胞以外の立ち入りを禁ず」
店に居た天使達が追い縋るも、ヴェーンが作り出した不可視の壁にぶつかって砕ける。
「……っし、イケる! 突っ込むぞ!」
アザゼルはヴェーン邸を視界に捉え、そこまでに居た天使達を吹き飛ばし、逃走成功を確信する。風を自分の後ろから吹かせて追い風とし、更に速度を上げる──だが、あと少しと言うところでアザゼルは翼を焼き切られ、踏みつけられ、地に落ちた。
「グロル! いや、堕天使!」
ヴェーンは三階建ての建物の屋上の柵に身体をぶつけて止まる。アザゼルを落とした天使はヴェーンに気が付いていないような素振りで向かいの建物の柵に爪先を触れさせた。
『オイオイオイオイついてんなァ俺! 魔物使いだの強化型リリムだのって聞いてきたら、まァ久しぶりの裏切りモンに会っちまった!』
光輪は並の天使よりも大きく煌々と輝き、白い翼の一つ一つの羽根は赤い炎に縁取られ、燃え盛る剣を持っていた。腰まで伸びた赤髪は後頭部の高い場所で結ばれている、所謂ポニーテールだ。剣を持ってはいるが鞘は持たず、また鎧も着ていない。ホットパンツにサラシ、袖と丈の短い黒のジャケットという何とも天使らしくない──神聖さの欠片もない格好だ。
「……ってて……ぇ、ぇぇぇえっ!? 何でっ!? 何でお前がここに居んだよ! っかしいだろ! つーか何だそのふざけくさったカッコ……! 鎧は!?」
ヴェーンはそっと給水塔の影に隠れ、アザゼルを見捨てて逃げるか攻撃の隙を狙うかを考え始めた。
『あァー? 鎧ィ? せっかくの人界にンなもん着るかよ。わざわざ女性体作らせたんだからオシャレしなきゃなー』
「女の体でやるオシャレにしては尖りすぎだろ!」
アザゼルの性格だけ見れば見捨てるのは用意だが、あの身体はグロルも使っている。しょっちゅう服を買い与えるほど可愛がっている彼に見捨てる選択肢は選び難い。
『うっせぇヘンタイ』
「はぁー!? わざわざ巨乳にした上にサラシ巻くお前に変態とか言われたくないんですけどぉー!? 何、圧迫感がイイとか言っちゃうワケ!?」
しかし攻撃の隙を狙うのは難しい。隙だらけと言えば隙だらけなのだが、その余裕は強さの現れ。ドーピングとも言える魔物使いの血の効果がまだあるとは言え、大して強くもないダンピールの彼には勝ち筋が見えなかった。
『いや、どっちかっつーと解いた時の開放感』
「知らねぇよ!」
『お前が聞いたんだろ!』
ヴェーンは必死に考えていた。血液の錠剤の効果は身体に尋常ではない負荷と引き換えに一時的にあらゆる能力が上昇すること。その効果は数分で切れてしまうため、決断と行動を遅らせてはならない。
考え過ぎたのだろうか、それともアザゼルと天使の会話を真面目に聞いていたからだろうか、ヴェーンは「見捨てよ……」と「勝てんじゃね?」の考えをを同時に抱いた。
『相変わらず気持ち悪ィ野郎だ、とっとと燃やすに限るな』
「ま、待てっ! どうしてウリエル程の天使が人界に降りれてんのか、それ教えやがれ!」
赤髪の天使──ウリエルと呼ばれた彼女は素直に剣を下ろし、アザゼルの前に降りた。先程地面に叩き付けられたアザゼルはゴミ箱に突っ込んで大した怪我は負っていなかった。
『悪魔を刺激して神魔戦争の火種になりかねねェから降りるなって言われてんだよな、俺ら四大天使は。でも、マスティマの野郎が魔物使いに気付かれてるって言ってて、今世の魔物使いを引き込むのは無理そうだし、とっとと殺しちまおうって話になってな。魔物使い殺しゃ神魔戦争起こるだろ? ならもういいんだよ。統率されてねェ魔物なんか大した脅威じゃねェし。突っつき回してちっこく戦争してガス抜きしちまおうって魂胆だ』
「マスティマ……って、誰だ……?」
『ちゅーとハンパな野郎だなオイ、堕ちた割にはまーだ悪魔にならねェで人間孕ませて孕んで人間の身体移ってるだけかよ、くだんねェ。やっぱついてねェかもなァ俺、せっかく仕留められる堕天使見っけたのにこんなくだんねェ雑魚だもんよ』
「……まっ、ま、待てよウリエル。もう少し、話を……」
今度は従わず、つまらなさそうな顔のまま剣を振り上げる。アザゼルが頭を庇い目を閉じるしか出来ないでいても、いつまでも剣は落ちてこない。
「何してんだ、とっとと逃げろ!」
不意打ちでウリエルの顔を蹴り飛ばすことに成功したヴェーンは着地と同時にアザゼルの焼き切れた翼の残りを掴み、放り投げた。
「ダ、ダンピール? 何で……ぁ、後ろっ!」
ヴェーンの蹴りは大して効いておらず、ウリエルは剣をヴェーンに向けて振った。剣はヴェーンの肩から腹にかけて通った──が、切れてはいない。
「間に合った……か。あっぶねぇ……」
身体を霧にする吸血鬼の技は人間との混血であるヴェーンには本来使えないのだが、魔物使いの血によるドーピングが不可能を可能にしていた。
「……ほら、俺は平気だ! とっとと逃げろ!」
「わ、分かった! ありがとよ、王様の後なら一発いいぞ!」
「いらねぇよクソビッチ!」
ヴェーンは霧の身体をウリエルの視界を遮るように広げ、アザゼルの逃走の手助けにした。ウリエルは剣を捨てるとポケットから取り出したタバコに火をつける。
『お前吸血鬼か……』
「半分、だけどな。さ、どうする? 今の俺は霧だ、炎も剣も効かねぇよ」
『半分……なるほど。それで弱点知らねェのか』
「…………弱点?」
ウリエルは煙草を持っていない方の手を視線の高さに上げ、人差し指と中指を絡ませて十字を作る。危険を感じ取ったヴェーンが霧のまま逃げるが、遅かった。
『
十字になった炎が霧を追い詰め、焼き尽くす。ウリエルはアザゼルを追うため、もうその方を向いてはいなかった。
『吸血鬼に十字架は御法度だろうがよ、ヴァーカ。霧に炎効かねェってのも雑魚同士の考えだな。四大天使のウリエル様に喧嘩売んじゃねェよザーコ』
短くなった煙草を餞だと言わんばかりに捨て、炎を纏った翼を広げた。
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