第678話 結界の諸問題

ヴェーンの話の内容はライアーに張ってもらった結界が引き起こした諸問題についてだ。単純な結界としての役割だけでなく認知阻害があるがゆえに、旅行と貿易関連の問題が大きいのだと。

結界を張る時に中に居た者なら外に出ても結界に気付くこともなくまた中に入れる。だが結界を張る時に中に居なかった者は術者の許可を受けるか結界を破るかしなければ入れない。


「貿易船が港を探してさまよって、旅行客だろう奴らが森でぶっ倒れてる。どーすんだよ魔物使い」


『えー……んー……結界解くしかないかなぁ。魔法の国は鎖国してたし……参考にならないか。この家にだけ張るべきかなぁ、僕の魔力さえ隠せばいい訳だし』


同じ結界を張った植物の国が頭に浮かんだが、あの国も鎖国状態だから無問題だ。


『……リ・り……り、リリ?』


「うわ何だそいつ。魔物使い、ここ俺の家だって忘れんなよ」


『何か言いたいことあるの? 仕方ないなぁ……戻っていいよ、にいさま』


僕の二の腕に頭をぶつけていた獣は一瞬溶けると膝立ちになった兄に姿を変え、僕の腕に腕を絡めた。呆然とするヴェーンを放って兄の意見を聞く。


『天使、人間、悪魔……もっと細かい種族分けをして結界に設定すればいい、僕には出来るよ。君の魔力さえ隠せたらいいならローブ作ってあげるし』


『ぁ、そっか、あのローブ……怪我治るし大体の攻撃弾いてくれるし、すっごい便利なんだよね。この間持ってればなー……』


鍬の感触を思い出し、何だか頭が痒くなったので思い出すのはやめた。


『僕の作るローブは魔術も織り交ぜてあるからあの黒いのには真似出来ないし、何故か呪術的効果も出ることがあるから凄く良い物なんだよ』


『何故か呪術って……どうしてか分からないもの着たくないんだけど』


『あぁ、別に理由分かってない訳じゃなくてね。呪術ってのは極論、呪文や陣は必要無いんだ。法則を歪めるだけの強い想いがあればいい。だからね、ひと針ひと針相手を想って刺繍を施した魔法陣は魔法と同時に呪術的効果を持つんだ』


なんかこわい。


『針で指を刺してしまったり、その血が糸に絡んだりすれば効果は増すし、疲れてきてぼーっと縫ってたなんてなったら効果は減る。だから「出ることがある」なんだよ、完成まで出来が分からないんだ』


『そっ……か、じゃあ、とりあえずそれ頼める? 結界の方は……兄さんに国の方解いてもらって、とりあえずこの家に張ってもらって……ぁ、ヴェーンさん、伝えてもらえる?』


「ぉー……あの黒いのか、怖いんだよなアイツ。ま、分かったわ、そんじゃ」


ヴェーンは足早に去って行った。僕の腕に絡みついて虚ろな瞳を向けていた兄とは何の関係もないとは思うが、彼は何かに怯えていたように見えた。


『ローブ作るなら生地が要るよ。効果上げたいなら機織りからするべきなんだけど、どうする?』


『うーん……織機なんか無いしなぁ』


『呪術紋様を非ユークリッド幾何学を参考にした上で平面の布に織って、魔術理論的に最も魔力効率の良い形に切って、縫って、その上から魔法陣を刺繍する……って作業工程になるから一日は要るかな』


『呪術……を、ひゅーり……なんて?』


『君の身体は平面じゃないだろ? ローブだから背中とかは平面に近くなるけど、頭部や肩なんかは丸に近い。その形を計算に入れた上で呪術紋様を考えないと……って話。平面なら全ての角が直角の三角形なんてありえないけれど、球体なら出来るだろ? そういうのを……ぁ、身体測らせてね』


僕はとぼけた顔をしていただろう。そんな僕を気にせずに兄は深呼吸をして、また早口で話し始めた。


『まず、呪術紋様ってのは直角や並行が多い。だから武器や家ならともかく人に描くには適さない。なだらかな肌に直角を作るなんて不可能だ? 僕には可能だ。引きこもってるから他の国の理論や学術が手に入らなくて適当に昔から聞いてるのを意味を薄れさせつつ紡ぐしかないんだよ、馬鹿じゃないの? あぁ、馬鹿だったね僕以外は』


脳が兄の紡ぐ言葉を受け止めるのを勝手に拒否して、耳から入った文章は無抵抗に抜けていく。


『で、魔術理論ね。魔法と違って魔術は効率重視である場合が多い、もちろん何事にも例外はあるけれど。だからこそ理論がしっかりしてる。呪文の唱える速さから声の高さまで最高効率ってものがある。形にもあるんだよ、熱伝導率みたいなものさ、魔力がどこから出てどう流れてどう反射するのがいいのか……って形ね』


『あの、にいさま、もういい……』


『反射を計算して収束させれば威力は上がるよね、まぁそれは砲撃の場合かな。人一人を包むだけの結界、それもローブ型ってなったら、うーん……デザインとしては見慣れない物になるね。まぁ君の嫌いな露出度の高い格好って訳じゃないから安心して』


『うん、えっと、織機買いに行く……?』


『最後、魔法陣の刺繍なんだけど、魔法が他の術と違う点で最も重要なのは──』


『もういいってばぁ! ほら、行こ!』


機織りからするのなら織機が必要だ。別にそこまでの性能を求める訳でもないのだが、多少の買い物より兄を黙らせたい気持ちが強かった。


『……待てよ、非ユークリッド幾何学はむしろ魔法陣に使う方が有用かもしれない。いや、そうだよ、二角形だって描きやすくなるんだから──うん、そうだ、平面に円を作ってそこからドーム状に魔力を広げるより、空中に魔法陣を置いた方が効率も性能も……うん、うん……うん…………ぁ、待って、それなら……いや、頂点は物体に……何か棒でも立てて……あぁいや、うーん……』


『…………にいさまぁ』


『僕に結界もやらせてよ! いいの思い付いた、試したいんだ! ね、いいよね? ねぇ!』


思考の海に落ちた兄を引き揚げるのは困難だ。半ば諦めながら手を引いていると突然現実に意識を戻し、僕の肩を揺さぶった。もう訳が分からないと泣きそうになっていると兄の腕がどろりと溶け落ちた。


『ボクの弟に何してんの?』


『……いいの思い付いたんだよ! 聞いて、あのさ、結界なんだけど──』


『…………魔法陣を平面に描くなんてそんな猿みたいな真似ボクがやってる訳ないだろ。なんでボクの結界破れなかったか考えなよ。早く進化しなよね、ス、ラ、イ、ム、くんっ!』


ライアーは兄の額をつつき、付着した黒い粘液を手を振って落とす。ライアーが居ると兄が溶けやすい気がする。


『兄さん……やめてよ、喧嘩しないで』


『ペットの躾はちゃんとしなよね、ボクの弟のヘールー?』


一言一句全てが兄を煽る為のもの。どうしてこう仲が悪いのだろう。同じ兄として仲良く……いや、そうか、兄を兄と扱わないと言ったのは僕だったか。本当は家族としての兄が欲しかっただけなのに、他の家族とも仲良くして欲しいから手を尽くしているはずなのに、どんどんと悪化している気がする。


『…………にいさま、あの、ごめんね? 気にしないで、僕には分かんなかったけどにいさまがすごいのは僕知ってるから』


『……僕は無能だから要らないんだろ?』


兄が自分を卑下するなんて考えられなかった。変えたのは僕だ、暴言によって兄を変えられた、その認識は仄暗い悦びを瞬かせた。


『…………君が言ったんだろう? きっとローブだって彼の方が上手く作れるよ。でも向こうは忙しいみたいだね。本来必要無い僕は品質は悪いけど良い労働力って?』


少し前の僕のように一通り自虐を呟くと、不意に目線を合わせて微笑んだ。


『……立場逆転出来て嬉しい?』


『………………うん』


『そう。喜んでるなら良かった。可愛い可愛いおとーとが楽しいなら、お兄ちゃんはいくらでも馬鹿にされてあげるよ。だから……僕の方が良い、ってそのうちきっと言い出すんだ。優秀なだけで嫌味ったらしい全然自分に似てない兄よりも、ね?』


やはり、兄は本当に所有物の座に甘んじている訳ではない。返り咲きを狙っているのだ。そこまでして僕に執着する理由は分からないけれど……分からない? 本当に? 違う、それは分かっている。分からないのはその先だ。


『あんな邪神もどきより、僕の方がずぅぅうっと君を愛してるんだから、早く気付いてね』


…………兄が僕を愛する理由が分からない。

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