第669話 賭博厳禁

更衣室を後にし、娯楽室に向かう。茨木が着物を何枚か買っていくと言っていたけれど、一体どこから金を出す気だろう。まぁ、鬼達も働いているし──働いている? そうだ、植物の国で何日も過ごしたり妖鬼の国で一泊する気だったり、仕事をしていない僕は何の気兼ねもなかったけれど、彼らはそういう訳にもいかなかったのを忘れていた、クビにでもなったら大変だ。


『娯楽室か……私に遊べそうなものは無いな』


『ボードゲームは?』


『駒を持てん。それに気分では無い』


伝えてくれたら僕が駒を動かすのに──という台詞は潰された。気分でないなら仕方ない。


『……やり方分からないのも結構あるなぁ』


入った時よりも部屋が広くなった気がする、今も広がっている気がする。そんなありえない感覚は頭を振って吹っ飛ばし、賭けをして遊ぶと約束した酒呑の元へ行った。彼は一人でダーツをやっていて、中心に刺さった矢の先端に二本目を刺す──なんて離れ業を見せ、得意気な顔をした。


『わ、すごーい……けどこれ端っこが点数高いんじゃなかった?』


『遊び方なんぞ知らんわ、暇潰しやし。頭領、はよ座り』


近くにあったテーブルを指す。その机の表面には正方形が規則正しく並んでいた、つまり、ボードゲームのボードの模様があった。

椅子に座って待っていると向かいに酒呑が座り、彼は濃い赤色の酒と透明に近い酒の瓶をマス目を避けて置いた。


『何するの?』


『陣地取りや。隅にまず三列三列並べ』


並べろと言われても駒がない。ぼーっとしているとマス目にカップが置かれ、従業員がそこに酒呑が持ってきた酒を入れた。四つある隅の一つが僕の陣地、正方形に全部で九マス。


『で、賽子振る。出た数だけ陣地増やすんや、相手の陣地取ってもええ。その場合は元から入っとんの飲んで、自分の色のん入れるんや』


駒代わりにカップに入った酒を使うと。なんとも彼らしい遊びだ。僕は透明……白と呼ぼうか、僕が白で酒呑が赤だ。


『陣地が全部なくなる、酔い潰れる……が負けな』


ちょうど一口で飲める量、臭いで分かるほど強い酒、そして前者の勝利条件の難易度、何より相手は酒呑……これは、僕、酔い潰れるな。


『ヘル、飲めるのか?』


『……まぁ、身体的には問題ないよ』


身体は永遠の十五歳だが、自由に再生出来るので内臓に異常をきたす心配はない。再生の集中力が切れたとしても死にはしない。


『今度一緒に飲もうね』


そう言って頭を撫でるとアルは瞳を閉じた。


『あの……幼児用の娯楽室もありますよ』


このまま応援してもらおうと思っていたのだが、幼いクラールが酒気に曝されるのは良くないだろうと、アルにクラールを連れて行くよう頼んだ。


『これで正真正銘のタイマンやな。頭領、一心同体やなんやと言い訳して狼に飲ますかもしれんからなぁ』


僕には信用が無いということを再認識した。少し目が潤んだ。賽子が転がり、赤の陣地が三つ増える。


『しっかしなぁ、嫁に子供押し付けて自分は遊んどったら愛想尽かして出て行きよんで』


『今までクラールに構わなかったのはアルの方だしさ、このままじゃクラールがアルに懐かないかもしれないし』


白が五つ増える。まだ空のカップに酒を入れているだけだから、酔いはしない。


『ほーん? ま、どうでもええけどやな』


コロコロと賽を振る音が六度鳴り、赤が増えて白も増え、とうとう空のカップがなくなった。五分五分と言ったところだろう、つまり賽子の運は同程度ということ。つまりどちらかが酔い潰れるまで続くということ。


『……さぁ、頭領。こっからが本番や』


口の端を吊り上げる酒呑に久しぶりに恐怖を覚える。気の良い奴? 僕の右腕? それ以前に彼は鬼の頭目だ。


『簡単に潰れてもうたら困んで、ただ呑むだけ言うんはつまらんからな。そこでや頭領、せっかくの勝負やし、賭けようや』


『何を? お金?』


ヴェーン邸に住む者の賃金は共通財産だ、そうでなければ僕は餓える。もちろん全て取り上げている訳ではないので勘違いしないで欲しい、家に入れてもらっているのは三割程度だ。何が言いたいのかと言うと、僕は働いていないから賭けるような自由な金は一銭も無いということ。


『いや? もっと大事なもんや。せやな、嫁でどうや』


『……アルを賭けろって?』


『そんくらいせんと頭領本気出してくれへんやろ? もちろん、喰ったりはせぇへん。一晩布団に招かしてもらうだけや』


それは嫌だ、すごく嫌だ、酒呑に獸姦の趣味があるとは思えないけれど、アルが他人に寄り添うなんて耐えられない。


『アルは物じゃないし、君にアルに釣り合うものが賭けられるとは思えないけど?』


『物なんぼ賭けたってホンマの本気にはなれへんやろ。俺は茨木賭けたるわ、アレやったら釣り合うやろ?』


賭事で賭けるべきなのは金や換金可能な物だと思っていたのだが、どうやらそれは人間の間でだけの常識らしい。


『別に要らない……二人の意思はどうなるのさ』


『何回か賭けとるし負けて他所にやったこともあるし、平気やろ』


『……よく仲良く出来てるね』


かなり適当な扱いをしているように思える。僕にとってのアルほど大切な者でない気がするのだが。


『別にええやろ? 勝ちゃええんやからなぁ? まさか降りるなんざ言わへんやろ、男に二言は無いわいなぁ?』


『絶対勝つ自信が無い勝負からは逃げるってのが妻帯者の鉄則だよ』


そう言いながら十杯目を飲み干し、空になったカップに酒を注いだ。少しでも有利に進めるために零れる寸前まで。


『家庭が出来ると弱なんねんなぁ』


『馬鹿じゃなくなるんだよ。誇りだとか意地だとか、そんなの家族と比べれば塵以下だね』


『おーぉー、吠えよるなぁ。誇りも無いような男にいつまでも惚れとる思うとったあかんで』


腹の立つ顔と態度だ。まぁ、いい、酒呑に勝つ自信はある。十三杯目を飲み干し、笑みを浮かべた。


『……頭領? なんやそろそろ怪しい顔しとんで』


勝負開始から数十分、二十……えぇと、何杯飲んだかな、三十に乗っところだったか、分からない。


『確かに、なんか瞼重いし……そろそろ酔い潰れちゃうかも』


『ええんか? 嫁』


『まさか、良い訳ないだろ? 酒呑もそろそろ 酔 っ て よねー……』


目を合わせてボソッと呟く。正攻法では勝てず、手先でのイカサマが難しいゲームなら真っ向から力を使って従わせればいい。


『ん……なんや頭痛いな。そんな呑んでへんのに』


僕に従わされる魔物が感じるらしい頭痛も酔いが回ってきたのだと認識している。ここまでは予想通りだ。


『お酒弱くなったんじゃない?』


もちろん、僕だって普通のゲームならイカサマなんてしない。損得がなければ勝ち負けにこだわったりしない。だがアルを賭けろと言われれば話は別だ。


『僕、そろそろ危ないなー。酒呑、そろそろ 酔 い 潰 れ て く れ ないかなぁ』


自由意志の力でアルコールを吸収しないようにすることも、再生能力の応用で分解を早めることも可能だ。しかしそれでは酒呑の酩酊待ちになってしまう、いつになるか分からない。


『アホ抜かせ、俺がこんなもんで……潰れる、わけ…………あら、へん……』


『…………酒呑? 酒呑ー? 僕の勝ち、だよね。茨木は別に要らないけど、アルは明日も明後日も僕の隣ね。あと、このお酒もらってっていい? 美味しいしアルにもあげたいんだ』


返事がないことを確認してから一方的な会話を行って勝ち誇る。酒瓶を手に取り、幼児用の娯楽室はどこかと従業員を探そうとして、こちらをじっと見つめる小さな蛇を見つけた。


『……レヴィ。いや……違うの入ってるんだっけ』


酒呑が親父と呼んでいたような……まずいな、イカサマがバラされるかもしれない。


『…………お酒、あげるから黙っててくれない? ほら、僕が汚い手使わなきゃこのお酒は全部飲まれてただろうし、ねっ、ほら、ここ注いでおくから……』


フルーツを盛っていた今は空の容器に酒を入れ、蛇を見つめる。蛇は無言で僕に背を向け、酒の中に飛び込んだ。


『……了承、でいいんだよね? そ、それじゃ……今度またお酒あげるから……』


早く離れようと振り返るといつの間にか従業員が傍に来ていて大声を上げてしまった。

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