第668話 着飾る獣
簪を模したイヤリングを三角の耳に止める。前足に短い袖を通し、胸元を広げて背中側に引っ張り翼を出したら帯を巻く。茨木に手解きを受けながらアルに着物を着せていく。
『……出来た!』
『…………重い』
『なんやつんつるてんやなぁ』
アルの身体の構造上、丈が短くなるのは仕方ない。袖を引き摺っては歩けないし、裾を伸ばしては尾が隠れるし後ろ足で踏みつける。
『可愛いよ、アル』
『……脱ぎたい』
『ごめんね、撮るまで我慢して?』
『………………分かった』
流石にクラールに合うサイズの服は無いようだ。小物だけでも付けてアルの隣に映らせよう。
『ゔぅー……』
『牙剥かないで、クラール。可愛い顔して、可愛い顔』
髪紐を帯に見立てて巻いてみたがクラールはそれだけで不機嫌になった。鈴の音が気に入らないのだろうか。
『頭領はん、ちょっと娘さん貸して』
『何するの?』
茨木はどこからか筆を持ってきていた。
『白いからなぁ、隈取り似合うやろ思て……ふふ、お稲荷さんみたいやねぇ』
目の下や額に食紅で模様が描かれていく。化粧にしては具合が違う、けれど、これはこれでとても可愛い。
『よし、並んで。すいませーん、写真お願いしまーす』
クラールをアルの隣に座らせ、従業員を呼ぶ為に振り返る。一瞬目を離したその隙に、クラールはアルの前足に額を擦り付けた。
『ぁ……頭領はん頭領はん、娘さんなんやえらい赤ぅならはったわ』
『うわっ……ぁ、待って、写真待って……』
僕の静止は遅く、シャッターは切られた。妖鬼の国のカメラは何分もかかるものだと思っていたけれど、この宿には科学の国並みの物があるようで、すぐに現像までされた。
『わー……顔だけ赤い』
クラールは食紅で描かれた隈取りをアルの前足に擦り付けることで落とそうとした。その結果、顔全体が満遍なく薄赤色になるという珍事が発生。もちろんアルの前足も少し赤い。
『ヘル、脱いでいいか』
『あ、待って。アルだけで何枚か撮ってもらってよ。僕ちょっとクラールの顔洗ってくるから』
その必要はないとばかりに従業員はどこからともなく水の入った桶と手拭いを渡してきた。善意しか感じないが、この宿はやはり妖しい。
『普通に座って。ぁ、今度は寝転がって……片目閉じて、次は目線外して……ポーズそのままで流し目くださーい』
クラールの顔を拭きながらポーズを頼む。
『……いい加減にしろ、ヘル』
『ところでさ、服着てるとお尻丸出しなのが際立つよね。お尻に顔突っ込んでいい?』
『…………噛むぞ』
尾が足の間に入り、その先で床を打ち付けている。相当機嫌が悪いようだし、そろそろやめなければ。イヤリングを外して帯を解いて袖から前足を抜いて──そうすると着物はするりと解ける。
『頭領はん、知ってはる? 男が女に服贈るんは脱がすためやって』
『……あぁ、なんか興奮するのは正しい反応だったんだ』
『…………普段全裸な狼に人間が無理矢理服着せて脱がしてそれで興奮するんは正しくない思うわぁ』
帯が解けていく布の擦れる音や、袖が落ちて露出する肢体に欲情するのは人として正しい反応なのだ。普段どうだとか種族の違いだとかはどうでもいい。
『………………なぁ、ヘル。貴方はどこまで私を犬扱いして、どこから女扱いするんだ? 首や腹に顔を埋めるのは犬扱いだろう? これを着せたのだってそうだ。脱がす時になって女扱いになるのか?』
『どういう扱いかなんて一々考えてないよ……普通に可愛い可愛いって抱き着いてたのに急に変な気分になることあるしなぁ』
『頭領はん、普通はな、同じ人間の女の子に興奮するもんやねんで』
『するのはするよ』
今、茨木が着替え出したら顔を赤く染めること間違いなしだ。
『まぁ、したから何って感じだよね。何も出来ないし』
『頭領はんやったら股開け言うたらええんちゃうん。ええなぁ便利で』
酒呑ならともかく異性の茨木と猥談はしたくないのだが。
『やめろ鬼! ヘルに妙な事を吹き込むな!』
『あら、狼はんったらえらいやきもち焼きなんやねぇ。こんなんただの冗談やろ?』
『本気にしたらどうする!』
それは僕を全く信用していないということか? 浮気の算段が整ったら躊躇なく行うと思っているのか?
『……騒がしいな』
『ぁ、サタン。サタンは何か着ないの?』
『リリスに着せたい物ならあるがな……しかし、魔物使い貴様……随分と急な成長だな』
『え、背伸びた!?』
『いや全く、ちんちくりんのままだ。身長の話ではない』
ぽんぽんと頭を優しく叩かれる。伸びていないと言ってくれればそれでいいのに、ちんちくりんだなんて酷過ぎる。僕はそこまで小さくはない……はずだ。
『ねぇサタン、アル服嫌いみたいなんだけどさ、何か気に入る小物とかないかなぁ、一つくらい買いたいんだけど』
『首輪でもやったらどうだ』
『アルを犬扱いしないでよ』
『チョーカー、と言えば装飾品らしく聞こえるだろう?』
サタンは棘のついた首輪──いや、チョーカーを指に引っ掛けて僕の目の前に持ってくる。
『アルはネックレス持ってるし……』
『装飾品は幾つあってもいい、リリスなどこの間四部屋目を埋めたところだ』
僕はいつか魔界の底で見たリリスの姿を思い浮かべ、彼女のドレスやアクセサリーを思い出し、彼女なら有り得るなと納得してしまった。
『装飾品、服、靴、鞄、化粧品、入浴剤、香水、花、酒、食事…………何でもない日にサラリと渡せるかどうかで男の株は変動する』
『ぁ、じゃあ入浴剤にしようかな。お酒とか食事は好きなもの用意すればいいよね? アルどんな入浴剤好きかな』
『……毒気が抜かれる気分だ』
『え、大丈夫? 悪魔にはそういうの大事じゃないの?』
サタンは怒りで力を強めた部類の悪魔だから、特に大切そうに思える。
『平気だ。たまには悪くない』
『アル、匂いキツイのは絶対ダメだからさ、香水はまずダメだし花も難しいよね。入浴剤もかな……でも温泉には入るし』
『適当にバラでも浮かべておけ。後は牛乳だな』
バラはどんな香りだったか、アルが好きならいいのだが。
『……あぁ、そうだ。血液風呂というのもいいぞ? リリスは好きだ、肌のハリが良くなるとな……肌の調子は知らんが、血には魔力が宿るものだ、魔物には最高の健康法だろう』
『へー、後片付け大変そう。でもやってみてもいいかも、切るのやっぱ首かな? この辺……?』
動脈は外側には出ていないんだったか。まぁ首の骨に当たるまで切れ込みをいれればいいか……そんなことを考えつつ自分の首を摩っていた。ふと視線を上げればサタンが呆れたような目を向けている。
『人間の思考回路や反応はある程度分かっていると思っていたのだがな、自惚れだったようだ。人間を馬鹿にするあまり研究意欲を失くしてしまっていたのかもしれん』
『え、何、どういうこと?』
『……貴様はかなり珍しい思考回路をしているということだ』
短文で説明されてもよく分からない。僕は至って普通……とは言えないかもしれないけれど正常……かもしれないじゃないか。あれ? おかしいな、サタンの言っていることが理解出来てきた。
『……異常だって分かってたら異常でもマシな方だよね?』
『直す気がないならよりタチが悪いな』
異常だと思っていれば直そうとする、思っていなくても理解すれば直そうとする、と言いたいのだろうか。
『大抵の場合、同種の危機には敏感になるし、自身の苦痛にはより鋭敏になる。それが生き物というものだし、代々の魔物使いもそんな者だった。それが貴様は何だ、同種よりも別種、自身よりも他者を優先している』
『……人間は出来るだけ助けようとしてるよ。仲間と仲間になりそうな魔物より優先順位は下ってだけ。僕はもう多分死ねないし、治るし、そりゃ僕より死に近い仲間を優先するよ』
合理的だと思うのだが、魔物使いとしても良いと思うのだが、サタンは苦い顔をしていた。人間より魔物を優先すると言っているのだから喜べばいいものを──まさか悪魔の王として以上に都合の悪いことでもあるのだろうか。
僕はまた彼への不信感を再燃させた。
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