第640話 不機嫌な寝起き

別時空での出来事を思い出す、妖鬼の国の海辺でツヅラに出会って戦闘になった。彼はあの後も戦っている間の記憶がなさそうな口振りだった。それ以前のイミタシオンでもそうだ、時々記憶が飛んでいた。


『……ツヅラさん、どうしてここに居るんですか?』


記憶の有無、そして戦意の有無を確認して、どちらも無ければ縛って連れて帰ろう。殺すにしても匿うにしても逃がすしても、零に一目会わせたい。


『どうして……? ふわぁ~……まだ、眠い』


言葉の独特な抑揚がない。ツヅラは初めに出会った時方言を誤魔化してはいたが、それでも僅かな抑揚の違いは分かった。今はそれがない。


『眠いって……さっきまで何してたか覚えてます?』


『寝てた〜……もう少し、寝る予定……だったんだけど』


『……酒呑、今はツヅラさんに触っても大丈夫なんだよね?』


『…………穢れとかは見えへんし、浄化は成功してんで。何で体なんともないんかはよう分からへんけど』


不安になる物言いだ。だが、今のツヅラは血を流していないし触れるくらいなら大丈夫だろう。僕は彼の肩を掴んで乱暴に揺さぶった。魚のように飛び出た目をしていたくせに、今は半分閉じている。


『……なにー? 眠いんだけど』


『ツヅラさん、ツヅラさんは今から何をしたいんですか?』


『お昼寝~……おやすみ』


ベルフェゴールの『堕落の呪』が今更効いているのだろうか。先程の水柱で浄化されたのが関係していたり? ツヅラがどうやって呪いを無効化していたかが分からないから何とも言えない。


『まだ寝ないでください! 聞きたいことあるんです。ツヅラさん、あなたはどうやって『堕落の呪』を無効化してたんですか?』


『……眠い、って言ったよね』


『後でいくらでも寝ていいですから……』


『………………い、ま、ね、む、い、の。黙っててよ……』


『一つだけ答えてっ……!?』


突然、呼吸が出来なくなる。胸の奥に冷たさと重さを感じ、口内までそれが溢れる。井戸に落とされた時に味わった感覚と同じだ。溺死する──そう察した僕は苦しさを感じる前に何とか透過を発動させ、足元に水が落ちたのを見た。


『……頭領? どないしたん』


『…………今、溺れた』


『はぁ……? 陸地やでここ。そらちょっと雨降らしたけど』


『……酒呑、その辺のツタでツヅラさん縛って。で、何か……こう、僕に前やったでしょ、封印やって』


『…………承知』


酒呑は訝しげな顔で僕を見つめたが、頭をぽんぽんと撫でて命令に従った。彼はもはや右腕と呼んでいいのではないだろうか、忠誠心が強いばかりか頼れる者は貴重だ。


『……兄さん、ライアー兄さん、出てきて』


服の中から石を引っ張り出して見つめながら呟くも、無反応。黒い多面体のところどころに入った赤い筋は普段よりも輝きが鈍い気がした。


『…………ダメだ。ウェナトリアさん、ごめんなさい、結界張れません』


こんなことになると思っていなかった。神虫なんて気にしないで結界を張って、それから諸々に対応すれば良かった。島の中に何かが居たら逆に厄介だなんて思わなければ。


「いや、大丈夫。気にしないでくれ。この島には元々結界なんてなかったし、元々の防衛装置である呪いは君のおかげで強固になっているしね」


そうだ、ベルフェゴールに魔力を与えておかなければ。またウェナトリアの寿命が縮んでしまう。


『俺の結界は自分を中心としたものだ。範囲も狭い。結界というのは本来こういうものだからな? 俺が無能だとかとち狂ったことを言わないように』


まだ何も言っていないのに視線をやっただけで断られた。落ち込みつつカルコスの魔力をベルフェゴールに移して、アルを探す。


『セネカさん、アルは?』


『狼さんなら雨降ってきた時に中入ってったよ』


「ああ、入れたよ」


ウェナトリアの横を抜けてアルを呼ぶと、入り口にほど近い部屋から顔を出した。


『終わったか、ヘル。無事で良かった…………前線に出ないで隠れているというのは……中々、厳しいな』


『クラールは?』


『私の翼の中だ』


背中の上に畳まれていた黒翼が広がると純白の仔犬が姿を見せる。光に包まれたのは気が付いていないようだが、自分を包んでいたものが消えたとは分かるようで、頭を上げて耳や鼻を動かしていた。


『クラール、おいで。お父さんだよ、おとーさん』


言いながらなら覚えてくれるかとクラールを抱き上げる。


『……おとぉしゃ!』


『そう、そう。おとーさん』


『おと、たん!』


『うん……可愛いね、クラール。そう、お父さん』


片手で支えて片手で撫でて、そうするとクラールは目を閉じる。その仕草が幸せそうに見えるのは僕のエゴだろうか。


『…………ヘルぅ』


『何? アル』


『……私にも、構って』


鼻先で僕の肘を持ち上げる仕草が可愛らしくて、クラールを撫でていた方の手をアルの首に絡ませる。


『もっと、撫でて……ヘル』


こんなふうに言葉を発しながら甘えてくるのは珍しい。要望通り、僕の欲望も混ぜてアルを撫で回す。


『……魔物使い君、家族サービス中悪いんだけどさ……今からどうするか決めてくれないと』


『ぁ、すっ、すいません……』


クラールを抱いてアルの首に腕を回し、慌てて外に出る。歪な円を描いた仲間達の視線は全て僕に注がれる。


『……えーっと、魔物使い君。ライアー……さん、だっけ? あの人が石から出てきて結界張ってくれるまでこの島で待つのか、空間転移なしでどうにかして帰るのか……だよね』


ライアーが居なければ結界どころか帰宅も楽ではない。問題はかなり深刻だ。


『…………飛んで帰るならどれくらいかかるかな』


『さぁ……結構な距離あったと思うし、迷わずに飛べるかってのも怖いよ。それに、酒呑君と茨木君は飛べないしさ』


近頃、移動はほぼ空間転移だったせいで島と島、大陸間の距離が分からない。たまには以前のように飛行機や船での旅もいいかもしれない、移動時間もそれなりに楽しいのだ……っと、思考が逸れたな。


『うち泳がれへんから酒呑様背負って泳いでくれはるんやろ?』


『お前なんか背負ったら一尺ないとこで沈むわ』


カルコスかクリューソスに乗るという発想はないのだろうか。


「……もうしばらく滞在するなら歓迎するよ。君達が居てくれれば危険は退けられるからね」


『僕が呼んじゃってるのかもしれませんけどねー……』


かもと言うより九割九分そうだ。僕が来た時ばかり問題が起こっている気がする。


「ただ……その、アルメーのお嬢さん方は精密検査と休養のため、ここに全員集まるから…………君達を泊める部屋がなくなったようだ。昨晩は食堂で酔い潰れた者が多かったから良かったんだけどね」


この島は鎖国状態にある、宿泊施設はない。少人数なら民家に泊めてもらうという手もあるが、この人数ではそうもいかない。


「ということで、滞在するならシュピネ族の集会所を使ってもらうことになるよ」


『どんなとこなん?』


「風が吹くとちょっと揺れるツリーハウスだ。糸は毎日二回替えてるから突風でもない限り落ちることはないよ」


突風なら落ちるのか。


『……魔物使い君、帰ろ……? 風が吹いたら揺れるとこ嫌だよ……』


セネカは相変わらずの怖がりだ。いや、船酔い……家酔いを警戒しているのか?


『分かりました、ウェナトリアさん。それじゃあそこに泊まらせてもらっていいですか?』


「ああ、もちろん。そうそう、六枚羽のお嬢さん。地面から離れたくないのなら私が地面に穴を掘るよ、どうかな?」


『…………そうしてもらおうかなぁ』


ウェナトリアに先導されてシュピネ族の集落へ向かう。かなり離れているとのことで、何人かがため息をついた。


『はぁ……なんでビーサン履いてるんだろ。指の間痛いよ……』


「……六枚羽のお嬢さん、もしかして君……それ、水着なのかい?」


『うっ……バレた……あんまり見ないでくださいよぉ。こんなカッコだから男にもなりにくいのにぃ……』


胸と腰を僅かに覆うだけの上下に分かれた水着。男になられたら大惨事だ、目への無差別攻撃だ。


『っていうかみんな水着だよね? それっぽくはないけど』


『僕は水着じゃないです。持ってなかったので』


『俺もや』


『うちも。泳がれへんし持ってへんし……』


『…………裏切り者ぉ!』


どうして今更裏切り者扱いされなければならないのだろう。わざとらしく啜り泣くセネカを無視し、足を早めた。

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