第631話 誰も手を離さない

部屋に戻って事情を説明し終え、僕は仔犬を抱いてアルの隣に座り、翼に包まれていた。


『…………まさか、魂を持たない私が生命を作れたとはな』


『……ごめん、アル』


『何故謝る』


『…………無理矢理、引き摺り出した』


『……ああするしかなかった。治癒の術で大きくなったその子はあのままならきっと窒息していた』


口元に指を持っていけばまだまだ小さな口が僕の指を噛む。力は弱いが歯は鋭く、チクチクと痛みを覚えた。


『……正直、まだ実感が無い。そんな小さなモノ傍に置くだけで潰さないかと肝が冷える。暫くは貴方が見てやってくれ』


『…………うん』


アルはあまり仔犬を可愛がる様子がない。僕の勝手な思い違いなどではない。アルは仔犬を見せても表情も体勢も変えなかったし、今僕の腕の中に居る仔犬を覗こうともしない。座った時に一番に舐めたのは仔犬ではなく僕の顔だった、仔犬も届く距離に居たのに。


『……アル、子供…………いらなかった?』


『…………何を、そんな』


アルは目線を逸らし、僕の膝に顎を置いた。肯定ではなかったけれど否定でもなかった。

可愛らしい仔犬を顔の前に持ち上げ、どうしてアルはあまり喜ばないのだろうと不思議がっていると、黒翼をかき分け虎の顔が現れた。


『下等生物、話がある』


『びっくりした……分かったよ。アル、座ってるんだから大丈夫だよね、この子置いておくよ』


アルの胸元の毛に埋めるように置き、クリューソスの後を追って部屋の隅に行く。アルは再び黒翼で視線を遮り、隅に押された僕は仲間達に囲まれた。


『……まず、おめでとう』


『う、うん……ありがとう。なんか、怖いんだけど』


『これでお前が俺の妹に手を出していたことがハッキリした訳だ……下等生物がっ! その喉喰い破ってやる!』


鋭い牙を剥き出しにし、唸り声を上げてクリューソスが突っ込んでくる。熱く荒い呼吸を皮膚で感じる距離で頬の皮を掴んで何とか止められた。


『俺はずっと妹が一方的に恋慕を寄せているだけの馬鹿だと思っていた、お前にも愛情はあれど劣情はないと舐めていた! しかしっ……お前、これだけ形が違う生き物に欲情するなんてなぁっ!』


『落ち着いてよクリューソス! 僕は別に……』


『別に何だ! 遊びでも本気でも噛む! 感情や思考は関係ない、事実と証拠だけでお前を殺す!』


『僕が死んだらっ……アルとあの子の一番のご飯なくなっちゃう!』


クリューソスを落ち着かせるのは不可能だと早々に判断し、牙を止める手に力を込める。


『……死なれへん理由が頭領はんらしいわぁ』


『止めてよ茨木っ!』


『嫌や、獣臭い』


獣臭に満たされた家に住んでおいて今更何を言っているんだ。


『で、でも……狼さんと本当にそういう仲だったんだね。じゃあやっぱりボクが来た時に犬になったのは……!』


『違うっ! 違います! 僕は純粋な犬好きってだけで……そこに、こう……なんて言うか、そういう下の感情はありません!』


もっと素直に祝う気はないのか。なんて連中だ。


『…………なぁ、本当にガキの子なのか?』


『なんやいきなり』


『子をよく見ろ、兄弟に似ている部分は多々あれどガキに似ている部分は皆無だ』


それには僕も全面的に同意する。その上で僕に似ていないから可愛いのだと主張する。


『……まぁ、せやな』


『ふむ、ならアルギュロスがだらしないだけでお前が手を出したとも言えないな。ずっと否定しているし』


幸せの絶頂を不幸のどん底にまで叩き落としかねない疑惑を浮上させるなんて、なんて意地の悪い連中だろう。僕は今までこんな連中を仲間だと思っていたのか。


『仕込んだ時期計算したら分かるんとちゃう?』


『仕込むって……茨木……』


『我が使った治癒で成長が早まったのだったな』


『出てきた時でボクの見立てだと……一ヶ月半くらいだったかな?』


『ふむ、我の術で促進されたのなら……あの時かけて……赤子の存在は知らなくて…………そうだな、赤子に溜まった魔力から見て四週間……このくらいは進んだか? ズレは一週間前後あると考えてくれ』


彼らは一体何の話をしてどんな結論を導きたいのだろう。仲間辞めたくなってきた。


『……おい下等生物、アルギュロスに手を出したのなら……もし、手を出していたのなら、いつ出したか言え』


『え……そ、それって…………嫌だよ絶対嫌!』


『言わなければあのガキが下等生物のガキだとは認めん! そもそも合成魔獣に生殖機能は無い、アレは何か卵でも喰ったのだ!』


クリューソスはどれだけ僕を毛嫌いすれば気が済むのだろう。犬が卵から生まれてたまるか。


『………………一週間前』


『……何?』


『……だからぁっ、大体一週間前にしました! これでいい!? 満足!? もう殺してよ!』


何が悲しくてこんな暴露をしなければならないのだろう。産まれました、おめでとう、それでいいじゃないか。何故疑われなければならないのだ、どうして時期の計算なんてされなければならないのだ、もう嫌だ。仲間辞めよう。


『……一発で当てたん? すごいなぁ頭領はん』


『うわぁぁあんっ! もうやだもうやだもうやだぁっ! アルぅっ! 助けてアル!』


茨木に言われるのが一番心に深く刺さる。出会い方は悪かったが彼女は僕好みのお姉さんなのだ。


『……時期、合うか?』


『合うな……では殺す』


『うん……いいよ、やって。もう殺して……』


啜り泣いていると側頭部に打撃と裂傷が与えられる。クリューソスに殴られたのだ、アルと違って前足が器用な彼には殴るという攻撃法もある。


『馬鹿を言うな、お前が死んだらアルギュロスと子はどうなる!』


誰が言っているんだ。何なんだこいつ。自分の発言を忘れたのか? 忘れていても忘れていなくても怖い、近くに居て欲しくないタイプだ。


『……のう頭領、ちょっと聞きたいんやけど狼ってどんな感じなん。部屋出てええから俺にだけでも聞かせてーな。男同士の猥談くらいええやろ?』


『嫌だよっ!』


『……分かった頭領、俺も無理は言わん。良かったかどうかだけ』


『嫌だって言ってるだろバカぁっ! 角抜くぞ!』


『酒呑様それ聞いてどうしはるん? 寝取るん?』


『はぁ!? 殺す!』


『せぇへんせぇへんただの好奇心やって! 落ち着き頭領!』


止まらない。鬼共も獣共も止まらない。セネカは逃げたしライアーは我関せず、僕の味方は居ない。 僕は僕無しでも話が盛り上がってきた頃合いを見て元仲間達をすり抜け、アルの隣に戻った。


『……おかえり。騒がしかったな』


『みんな嫌い…………あの子は?』


そうアルに尋ねると同時に太腿にたしっと前足が置かれる。


『居た……あぁ、可愛いなぁ。ね、アルもそう思うでしょ?』


『…………なぁ、ヘル。私は合成魔獣だ、生殖機能は無いんだ。コレは何故産まれたんだ?』


僕にだって分からない。その通説が間違いだとか、作り直された時に備わっただとか、自然と作り変わっただとか、そんな真実味の薄い予想しか出てこない。


『分かんないよ。でも、産まれたんだから……可愛がってあげてよ。コレなんて言わないで』


誰も彼も手放しで喜んではくれない。どうしてだろう、僕はこんなに嬉しいのに。この子はこんなに可愛いのに。


『……ヘル』


『ん?』


『貴方は……子供が欲しかったのか?』


渇望していたかと問われたなら首を振るけれど、全く欲しくなかったかと問われても首を振る。僕の血を引く子なんて醜いと思っていたから可愛がる自信なんてなかった。それでもアルの子なら……そう思っていて、実際、アルだけに似ていて可愛らしい子が生まれて本当に良かった。


『……アルはいらなかった? ダメだよ、この子に聞かせちゃ』


小さな耳を折りたたむように顔を挟んでやると、前足をばたつかせて僕の指を噛もうともしてきた。


『…………見て、可愛いよ』


『私は貴方が心配なんだ。ヘル、悪い事は言わない、あまりその子に構っているな』


『何? 嫉妬? 僕にとってはアルも同じくらい可愛いよ』


『違う。ヘル……その子に愛情を注ぎ過ぎるのは良くない』


注ぎ足りないはあっても注ぎ過ぎはない、僕はそう思っている。アルには狼だとか野生だとかの本能があるのかもしれないが、僕は突き放すような育て方はできない。愛して愛して愛して愛して、健やかに育ってもらうのだ。

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