第605話 邪神もどき

不安を残しつつもライアーを連れてダイニングに戻る。名前や僕との関係などを軽く紹介すれば後は自由時間だ、ここで各々との相性を見てライアーを誰から遠ざけるべきか考えなければ。


『意地汚い虫も虐待魔も居ないと平和でいいね。ボクの天下って感じ? ねーヘルぅー?』


『……あんまり他の人と喧嘩しないでね?』


『ん? んー……ヘルの頼みなら気を付けるよ』


やはり兄として作り上げた存在だけあって僕の願いは聞いてくれる。だが、嘘吐きという性質もあるらしいから油断はできない。


『だーりん真っ白なのにお義兄さん真っ黒で……なんか、バランス取れてるわね』


『混ぜたらカフェオレできそうだねー』


「…………なんか、アイツ見てると寒気するんだよな」


メルとセネカは遠巻きに眺めている。臆病ながら好奇心旺盛な彼らはそのうち話しかけに来るだろう。だがヴェーンは来なさそうだ、警戒している。茨木は……興味が無さそうだな、枝毛を探している。


『……ねぇフェル、グロルちゃんは?』


『とっくに寝てるよ、夜遅いし色々あったし』


『そっか……』


子供の精神というのは柔いものだ。大きなぬいぐるみでも買い与えた方がいいだろうか。


『…………キミ、ヘルの弟?』


『……ぁ、おっ、お気遣いなく!』


ライアーに話しかけられたフェルが身を跳ねさせる。


『そういう訳には行かないよ、ヘルの弟ならボクの弟だろ?』


『い、いえ……そんな、遠慮します』


『…………ボクはネットワークから独立してるから無害だよ? 悪いお兄ちゃんじゃないんだ、そう警戒しないで』


フェルが緊張しているのは単なる人見知りかと思っていたが、違う。ライアーに怯えているように見える。


『……信用されると思ってるんですか』


『…………お兄ちゃんは弟に信用されるものだろ? でも、ま、ボクは嘘吐きだからなぁ……』


『その前にっ! あなたは──』


浅黒い肌の筋張った手がフェルの口を覆う。爪が頬にくい込んでいる、ライアーの目は射抜くようでフェルの目は震えている、これはじゃれ合いなどではない。


『……余計なこと言うなよ、出来の悪いスワンプマンが』


『兄さんっ! 兄さん、何してるの! そんなことしたらフェルほっぺた痛いよ!』


『…………力加減間違えちゃった。作り立てだからかなぁ……許してね、フェル君』


ライアーの手を引き剥がしてフェルの頬を観察したが、特に怪我は見られなかったし赤くなってすらいない。だが、怯えてはいる。


『フェル……大丈夫? 兄さんは良いお兄ちゃんだからさ、慣れてきたら甘えてみてよ。きっと仲良くなれるって』


僕がこれだけライアーに依存しているのだから、フェルも気に入るに決まっている。僕はそう考えていた。


『お兄ちゃん……お兄ちゃんは、お兄ちゃんのままでいてくれるよね?』


『……えっと?』


『変わっちゃったり、遠くに行っちゃったりしないよね? お兄ちゃんは、お兄ちゃんだよね?』


兄が出て行ってしまって不安定になっているのだろうか。やはりフェルは僕に似ている、動揺すると口下手が増して何を言いたいのか分からない。


『……こーら、良い弟ならお兄ちゃん困らせちゃダメだよ?』


『………………お前にだけは絶対に渡さない』


『…………あっそ。じゃあせいぜい面白く足掻いてボクを楽しませてよ』


フェルとライアーはしばらく睨み合って何かを呟き合い、フェルはダイニングを出て行ってしまった。追おうとしたがライアーに腕を掴まれていて動けなかった。


『……ねぇ兄さん……みんなともう少し仲良くしてよ。フェルは僕の弟なんだよ? もうちょっと優しく……』


『ヘル、ボクの弟はキミだけだ』


『…………フェルが僕の弟なら、フェルは兄さんの弟でしょ? 兄さんもさっきそう言ってたじゃないか』


『違うね、ヘル。ボクはキミの兄としての顕現、キミだけの兄であって、その他全てとの関係を持たない。ごめんね? ボク、嘘吐きでさ』


僕がそう設定したとでも言いたいのか。確かに、形見の石を精神安定剤代わりに握り締めて祈っていた時には双子の弟なんて居なかった。


『……持たないなら作ってよ』


『…………他と関係を持てばボクの独立という特性が消えて他の顕現と繋がってしまう。そうなったらキミを壊してしまう。ねぇヘル分かって? お兄ちゃんはヘルのためだけに居るんだ。もちろんヘルが家族団欒を望むならあの子とも仲良しの演技はするけどね?』


ライアーは本心からフェルを可愛がることもアルを大切に思うこともない。彼にとって僕以外の存在は取るに足らないもの──そんなの、兄と同じじゃないか。家族という最小の社会にすら属せない社会不適合者、僕も兄もライアーも同じ、人間の成り損ないだ。


『ヘルぅ……何が不満なの? ヘルの望みは全て叶えてあげられるんだよ?』


『不満、なんて……ないよ。ねぇ兄さん、幾つかお願いがあるんだ』


僕は本題だったヴェーン邸の再建と僕を隠す認識阻害の術がないかと相談した。


『……任せて。どこかの虐待魔よりボクは魔法が上手いから』


『…………虐待魔って言うのやめてよ』


『事実だろ?』


『………………にいさま、は……』


反論なんて出来る訳がない。兄は僕を虐待していて、心を入れ替えたなんて言いながら少しでも気に入らないことがあれば不機嫌になって、最終的には出て行ってしまうような奴だ。話し合いすら出来ない、他者に人格を認められない、最低最悪の屑だ。

でも、それでも──


『……僕にとっては大好きなお兄ちゃんなんだよ。そんな呼び方しないで』


『…………そう。分かったよヘル。弟が嫌がるようなこと、お兄ちゃんは出来ないからね』


ライアーの嘘を見抜くことは出来ないのだろうか。兄としての属性が勝って僕にだけは嘘をつかないなんて便利なことはないのだろうか。

今日はもう遅いから──、と皆を部屋に帰し、アルを眠らせる。僕が隣で眠っていると思い込んで幸せそうな寝息を立てるアルを見下ろしていると、ちょうど雲から出た月の光がカーテンの隙間からチラチラと輝いた。


『……行こ、兄さん』


そのカーテンをすり抜け、窓もすり抜け、尖った鉄柵の上に剥き出しの爪先を乗せる。


『そんなとこ乗っちゃ危ないよ』


『…………兄さん』


ライアーは薄暗い道を、僕は鉄柵の上を進む。月光に照らされてもなお黒さが損なわれない彼の髪や肌を見ていると──時折に僕に向けられる微笑みを湛えた美顔を見ていると──どうしてもナイを思い出す。


『ん? なぁに、ヘル、怖い顔して』


『……ねぇ兄さん、どうして魔法使えるの?』


魔法を使えるのは魔法使いの血を引き魔法の国で生まれ育った者と、魔法を教えた神であるナイだけ。


『ヘルがそう願った、もしくは認識してたんじゃない?』


兄は魔法が使えるものだと思っていたから兄として生み出されたライアーも魔法が使えると? そんな簡単なものなのだろうか。


『……疑ってるの?』


自然と足を止め、深淵そのものの瞳を見つめる。何の感情も読み取れない瞳に表情、その底知れなさもナイと同じだ。

疑っているとは言いたくないけれど、ライアーを喚ぶ度に記憶が飛んだり精神が不安定になるのは事実なのだ。そう正直に言えばライアーは何と言うのだろう、せっかくの理想の兄に実際の兄のような媚び売りはしたくない。


『………………ちょっとだけ』


『ふぅん……ちょっと、なんだ? 良く言えば純粋、悪く言えば馬鹿。まぁ、馬鹿な子ほど可愛いって言うし、ボクを疑っても得はしないから、キミの対応は理想に近いのかも』


分かりにくい言い方だ。だが、それは──


『それ、ってさ……疑ってるのは正解ってこと? 少ししか疑ってないのは勘が悪いって言ってる?』


『…………ボクが何なのかは見れば分かるだろ?』


『………………ナイ君、なの?』


『……ボクはニャルラトホテプを喚ぶ為の石の模造品の廉価版の試作品を媒介にキミの魔力で構成された兄と嘘の性質を持つ神性。だから、その質問の答えは「いいえ」だね』


『……違うんだったら不安になること言わないでよ』


ナイに関連する物品を媒介に──それは本当に別物なのだろうか。


『ボクは彼の顕現の一つに成り得るんだろうけど、今はまだキミのお兄ちゃんだ。信用していいよ、ボクはキミのお兄ちゃんだろ? キミがそう言ったんだ。キミが作ったんだ。キミがあんまり疑うと、そのうちそれは真実になるかもしれないよ? ボクを変質させないで、ボクを彼に含ませないでよ。嘘吐きなお兄ちゃんでいたいんだ』


『うん…………兄さん、手、繋いでいい?』


『右でも左でも両手でも、好きなの選んで』


別物ではないが僕の敵ではない。全く頭がこんがらがる話だが、一応ライアーは安全らしい。だがその安全は僕の信用にのみ保証されるものだ。

不安だ。だが、不安になってはいけない。

こうやってライアーの体温を手のひらにだけでも感じていれば僕は安心できる。易い奴だ。

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