第574話 遅過ぎた弔意

三つ目の避難所で叫んだことを理由につまみ出され、その建物の前、焼けるような熱さの砂の上にぺたりと座り込んだ。

リンは三つの避難所のどこにも居なかった。あの水晶玉の映像は本物だったのかもしれない。


「…………フェルをお願い」


ベルトにぶら下げたぬいぐるみ、通信用のベルゼブブの分身、中身はともかく外見は可愛らしいそれをそっと握って頬のあたりに持っていった。


『──お兄ちゃん? 今どこ? 無事?──』


「……ねぇ、フェル……リンさん死んじゃったの?」


ザー、と水音だけが帰ってくる。料理でもしていたのだろう。


「…………フェル、答えて」


『──うん、死んじゃった──』


消え入りそうな声がそう答えた。


『──ごめんなさい。言うタイミング……逃して、お兄ちゃんに……言わなきゃいけなかったのに──』


「……違うでしょ、フェル。言うタイミング逃したんじゃなくて、言わなかったらバレないと思ってたんでしょ」


『──ちがっ……ぅ、違う……よ、お兄ちゃん──』


砂漠の国から帰ってすぐは様子がおかしくて、でも話を聞いたりしてしばらくすれば調子を戻した。


「……どうでもよかったんだよね、リンさんも、僕も…………自分さえ快適に過ごせてたらそれで良かったんだ。いいよ、フェル、謝らないで……そういう子だってことは僕が一番分かってる」


『──お兄ちゃん? 待って、嫌だよ……そんなっ、見捨てないでよっ!──』


「………………もういいよ」


フェルが何かを話していたけれど、それは途中でブツリと切れる。ぬいぐるみは手から滑り落ち、目は自然と炎天を眺めた。


「……ベルゼブブ、一人にしてくれる?」


『そう言われましても……』


「…………そうだよね、じゃあ……神降の国の手助けしてあげて。攻め込むでも何でも君はとっても助けになるから。僕は……一人で帰るよ。人間じゃなくなったんだ、一人で……飛んで帰れるようにもなったんだ。カヤも居るし、大丈夫……行って』


翼を見せるとベルゼブブは驚いた顔をしていたが、その一瞬後には無数の蝿を呼んで空間転移を行った。

僕はゆっくりと横に倒れ、灼熱の砂にその身を預けた。皮膚が焼けていく、脳の機能が損なわれていく、景色が歪む──


『……ボクは自分が何なのか最初は知らなかった。この身体の歳になって、成長が止まって……そこから二年後に分かったんだよ』


影に隠され、微かに体感温度が下がる。


『ごめんねお兄さん、嫌なこと教えちゃったね』


冷たい手が頬に触れる。殺すべき相手だ、だが、そんな気力はない。


『ボクはねお兄さん、今のお兄さんみたいに少しずつ人間から感覚がズレていったんだ。親に売られて、大人のおもちゃにされて、自分の力に気が付いて預言者になって……それでもボクはおもちゃのままだった。いい暮らしは出来てるし、この国ではみんなボクの言いなりなんだけどね…………それでも、ボクは……奴隷のまま』


「…………君の身の上話なんか聞きたくない。どうせ作り話だろ」


『ボクを一目見た人間はね、男でも、女でも、ボクが欲しくなるんだよ。一夜だけじゃ気が済まないんだ。その様が滑稽に思えるようになったのも十年くらい前から…………醜い欲をぶつけられるのって結構堪えるんだよね。今でもたまにうなされる。でもねお兄さん、お兄さんはボクに最初から憎悪をくれた、殺意をくれた、初対面の子供の首を絞めたりナイフを突きつけたり殴ったり……信じらんないよ』


「初対面じゃなかった」


『ボクは初対面だったよ。神性としてじゃなく、ボクとはね。それにねお兄さん、さっきボクにちょっと優しくしてくれたでしょ? ホントは子供好きなんだね、もちろん良い意味の方。だからねお兄さん、ボクお兄さんには元気になって欲しいな』


ナイは僕の腕を掴み、無人の家に引き摺った。


『──燐光よ、灰色の炎よ……』


石の床は冷たく、またナイが使った魔法によって快適な空気が部屋に満ちた。暑さで膨張しているような感覚が脳から消え、上体を起こすとナイが飛びついてきた。


「……君を殺したらどうなるの」


『心臓に施された召喚魔法が発動して、おっきなボクが出ちゃうよ』


「…………そう」


避難所は地下だ、地上に居るのはテロリストや戦争の参加者ばかり。これまでに出たあの顕現と同じなら地下に潜ることはないだろう、殺してもいいかもしれない。


『ボクを殺したい?』


「…………君がアルを穢したんだろ」


『うん、素直になったでしょ?』


怪我の功名とでも言いたいのか。確かにあの一件のおかげでアルの本心が知れた。だからといって許せはしない。


「……君が何をやりたいか分からない」


『ボクも分かんないよ。規模の小さな遊びは好きにできるけど、キミや国が関わる遊びは繋がってるボク達が相談して決めてる。ボクではあるけどボク自身じゃないんだよ』


トップが居ると言いたいのか? それもナイなんだろう。何が違うのか分からない。それを殺せば僕にはもう関わってこないのだろうか、代役が立てられるだけだろうか。


『…………ボクを殺すならぎゅーってしてて欲しいな。どんな殺し方でもいいから、ぎゅーって、だっこしてね』


「……何でそんな頼み聞かなきゃいけないの?」


『聞かなくてもいいよ。でも……人の形をしたものを壊すんだ、罪悪感あるんじゃない? でもねお兄さん、最期にお願いを叶えれば罪悪感も薄れると思うな』


やはり、この顕現は他の顕現と様子が違う。罪悪感がどうこうという話は僕にしか利がない、殺させる前に情を湧かせるつもりならそんな助言はしない方がいい。


「…………ねぇ、リンさんを生き返らせる方法とかないの?」


『死んだ人間は生き返らない、知ってるだろ? 蘇生魔法が使えるのは天使や悪魔に魂が回収されていない間だけ……そもそも魂すら燃えてしまった彼はどうすることも出来ない。生まれ変わりすら不可能だ』


「なんでっ……リンさんは、何も……してないのに」


リンはフェルを投げた。もしフェルを投げなかったとしたらフェルと助けようとしたアルも死んでいただろう。リンは死ぬと分かっていてフェルとアルを助けてくれたのだ。

僕のせいだ。

僕もあの国に行っていれば何か出来たかもしれない。あの場に居た仲間やフェルとアルを責めることは何もしていなかった僕には出来ない。


「そもそも、僕が関わらなかったらっ……!」


『…………出来の悪いスワンプマンがただの子供のフリをしたから彼は死んだ。キミはあの場に居なかったんだからキミのせいじゃないよ。キミは何にも悪くない』


頭を掻き毟る手を止めるのは小さな手。


『お兄さん、お兄さんは悪くないよ、お兄さんは……頑張ってる。優しいお兄さん……』


僕を甘やかす性別もあやふやな子供の声。


『キミのお兄さんが神性の退散より全員の安全を優先していたら、あの狼が彼を運んでいれば、キミのコピーがキミの弟……ただの人間のフリをしなければ、このうち一つでも達成されていれば、彼は今も生きていた。キミのせいじゃない、キミを置いていき身勝手な行動を繰り返したキミの仲間のせいだ』


「違う……みんなは、頑張ってくれた……」


『ねぇお兄さん、あの時お兄さんが来ていたら……彼も、他の民間人も、呪術師さえも、誰一人として命を落とさなかったんだよ?』


そんな馬鹿な、でもそれが占いの結果だとしたら、それがあの水晶玉に映った有り得たかもしれない未来ならば、善良な顕現である彼が言うのなら……そうなのかもしれない。


『お兄さん……お兄さんさえ居れば良かったんだ、何もかも……今はそうだろう? 仲間が邪魔だと思ってない? どうして狼を家に帰したの? どうして木で囲ってヘクセンナハトを締め出したの? どうして悪魔を帰したの? 正直になって、お兄さん。ボクは誰にもキミの秘密を漏らしたりしないし、キミに酷い言葉をかけたりもしない。正直に、キミが醜いと思い込んでる美しいキミの心を吐き出して』


「…………ナイ、君……君は……邪神で」


『安心して、お兄さん。ボクは……ボクだけは、お兄さんだけの味方だよ』


「邪神……だけど、でもっ、君は…………善良な顕現……なんだよね?」


顔を上げれば優しい微笑みがあった。何もかもを受け入れてくれる、僕を拒絶したりしない、そんな確信を与えてくれる美しい笑顔だった。

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