第512話 絶滅危惧の理由

岩壁にせり出した鉱石に自分を映し、白い髪と瞳を眺める。前世の僕は自身の見た目の変化を気にしているようだった。僕も今だからこそ魔物使いの力が増しているのだと分かるけれど、変わり始めたばかりの頃は焦ったものだ。


『旦那様、旦那様、里帰りするから一緒に行こ』


「……どこにあるの?」


『ちょっと待ってね……』


シェリーは僕が顔を映していた鉱石に齧り付き、念入りに噛み砕くとパラパラと石粉を落とした。


『丸にするの手伝って』


「丸……?」


輝く石粉で円を作る。シェリーが何とか入れる程度の大きさだ。


『……我ハ竜族ノ末裔、至高ノ種族、鉱石食の白銀種也……服ワヌ種族ノ長也』


シェリーの瞳が輝き、それに呼応して円になった石粉が輝く。


『…………よし、門が出来たよ。旦那様、行こ』


「え? いや、行こって言われても……」


シェリーは円の中心に足を踏み入れる。岩肌が水面のように波打ち、シェリーの足は沈んだ。


『行こ行こー』


シェリーは鋭い爪の生えた大きな手で僕を掴み、石粉の円──門の中に身を落とした。

どこかを泳いでいたシェリーが地に足を付け、僕をしっかりと掴むのをやめて手を軽く開き乗せるようにする。


「……ここが君の故郷?」


『そうそう。さ、お父様に挨拶しなきゃー』


円状の広い平地に、それを囲む壁のような岩山。牢獄の国の作りによく似ているが、あれよりもずっと人工的だ。岩山にはところどころに穴が空いており、出入りする竜が居ることからそれが巣穴だと分かる。平地に居る竜は小さいものが多く、じゃれ合っているようにも見えた。


『ただいまー』


シェリーは迷ったような素振りを見せながらも実家を見つけ、角を擦りながら中に入った。シェリーの住処同様中は広い。


『おかえりシャルル。人界での勤めはどうだね』


『ちゃんとやってるよー』


『五百年の勤め……その初めに渡される人間に果物、それに酒。アレは我々白銀種には毒だ、それを喰えたならお前はもう一人前。後は天候を調整するだけの楽な仕事……ん? 待てシャルル、それは何だ』


シェリーの倍はある巨大な竜は彼女と同じ鱗と瞳の色をしている。父親らしい彼は僕をじっと見つめている。


『旦那様だよ』


『……伴侶に人間を選んだのか? 寿命の長い生き物を選べと言っただろう、全く……』


不貞腐れたように首を床に落とし、じっと僕を睨む。

シェリーは僕が明らかに父親に怯えているのも構わず、僕を床に下ろした。前世の僕が怯える理由は巨大さだろうか、あまり歓迎されていないからだろうか、それとも初の親との対面に緊張しているだけ──これは無いか。


『ん……? 人間、貴様魔物使いか』


「魔物使い……? なんですか、それ」


『人界の魔力濃度を調整する弁だ。ふむ、そうか、魔物使いか。それなら人間だろうと長命だな、よしよし』


……魔物使いは長命なのか? 今まで見てきた者は若い内に殺されてしまったし、唯一天寿を全うしたところを見た『黒』に監禁された前世だって三十にもなっていなかったはずだ。


「…………えっと、お義父様、になりますよね」


『うむ、よろしく頼むぞ、息子よ』


娘の伴侶に求めるものは寿命の長さだけなのか。

変に関係が拗れないのは見ているだけの僕としても助かる、ギスギスとした空気なんて眺めるのも嫌だ。

それから数年は里と住処を行ったり来たりして過ごした。ゆっくりと時間が流れる平和な時だったが、それはある日突然に終わりを告げた。

砂漠の国に居た太陽神を筆頭とする神々と天使達の戦争だ。悪魔達は神力が吹き荒れる人界を嫌って魔界に引き上げ、砂漠の国の大陸周辺の国々では神々の戦争の影響で飢饉や疫病が起こった。

戦争の二次被害を受ける範囲はどんどんと広がって、シェリーの住む山もそれに入った。


『……神力濃度が高過ぎて隠れ里が保てなくなっちゃったんだ。だから、もう……』


竜族も魔物の一種、魔力濃度が下がれば結界は維持出来ない。このままでは滅びてしまう──竜族は第三勢力として戦争に参加した。

ただし真っ向からは戦わず、信仰者や大地など神力を生み出しているものを根こそぎ焼き払った。砂漠の国が完全な焦土と化す頃、太陽神を筆頭とする神々は人界への干渉権を失った。


『旦那様! やったよ、勝った!』


「……違うよ、シェリー。これは……負け戦だ」


竜族全体の三割は戦死し、火の性質を持つ竜種だけで言えば当初の半分も居ない。集団としての行動は維持出来ない。

けれど──竜族は撤退を許されなかった。


「…………魔物使いの名の元に全竜族に命じる」


天使は竜族を神の叛逆者と認定し、竜族の完全なる殲滅を今回の戦争の目的とした。そもそも竜とはサタンの憎悪の落とし子、自然神が人界に満ちた神力から発生するように、竜は魔界から漏れ出した魔力から発生する。

今まで全く目を付けられていなかったのが奇跡だった。


「……全竜族は僕に隷属し、手足となること」


竜族を指揮した魔物使いは──僕の前世は、どれだけ減っても混乱せず集団として戦えるように竜族全てと魔力で繋がり、手足として扱った。竜そのものに意識はなく、死体となっても魔力がある限り戦い続けた。

しかしそんな荒業をいつまでも続けられるほど魔物使いは丈夫ではない。


『…………旦那様、旦那様、起きて、旦那様……』


今までの前世の最期と同じく、僕は自由に動けるようになった。彼は……僕の前世は死んでしまった。

竜族は当初の三パーセント程の数に減ったが、天使を退けより深くに新たな隠れ里を築くことが出来た。そう、彼はシェリーだけを力の範囲外にして、魔力濃度の薄い人界に一人で強力な結界を作らせた。その時間を稼ぐことが、隠れ里を作っていると気付かせないことが、個々で戦わせなかった一番の理由だった。


『次に行きますか?』


「ウムルさん……? もうちょっと待って。もう少し見てから……」


僕の前世の割に彼は頭が切れる男だったようだ、僕も途中まで隠れ里を作っていることに気付けなかった、ずっと眺めていた景色ではシェリーに指示など出していなかった。


『旦那様、結界完成したんだよ。私、一人で頑張ったんだよ。起きて、褒めて、旦那様……』


完成した隠れ里に生き残りと共に飛び込み、門を完全に閉ざし、竜族との繋がりを絶った直後、シェリーの顔を見た直後に絶命した。

まさに生命を燃やし尽くしたと言えるだろう。魔物使いとしては最高の最期だ。けれど、せめて、あと一言発するだけでも残っていれば完璧だったのに。


「シェリー、ねぇ、シェリー…………聞こえないよね。ダメだね。どっちにしたって、僕が何か言ってもどうにもならないよね」


外傷は無いけれど乾涸びた死体に話しかけるシェリーを見ていると胸が痛む。前世の妻だからなのか、ずっと見ていたからなのか、きっとどちらの理由もあるのだろう。


『…………私が、もっと早く結界を完成させられたら』


「……違うよ」


『私が、もっと強かったら』


「違うんだよ、シェリー……君のせいじゃないんだ、だからもう考えちゃダメだ」


聞こえないと分かっていても、聞こえても僕の言葉なんて無駄だと分かっていても、彼女が自分を責める独り言を否定し続けた。

背後に虚無の視線を感じながら。


『…………私のせいだ』


「……シェリー! ダメ、ダメだって、シェリー! やめて!」


『魔物使い、こちらの声は向こうには──』


「分かってるよ! でもっ……こんな、こんなのって…………ぁ、あぁっ……シェリー……」


シェリーは人が大勢集まる街の真ん中に降り立ち、大人しく座っていた。そのうちに天使やその加護受者が集まって来て、彼女は無抵抗で攻撃を受け続けた。


『ごめんなさい、旦那様……ごめんなさい』


頑強な鱗と肉と骨は数日かけて分断され、シェリーは命の灯火が消えるその寸前まで謝り続けた。


『──白銀種は高位の竜種です。他の竜にもその鱗は裂けず、自身の爪で裂いても再生力が上回り、マグマに飛び込んでも無傷。自害は不可能と踏んだ? いえ、自分を罰したかったのです。愛しい伴侶を守り切れなかった愚かな自分を。再生を封じられ、毒や呪いを使われ、じわりじわりと身を裂く苦痛で罰したのです』


「…………あなたに何が分かるの?」


『分かりますよ。全ての記録そのものなのですから』


僕は次の前世に辿り着くまでの間、彼の悪趣味な話に付き合わされた。


「……どうしてそんな話をするの?」


『あなたもとても自罰的だ。せっかくですしお望みの言葉を与えますね。あの竜が……シェリーが死んだのは、お前に出会ったせいだ』


「……っ! 性格悪いね……」


『これでも邪神とされていますので、御容赦を』


新たな前世の身体に固定され、指先一つ動かなくなる。

視界が開くまでの暗闇にはずっと白銀の竜が浮かんでいた。

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