第511話 竜族との過去

魔女裁判にかけられた少女だった前世はあの後も何も起こらず、寿命で死ぬまで『黒』に閉じ込められていた。『黒』が何か術でも仕込んでいたのだろう、魔物や天使があの山小屋を尋ねることは終ぞなかった。


「……『黒』の名前っていつ分かるの?」


『今まで何度も聞いたでしょう』


「…………え? 一度も名乗ってなかったよね?」


いや、結婚相手や監禁相手に名前を告げないなんて有り得るのか?

まさか──聞こえなかった? 認識出来ていなかった? あの砂嵐のような音はなかったけれど、それ以上に鮮やかに誤魔化されていたのか。


『名前を盗れるのは名前が宙に浮いた時のみ』


「……どういう意味?」


『名前が浮いた瞬間を狙い奪い返し、再度与えれば良いでしょう』


一万年前、『黒』がナイに名前を渡す際、儀式のようなものが行われるのか? 今僕が見ようとしている前世は僕の時代の何世紀前なのだろう。その好機はいつ来るのだろう。

頭を悩ませつつ、僕はまたいつかの前世の記憶を覗く。



岩山を籠に乗せられて登っている。運んでいるのは人間だ、他の荷物には果物や果実酒も伺える。


「……ごめんな、ごめんなぁ」


籠を持つ男の一人は謝り続けている。涙がぽたぽたと落ち、地面に跡をつけていた。


「気にしないで、父さん」


そう言ったのは前世の僕で、泣いている男──父親は更に大きな泣き声を上げた。


「村長……どうにかなりませんか。贄は今までずっと娘だったんでしょう、どうして……どうしてうちの息子が……」


「くどいぞ。何度も言ったろう、白銀様直々のご指名だと」


「ちきしょうっ……あの邪竜め……」


「口を慎め! 白銀様はこの地の守り神だ!」


白銀様──それが竜の名だろうか。贄を要求する邪竜か……

まぁ、魔物使いの力に目覚めているのなら喰われることはないだろう。今回は髪が短くて視界に入っていないから、力に目覚めているのかどうかが分からないけれど。

泣く父親に声をかけ続け、そうしているうちに目的地に到着した。村長だという老人は大きな洞穴の前で鐘を鳴らし、「白銀様」と叫んだ。


『……ご苦労さまー』


ぬっと顔を出したのはその名の通り白銀の竜だ。細長い首や手足、そう大きくない翼、長い尾……兵器の国で見た竜より小さい。そういう種なのか、まだ子供なのかは分からない。


「……白銀様でいらっしゃいますね。供物をお持ちしました」


『うん、少し前に交代したばっかりで勝手が分からないんだけど……麓の村に寄ってくる魔物を追い払って、天候を穏やかにしておけばいいんだよね? 定期的に雨呼んでさ』


「は、はい……この供物がお気に召しましたら、どうぞ約定通りに」


天候を操ることが出来るなら相当の高位種だ、竜には詳しくないけれど。交代したばかりだということはやはりまだ若いのだろうか。


『あの子は? 来てくれた?』


「…………こちらに」


籠が竜の前に運ばれ、縦長の瞳孔が僕を映す。僕は村長に言われて籠から降り、竜の前で一礼した。竜にしては小さいとはいえ、人間と比べれば巨大だ。見ているだけの僕も恐怖を感じる。


『ありがとー! 五百年だっけ? しっかり護るからね!』


竜は明るくそう言うと両手で僕を包み、尾に果物や酒が入った籠を引っ掛け、洞窟の奥に向かった。

竜は僕を編んだ藁の上に落とし、岩壁にせり出した鉱石に息を吹きかける。すると鉱石が赤や青、緑に紫に輝き、真っ暗だった洞窟が明るく変わる。


『眩しっ……』


そう漏らして瞳孔を更に細める。

夜目がきくのならどうして灯したのだろうか。


「…………白銀様、あのっ……」


震えた声が前世の僕のものだと気付くのには時間がかかった。父親を励ましていた気丈さはもうどこにない、身体の前で組まれた手も震えている。


『あ、シェリーって呼んで。私、シャルル・イールズ・ロックハウンド・ロストライト・ランダー……えっと、なんだっけ』


恐ろしさが薄れてきた。いや、巨体や牙や爪の威圧感より惚けた言動が勝ってきた。


『人間は暗いと何も見えないんだよね? これくらいの明るさで大丈夫?』


「え……? あ、はい、大丈夫……です」


『お腹空いてない? 空いたら果物食べてね。夜になったら鹿とか持ってくるから……お肉はそれまで我慢してね』


「鹿って……僕の食事ですか?」


『あれ、人間って雑食じゃなかった? お肉食べない?』


「た、食べますけど……どうして、僕の食事を?」


『食べなきゃ死んじゃうじゃん』


竜……いや、シェリーは僕の上に供物である果物を落とす。間抜けな顔をしているであろう前世の僕を見つめ、首を傾げる。


「……白銀様、ぁ、いえ、シェリー様は僕を食べないんですか?」


『え……? なんで?』


「なんでって……贄って、そういうものでしょう?」


『…………私、鉱石食だから人間なんか食べないよ』


鉱石食なんてあるのか。石を溶かす消化器官なら人間なんて簡単に溶けるだろう……いや、栄養にならないか。


「食べないんですか?」


『食べないよ?』


「……じゃあなんで僕を」


『えへへー……一目惚れ。よろしくね、旦那様』


それから数日、シェリーは宣言通り僕を食べようとする気配すらなく、毎日果物や鹿を持ってきた。生では肉は食べられないと言うと薪を持ってきたり、藁では寒いと言うと羊を連れて来た。

何と言うべきか……献身的だ。


『旦那様、眼……大丈夫?』


羊の毛を刈って寝床を整えるなんて高等技術は前世の僕も今の僕も持ち合わせておらず、連れて来られた羊は藁の上で眠っている。その羊で暖を取る僕の顔を覗き込む大きな蒼い瞳──瞳孔が狭まり、原始的な恐怖を与えられた。


『白くなってるよ。ちゃんと見えてるの?』


「え? 見えてる……けど」


前世の僕は早々に敬語と様付けをやめた、僕のくせに中々に太い神経をしている。


『髪も白くなってきたし……な、何かストレスとかあるのかな? 私心配だよ……』


「…………まぁストレスだらけって言えばそうだけど」


『え? なんて? 思い当たるのあるの?』


「……い、いや、何も……不思議だなー」


シェリーは誤魔化す僕をじっと見つめている。怪しんでいる訳ではなく、純粋に心配している。

こんなにも純粋な可愛らしい子に好かれるなんて本当に羨ましい。まぁ僕にはアルが居るし、負けてはない、いやむしろ勝っている。


『……旦那様、シェリーに乗って』


「え? どこに?」


『…………掴まれそうなところ』


「頭かなぁ……」


首を地面に付けたシェリーの頭によじ登り、額の一角に跨り、それに抱き着く。


『離さないでね!』


シェリーは洞窟の入り口に向かって走り、飛んだ。身体に対して小さな翼は風を孕み、その巨体を浮かせている。


『私、空飛ぶとスーッとするから、旦那様もそうかなって思ったんだけど、どう?』


「…………た、高い……怖い」


『スーッとする?』


「ヒュッとする……」


前世の僕も空を飛ぶのは苦手らしい。しかし、映像だけの僕は楽しめている。このまま二、三周岩山を旋回して欲しいくらいだ。


『……楽しくない? ダメかぁ。帰ろっか』


シェリーは岩山に向かい──岩壁にびたっと張り付いた。


『私が出来るの滑空だけだから、巣には登攀しなきゃいけないの。落ちないように頑張ってね、旦那様』


洞窟に戻った僕はすっかり憔悴し、羊を枕に寝転がっていた。眺めているだけの僕にとっては刺激的な楽しさがあったけれど、当の本人にはキツいものだっただろう。


『…………ごめんね』


「……いや、気にしないで。でも、もう二度とやらないでよ」


『旦那様……ゆっくり休んでね。欲しいものあったら言って、苦しかったら呼んでね』


シェリーはそう言って肩を落とし……翼を落とし? 岩壁に齧り付いた。食事だろうか、ゴリゴリと岩を削る音が聞こえる。

中々に可愛らしい子だ。竜は長命だと聞くし、僕の時代まで生きているのなら是非会いたい。かつての夫の生まれ変わりだと言ったら信じるだろうか。


「…………シェリー」


半分ほど羊毛で埋まった視界の先、美しい白銀の鱗。前世の僕は虚空を見つめ、羊にも聞こえないような小さな声で呟いた。


「……僕、君のこと結構好きだよ」


自嘲を漏らし、目を閉じる──ドタドタと走り寄る音に目を開ける。


『旦那様! もう一回! もう一回!』


「耳いいね。恥ずかしいから嫌だよ」


羊に顔を埋め、今度こそ目を閉じた。

次の呟きを待つ蒼い視線を痛いくらいに感じながら。

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