第498話 支配者と偽物
フェルにどう納得してもらおうか悩んでいると、彼は僕の肩を弱々しく引いて声を震わせながら尋ねた。
『……ヘルは愛されてるでしょ?』
「そう思いたいね。でも、ヘルって名前の意味は愛される人って意味じゃない。君がヘルでも僕みたいには愛されない。だって、魔物使いじゃないから」
『…………それ、って』
「魔物使いだからって愛されるわけじゃないけどね。ただ、危険視されたり重宝されたりするだけ。まぁ人間の扱いじゃないよ」
フェルの両手が僕の顔を包む。何をしているのかと思っていると、こつんと額がぶつかった。
『……ヘルは愛されてないの?』
「…………君と僕が名前も能力も立場も完全に入れ替わったとしても、君は愛されてるって胸を張れないよ。僕には妬まれるかもだけど」
『どうして? 狼さんとか、にいさまとか、ヘルのこと愛してるよね?』
「……それを感じられないって言ってるんだよ。分からない? 同じ脳なんだから分かるよね。僕は誰かに愛されたいけど、誰からの愛も受け付けられないの」
一時なら思える。けれど、常にではない。ずっと不安が付きまとう。愛してるなんて嘘ではないのかと、たった今嫌われたのではないかと、いつか手酷く捨てられるのではないかと──それはきっと誰からも愛されないよりも長く続く苦痛だ。
『なっ、なんで!? だって、狼さんなんかあんなに分かりやすく愛情表現してるのに……』
「知らないよそんなの、分からない。何やっても、何やられても不安が消えない。愛してるって言い合ってても、ふと頭に不信感が生まれるんだよ。僕はそれを必死に押し殺して、信じてるフリして、自分にも言い聞かせてる。でも完全には騙せないし、騙されない」
知らない分からないと言ったが原因は分かっている。兄だ。兄の過保護と虐待が原因だ。愛してるなんて宣いながら殴られて、次の瞬間にはどうでもいいと吐き捨てられて、気まぐれに抱き締められて大切にされる。
分からなくなっても仕方ないじゃないか。
「……ねぇ、フェル。弟じゃダメかな。君が僕を見て愛されてるって分かるんなら、僕も分かるよ。フェルは愛されてる」
『…………誰に? みんな僕のことなんて何とも思ってない、脇役、うぅん、モブキャラだよ。にいさまって言ったら怒るよ? にいさまは僕を疎ましがってるんだから!』
「お兄ちゃんだよ」
『だから! にいさまは僕を疎ましがってるんだって!』
「違う、僕だよ。お兄ちゃん。ヘルお兄ちゃんはフェルのこと大事に思ってる」
唯一無二の弟だから。泣きそうな顔で首を振って逃げようとするフェルを捕まえて、伝わらないと分かっていながら抱き締めた。
「……信用出来ないよね?」
『…………一番、信用出来ない』
「だよね。でも、本当だよ。嘘吐きと裏切り者が大っ嫌いな僕が、僕と同じ脳の君にやるわけないだろ? バレた時に殺されるって分かってるもん」
愛してると言ってきた奴が嘘吐きだと分かったら、僕なら殺してる。
『……そうだね。その辺のもので頭殴って』
「首、絞めて」
『ナイフでも持ってきて』
「お腹裂いて」
『……だんだん冷えていくお腹の中に手を突っ込んで顔埋めて』
「……冷たくなって固くなったら、もう要らない」
腕を離し、向かい合う。どちらともなく笑い出し、両手でハイタッチ。
「気が合うね!」
『当たり前!』
笑いあって、手を繋ぎあって、勢いをつけてベッドに倒れ込む。
『だって双子だもん。ね、お兄ちゃん』
複製だからと言わなくなったのは進歩だ。彼は僕でも僕の複製でも、ましてやスライムでもなく、僕の弟。心の底ではそう思っていなくても、自分に言い聞かせる努力をしているのなら、それは僕という人間が持てる最大限の信頼だ。
「……ね、何か不満ある?」
『あるある! 料理と掃除と洗濯と……全部僕なんだよ、だーれも手伝おうとしないし、お礼も言わない。おかわりって堂々言ってきて、ツマミ作れって叩き起してくるんだ』
それから……とフェルは延々と愚痴を吐き出す。
『グロルちゃんは僕みたらどろどろって言って逃げるし、ベルゼブブと茨木は馬鹿にしてくるし、酒呑は酒買ってこさせるし!』
「……全部サボっちゃえば?」
『…………それいいね! そうだね、今日はサボっちゃえ! この部屋閉じこもって、お兄ちゃんと遊ぶ!』
「なんなら抜け出して遊びに行こうか」
『最っ高! 流石お兄ちゃん!』
フェルは思い立ったが吉日と窓を開け、外に降りた。
『空間湾曲……はい、お兄ちゃんの靴!』
僕の靴を用意し、塀に飛び乗る。フェルは片手で軽々と僕を持ち上げ、僕達はヴェーン邸の敷地内から簡単に脱走した。
郊外だからか人は少ない、せっかくなら中心街まで行こうと足を早めた。
中心街に行く途中、少しずつ賑やかになっていく広い道に怯え、僕達はどちらともなく手を繋ぐ。
そして思う、どうして抜け出すなんて言ってしまったんだと。
どうかしていた、特に僕は勝手に外に出るなと言われたばかりなのに。いつ何に襲われるか分からないのに。せめてアルを連れてくれば、ベルゼブブに断ってからなら、そんな後悔が頭の中を巡り続ける。
『……ね、お兄ちゃん』
フェルも同じ心境のようで、抜け出してすぐは明るかった顔色は今とても悪い。
『帰り道、覚えてる?』
やはり帰りたくなっていたか。流石は双子、考えることが同じ。それなら──
「分かってるだろ……」
──道を全く覚えていないことも分かるはずだ。
どうしようかと見つめ合い、どうせなら中心街に行こうと無言で結論を出す。気分はすっかり萎んでしまったが、行ってみたら案外楽しめるかもしれない。
『……知ってたけどさ、お酒とかのお店しかないね』
「酒色だからね……」
酒、色、両方の店が僕に合わない。下品なまでに鮮やかな店の電灯は薄暗くなってきた空を跳ね返し街を明るく照らしている。
疲れたからどこかに座ろうと街を歩き、看板にノンアルコール有りと書かれたバーに入る。客はそう多くなく、その客も淫魔ばかりだ。
『いらっしゃいませ~、あら、人間さん? 珍しい』
淫魔ばかり来る店なのだろうか。一抹の不安を胸に、オレンジジュースを二つ頼む。
『……ねぇ、お兄ちゃんはどうする?』
「うん……どうしようか」
来た道を戻れとよく言うけれど、来た道を覚えているのなら苦労はしない。いや、フェルなら地図を浮かび上がらせるような魔法を使えるのではないか?
『ジャンボチョコとフルーツ盛りどっちがいいかな……お兄ちゃんどっちにする?』
「パフェの話……? 両方頼みなよ、半分こしよ」
まぁ、地図のような魔法が使えるかどうかは後で聞こう。フェルは楽しくなってきたようだし、帰る話なんて今は聞きたくないだろう。
『おまたせしました~』
パフェが二つ僕達の前に置かれる。幸運なことに左右対称だ、分けやすい。
「あ、美味しい。フェル、あーん」
「……ん、美味しい。お兄ちゃん、こっちも」
スプーンで掬った部分の反対、同じ量を互いに差し出す。タイミングを測る必要もなく、一人で食べている時よりもスムーズに進む。
『……ねぇ、ボク達双子?』
する、と隣に薄い紫の髪の女が座る。服装と羽から見てサキュバスだ、目のやり場に困る。
『私達も双子なのよ』
フェルの方を見ればフェルの隣にも同じ見た目の淫魔が座っている。
『お姉さん達とお話しない?』
『盛り上がったら、場所変えましょ?』
僕は話しかけられて咄嗟にパフェを多めに掬い、口に含んだ。返事を思い付かなくても話さなくていい言い訳を得るためだ。
『……いえ、遠慮します。今日は兄弟二人で遊びますから』
『多い方が楽しいわよ?』
『そうそう、とっても楽しませてあげる』
『…………邪魔するな、って言ってるのが分かりません?』
するするとフェルの髪が伸び始める。僕はそれに驚いて噎せ、淫魔達は言葉を失った。伸びた髪はひとりでに二つにまとまり、先が割れて目の無い蛇のようなものになる。
『僕は出来損ないの作り損ないですけど、地道に営業しなきゃならないサキュバスくらいには勝てますよ』
『……や、やーね。もう』
『怖い冗談言わないで』
そう笑いながら立ち上がり、店を出て行った。
「…………行った?」
『うん。酷いよお兄ちゃん、僕に対応押し付けるなんて』
「追っ払い方なんか分かんないし……」
脅すのが正解とは思えないけれど。元の長さに戻っていく髪を見ながら、頭の中で冗談めかして呟いた。
『それとも追い払わない方がよかった? 美人だったけど』
「いや……絶対ぼったくられる」
『確かに。そんなにお金持ってる訳じゃないしね』
そう言いながらフェルはぺたぺたとポケットを押さえる。
『……財布、無い』
「えっ、忘れたの?」
『持って来たよ! お兄ちゃんの靴取る時に一緒に取った!』
「落としたとか?」
『……うぅん、多分……さっきの人達に盗まれた』
密着してきていたし、ポケットから財布を抜き取るのは位置的には可能だ。
『まぁいいや、とりあえずパフェ食べよ』
『そうだね。はい、あーん』
抜け出した時靴を取ったのと同じ要領で取り返せばいい。僕達はともにそんな結論を出し、パフェを優先した。
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