第460話 或る国の預言者
晩餐会は基本立食、とはいえ椅子は用意されている。僕は兄達から離れ、皿を持って部屋の端に並べられた椅子に座った。
『膝乗っていい?』
「……ダメ」
『隣は?』
「好きにすれば」
ナイ──彼は違う名を名乗っているそうだが、その名を僕に教えようとはしないからナイでいいだろう。
「……君は砂漠の国で何してるの? 悪さ?」
『預言だよ。民の心理や神の言葉、世界の意味に星辰の位置、そんなのを伝えてるだけ。普通の……人間の預言者と同じだよ、悪さじゃない』
神の言葉か、自分の言葉だろう。
『預言者なんて肩書きで、本当の仕事は愛人だし』
椅子に横に腰掛けて、僕の膝の上に足を乗せる。薄い布に隠された細い足は大抵の人間が生唾を飲み込む代物だ。
『興味無さそうだね、ショックだなぁ』
「無いに決まってるだろ」
『少女より少年の方が不都合少なくて便利なんだよ? ま、キミには便利さなんてどうでもいいかな。キミ好みのお姉さんでも興味無い?』
「無いね。だって君なんだろ?」
『ふふ……人間の姿じゃダメなのかな? 四足歩行の……大きな口と鋭い牙を持った恐ろしい獣じゃないと……ダメなのかな? たたないかな?』
僕の足の間に足を無理矢理ねじ込んで、足同士を絡ませる。
『獣姦が趣味の英雄様か。子供を侍らせるよりは健康的かな? 後継者争いを嫌って、色好みの称号を嫌って、侍従だの預言者だのって言い訳するよりは潔くってイイのかな?』
「……別に、僕は英雄じゃないよ」
『あれ、否定するのはそっちなんだ。意味が分からなかったのかな? それとも、理解した上で肯定しているのかな?』
「キミの言ってることは理解したくないことばっかり、キミの話は全然聞いてないよ。用がないなら向こう行って、耳元で羽音が五月蝿いんだ」
ベルゼブブはナイを嫌っている。今は大した魔力を持っていないし、晩餐会の真っ最中に現れるような無粋な真似もしないだろう。だが、機嫌が悪いのは手に取るように──耳で分かる。
『キミ、機械には詳しい?』
「……いや、あんまり」
突然の話題変更にはもう動じない。
存在を無視されたベルゼブブが更に激しく羽音を鳴らす。
『重要なのはデータなんだよ、小さなカードにその全てがある』
「…………それが何?」
『機械を落として壊したとする、でもカードは無事で、同じ規格のものに合わせたらデータが復元できた』
よく分からないが幸運な話なのだろう。僕に何の関係があるのかは分からないけれど。
『でもね、最初に壊した物も修理したらまだ使えたんだよ』
「……もったいないってこと?」
やはり何を言いたいのか分からない。
『知らないうちに他人が修理して持ってきたらどうする? 使う?』
「…………新しいのあるんでしょ?」
『うん、性能も新しい方が上』
「……なら、要らないよ」
もったいないとは思うけれど二つあっても仕方ない。捨てたものを勝手に修理して持ってくる不気味さも捨て置けない。
『カードに記録されるデータは端末にも一応記録されてて、修理して持ってこられたやつにはそのデータが残ってた』
「……だったら何?」
『同じデータを持つ端末が二つある』
「…………それが何?」
『機械ならありえることだけど、生き物ならありえないよね? でも、魂をデータとして回収出来るならありえるよね?』
もしかして僕とフェルの話をしていたのか? だとしてもフェルの存在を知っている事には驚かない、ナイはそういうモノだ。
『……ねぇ、同じ魂を持った生き物が二体居たらキミはどっちを選ぶの? 親しみを持って古い方? 性能を取って新しい方? それとも慈愛に満ちて両方を選ぶのかな?』
僕とフェルの話なら「両方」と言わなければならない。生き物なら「両方」と言わなければならない。
生命があるなら両方だ。僕はそう答えた。
『でも、その子達は互いを認められるかな』
「……認められないの?」
『自分は唯一無二の存在だって思うものだろ?』
「…………双子みたいになれないかな」
『オリジナルの考えだね、もしくは他人。恋人が居たらどうするの? 嫉妬しない? 別の人を選ぶの? どっちが妥協するの?』
そんなの分からない。僕には答えを出せない。
いや、フェルが複製された段階では僕はアルに恋愛対象として見られているなんて知らなかった。別の恋人を選べる可能性は十分にある。向こうに『黒』を任せても──いや、これ以上は最低な考えに至りそうだ、やめておこう。
『……まぁ、ボクは預言者だから、ハッキリした事は言えないけど』
「預言者関係あるの? 君の趣味じゃないの?」
『…………勘のいい子は好きだよ』
「君に好かれたくない」
『化け物に好かれたって喜ぶくせに』
「君は化け物以上なんだよ」
神性なんて災害よりも対処のしようがない。
子供に悪戯に踏み潰されるアリはどうやったって子供を追い払えない。
『全然聞いてないなんて言いながら真面目に考えて答えてくれるお兄さんが大好きだよ』
「……っ! ぁ、あぁ、うん、どーも。でもそろそろ本当に何も聞こえなくなるね、向こう行ってよ」
羽音が五月蝿い。片耳はもう塞がれているも同義だ。
『ヘル! 何してるの? こんな隅っこで……』
腕に抱き着いたアルテミスには何の気も渡さず、兄は僕を呼ぼうとして──ナイを見つけた。
『や、久しぶり』
『…………どうも』
兄は表情を崩すことなく、無愛想に礼儀正しく会釈した。
「エア様、その方とお知り合いなんですか?」
『……まぁ、色々教えてもらったよ』
『もうちょっと尊敬してくれてもいいと思うんだけど? ま、いいや。じゃあね!』
ナイは椅子から飛び降り、砂漠の国の王の元へパタパタと走って行った。
兄は不機嫌になりながら僕の腕を掴み、アポロン達が話している机に戻る。話の内容は先程のテロリストだ、招待客に聞かれないようにひっそりと行われている。
「一つくらい事件が起こると踏んでいたが……」
「なら対策してください。警備を増やすとか、あるでしょう」
「これでも普段より多い。それにな、アポロン。この国にはない銃器だったんだろ? なら警備員を増やしたところで死体が増えるだけだ──とは思わないか?」
「かもしれませんが……」
「犠牲は最小限に、だ。この国の王族は護られるものではなく、神具を振るい外敵を討ち滅ぼすもの、よく覚えておけ」
話しているのは主にアポロンとその父。先程は適当な男だと思っていたが、やはり国王だけあって真面目な話も出来るようだ。
「危なかったんですよ、アルテミスが人質にされかけて……私達の神具はどれも銃より遅いんです、父上と違って」
「それは悪かった。なかなか離してくれなくてな……」
「その話はいいです! 全く……父上、あなたの暗殺の噂もあるのですから、もっと用心深くいてください」
パンを食べながら会話を眺めているとぐらりと視界が揺れる。どうやらベルゼブブが僕の耳の上で方向転換をしたらしい。
「……ベルゼブブ? ちゃんと合わせてよ」
耳の上というのは若干の誤差はあるものの元の視界に近いいい位置なのだ。視界に黒い線が──ベルゼブブの前足が映る、何かを指差したいらしい。とりあえず元の体勢に戻ってもらい、ベルゼブブが指差していた物を探す。それは案外簡単に見つかった、アポロン達が居る机に置かれた大きなスープの器だ。
「…………あの、ヘルさん」
「ん? どったのヘル君」
「……このスープ、何ですか?」
「コーンスープだけど、飲む?」
ヘルメスはスープを小さな器に掬い、僕に手渡した。
確かに色も匂いもコーンスープに違いない。ベルゼブブはこれが飲みたいのだろうか。
「飲まないの? 何か変な匂いする? 普通に見えるけど……」
「ぁ……あの、えっと……誰にも言わないでくださいね」
ヘルメスになら言っても大丈夫だろう。アポロンだけはダメだと分かるが、彼なら──先輩なら、大丈夫だ。
「実は僕、今悪魔の視界を借りてるんです。この悪魔が……スープ気にしてるみたいで」
髪を持ち上げ、手で影を作ってヘルメスにだけ耳の上の小さな蝿を見せる。
「悪魔がこのスープに何か感じてるってこと?」
悪魔と人間の視界の違いなんて魔力が見える事だけだと思う。
しかし今の視界には魔力らしきものが伺えない。兄を見てもナイを見ても他の人間と異なる点はない。ベルゼブブが魔力を視ないようにしているのだろうか……そんな事が可能なのかは分からないが、だとしたらスープに感じているのは魔力ではないだろう。
そんな考えを端的にヘルメスに伝えた。
「魔力じゃない……ねぇ、その悪魔さんには何か特殊能力あるの?」
「え? いや、大食いくらい?」
耳元で羽音が響く。今の回答が気に入らなかったらしい。
「大食い……?」
ヘルメスが僕の回答に頭を悩ませているとカシャッと金属音が鳴る。アポロンの説教から解放された王がスープを皿に掬っていた。
「とぉ! 待って!」
「何だ? 誰だお前」
「待って、飲まないで。あと俺一応息子だよ」
「飲むな? 何故だ?」
「……確かめるから、待ってて」
確かめる? まさか毒入りだとでも思ったのか?
ベルゼブブが毒が入った食物を見破る能力を持っているとは思えない、ナイを喰らうほど見境が無いのにある訳がない。
僕が半信半疑の間にもヘルメスは新しいスプーンをゆっくりとスープに浸していた。
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