第405話 魔力支配

ラファエルに向かわせたカヤは彼の足元で光り輝く縄に縛られ、もがいている。

霊体だからといって無闇に天使に向かわせない方がいい。僕は次の戦いに活かすため、その事実を頭の隅に残した。


『く、来るな! ヘルは渡さない、絶対に渡さないから!』


『…………可哀想に。こんな、歪んだ生命……どうして、人間は……』


ラファエルは泣きそうな瞳でフェルを見つめ、頬を撫でた。


『トール! あの天使を吹っ飛ばせ!』


『分かった』


トールの槌がラファエルの脇腹を捉え、彼の身体は横に飛び家を突きぬけた。


『あー! 俺の家!』


『うるさい堕天使、誰のせいでこうなってると思ってんの』


『……俺ですねはい』


『トール、あの天使殺していいよ』


『分かった』


槌を肩に担ぎ、トールは追撃の為崩れた家に向かう。


『なぁ王様の兄ぃよ、なんであの神さん今まで動かなかったんだ?』


『僕が言わないと何もしないんだよね、彼。僕さっきまで頭なかったし、ヘルに魔力抑えられてびっくりしてたし、君問い詰めるので忙しかったし……』


『つまり兄ぃがボケてたからだな』


『うるさい! 悪いのは自発的に動かないあのバカだ!』


カヤが覚束無い足取りで僕の元に戻ってくる。

カヤは霊体、言わば魔力だけの存在。だから僕にも繋げることは出来たけれど、まだ慣れていない使い方だからか元通りにはならなかった。


「カヤ、後でちゃんと戻してあげる、今はいいよ、おいで……」


カヤは僕に擦り寄り、甘えた声を残して消える。


『お兄ちゃん、落ち着いた? そろそろ正気に戻った?』


「…………フェル」


僕と全く同じ顔は心配そうな目をしていた。僕は血塗れの手で彼の頬を撫でる。


「ここ、だったね。あの天使に触られたのは…………穢らわしい」


『お兄ちゃん、聞いて? 魔力支配をやめて欲しいんだ。そしたら狼さんの治療もできるから、ね?』


アルはもう死んでしまった、治療なんてしても意味は無い。それに、魔力支配という言葉の意味もよく分からない。やめろと言われてもどうしようもない。


『…………トール! 戻ってこい!』


『何だ?』


『うわ、早い怖いキモイ……じゃなくて、天使は殺せた?』


『いや、壊しても壊しても治ってしまってなかなか。俺はこっちでは一割も力を出せないからな……それもどんどん弱っていてな』


『君はヘルの力の影響下にない、そうだね? 少し頼みたいんだけど……』


フェルで埋められていた視界が開ける。と思えば今度はトールの顔に埋められた。


『これだな?』


『うん、潰して』


眼前に分厚い手袋をした指が迫る──思わず目を閉じたが、指は構わず瞼をこじ開け、目玉を摘んだ。ぱちゅんというどこか間抜けな音がして、暗闇が訪れる。僕の世界から光が消えた。目は開いているはずなのに、何も見えない。


『……うん、思った通り。よし、行くよ。他の天使がどんどん来るだろうし、離れた土地で結界を張って隠れよう。集まって!』


『引くわ……弟の目躊躇なく潰させるとか引くわぁ……』


『魔力戻ってすぐに痛覚消したし傷も塞いだ。何か問題ある? 君も潰させようか?』


『君の目、って言わないってことは俺は全身だな? 許してくださいまだ死にたくない』


一瞬の浮遊感があって、僕はどこかに座らされる。温かさに包まれて、目の辺りに感じていた痛みが消える。けれど視界は戻らないままで、それどころか目隠しのように布を巻かれた。


『治さねぇのか?』


『落ち着くまではね。フェル、見張ってて』


『りょーかーい』


隣に誰かが座り、左手を握られる。


『僕だよ、お兄ちゃん。怖がらないで』


「……フェル? 僕、どうなってるの? 何も見えないんだよ、なんで?」


『右眼は負荷による破裂。左眼はトールさんが潰した』


「潰した!? な、なんで……そんな」


トールに目を潰されたのは分かっていたが、はっきりと言われると動揺してしまう。フェルはそんな僕を優しく宥め、一つずつ順序だてて話してくれた。


『まずね、お兄ちゃんは『支配の魔眼』を持ってる。魔力支配がその眼の力、魔性も人間も天使も関係なく、とにかく魔力を支配する力だよ』


「……魔物使いじゃないの?」


『魔物使いだよ。魔力ってのは魔物が持ってるものだから。でも、人間も天使も扱うよね。少量だからお兄ちゃんには人間や天使の行動までは操れない。けれど、その魔力を吸い取ったり別のところに移したり、使わせなくすることは出来るんだ』


背と頭と頬を撫でられ、髪を優しく整えられる。

声からしてフェル以外は離れたところに居るはずなのに、手は少なくとも六本はありそうだ。


『さっきもそう。お兄ちゃんは無意識に僕やにいさまの魔力を使わせなくしたんだ。敵の方のもね。だから狼さんの治療も加勢も出来なかった』


「……アルは、死んじゃったんだよ。治療なんて……意味ないよ」


『はぁ……お兄ちゃん、魔法の勉強が必要みたいだね。まず治癒魔法は怪我をする前に戻してる訳だから、再生じゃない。蘇生魔法も同じ理論だけど、魂が無くなってたら身体だけが元に戻る。魂を呼び戻すには別の魔法が必要だし、天使と喧嘩になるからね』


「…………アルは、生き返るの?」


『まず、狼さんには魂が存在しない。賢者の石に書き込まれたデータが魂の代わりだから、普通と違って蘇生魔法の時間切れが無い。つまりいつでも治せるってこと。狼さんは生き返るよ、今やってる』


生き返る。アルはまた僕の傍に戻ってくる。

一気に全身の力が抜けて、おそらく十本以上あるであろう手に身体を預けた。


『魂が無いのは僕も同じ。僕のデータを持った細胞が一つでも残っていればいくらでも再生できる。何かあったら僕の髪の毛でもちぎって逃げてね』


「う、うん……」


『まぁお兄ちゃんがいればコピーはいくらでも取れるけど……こうやって話したりした記憶は僕だけのものだから、それは別のお兄ちゃんのコピー』


「…………それは、何となく分かるよ」


アルは二度造り直したものだ。記憶も不完全で、初めて会った時と同じ生き物とは呼べないのかもしれない。


『にいさまの場合は魂を石に封じ込めちゃってるから、その石が破壊されたらアウト』


「……アルと同じ?」


『ううん、魂縛石は元に戻しても魂は消滅してしまってただの石になってしまう。普通の人間と同じ、にいさまは一度死んだらもう二度と生き返らない』


「………………その石は、どこにあるの?」


賢者の石は体内にある。詳しい場所は分からないが、内臓の一部のようなものだ。

兄は右半身や上半身を消失しても元に戻った。頭や胸に無いことは確かだ。


『さぁ……どこかに隠してあると思う』


「身体の中じゃないの? 持ち歩いてもないの?」


『前までは持ち歩いてたみたいだけど、僕を作った頃にはもう持ってなかったみたい。いい隠し場所見つけたんじゃないかな、教えてくれないと思うけど』


「……そっか」


まぁ石の在り処を知る必要はない。誰かに壊されてしまわないかが気になるだけで、兄の魂を握りたい訳ではないのだ。


「…………ところでさ、ここどこ? アルはまだなの?」


『魔法の国だよ、お兄ちゃんが来たいって言ってたんでしょ? 狼さんはそこに……って、そっか、見えないんだったね。狼さーん、来てあげてー』


フェルに手首を掴まれ、腕を伸ばさせられる。手のひらに柔らかい毛が触れて指を動かすと、くぅんと甘えた声が聞こえた。


「……アル? アルなの?」


『…………あぁ、ヘル。私は此処だ。ヘル……』


「アル! アル、アルぅっ!」


『えっと……僕邪魔かな? 支えだけ置いてあっち行ってるね』


『……ああ、済まないな』


手探りでアルの頭を撫で回して、首に抱き着いて、背に手を滑らせた。感触は僕が覚えているアルそのものだ。


『済まない、ヘル。貴方の傍を離れないと誓ったのに、私は、また……』


辛そうな声だ。どうして顔を見れないのだろう。どんな顔をしているか分かれば、もっと気の利いた撫で方をしたり声をかけたり出来るのに。


「アル……アルの顔が見えないんだよ、見たいよ……」


『……事情は聞いた。大丈夫だよ、ヘル。私は常に貴方の傍に、貴方にこの身体を伝えよう。大丈夫……私は貴方の傍に居られるだけで、とても幸福だ。緩んだ顔をしているだけだよ、ヘル。いつも通りだ』


アルの声はいつも以上に優しい、聞いているだけで蕩けてしまいそうだ。ずっと今のように言葉を囁いてくれるのなら、目を潰されたのも悪くない。

こんなにも甘美な時間を過ごせるのなら、もう目が見えなくても────いや、ダメだ。僕の眼は僕の為にあるのではない、魔物使いとしての力を振るう為にあるのだ。使命を果たすまでこの眼は捨てられない。

使命を果たせば、全て果たしたなら、目も声も腕も足も要らない。触覚と聴覚さえあればいい。アルの温かさと優しい声があれば、他には何も要らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る