第402話 王妃希望

家の裏手、小高く積まれた薪の影にランシアの遺体が置かれていた。グロルはそれに縋りついて、小さな身体を震わせている。


「……グロルちゃん、ヘルだよ、ちょっといい?」


「ぁ……おーさま! おーさま、おかーさんおきないの、おかーさんに……だっこしてほしいの」


「無理だよ。こっちおいで」


「…………や! おかーさんといるの!」


いくら抱き締めていたって、言葉も愛情も体温すらも、何も返ってきやしないのに。


「……冷たいし、固いだろ。それ、もう君のお母さんじゃないんだ。魂が無いんだって」


魂が無ければどんな健康体でも動くことはなく、懸命な治療も意味を成さない。骨やら肉やらが人の形になっているだけ。


「聞きたいことがあるんだ、いいかな」


母親を失ったばかりで何も分かっていないのだろう。けれど、僕が今用があるのはグロルではない。


「……聞いたよ、アザゼル。今、話はできる?」


グロルの身体を使っていたらしい堕天使、アザゼルと話したい。グロルを慰めるのはその後だ。

グロルに危機が迫った時に出てきたというのなら、こちらから彼を呼び出すことも可能なはずだ。常に中にいるのか、何かあれば起きるのか、何処かで見張っているのか、そのあたりだろう。


「ぐろるね、おーさますき、でもね、いまはおはなししたくない!」


「……君と話す気はない」


僕は薪割り用の斧を持つ。ランシアが使っていたのだろう、力の弱い僕にも持てる軽い物だ。


「お願いだから出てきて。頭割るよ」


「……酷いな。それが子供にする顔か? なぁ、王様よ」


「君がアザゼル?」


「いや、グロルだ。アザゼルの身体は捨てた。天使に目をつけられていたからな」


グロルはランシアの上に座り、少し首を傾げて落ち着いた声で話す。その変わりようには面食らったが、それは態度に出さなかった。


「今までのは何? 演技? 別人格? それとも遠隔操作でもしてるのかな」


「その中なら……別人格が近いな。天使に見つからないように力を隠す必要があって、少し前まで自分を封印していたんだ。人間が前世の記憶が引き継げなくて生まれ変わるとほとんど別人なのと一緒だな」


「じゃ、今は思い出したって訳?」


「そ。身体の成長に伴って記憶と力が戻るように設定してある。大体……そうだな、第二次性徴期が終わる頃か。その時には人格が統合されるはずだ」


それがいつなのか僕は知らないが、成長は人間よりも早いようだし、人格の統合は近いだろう。僕にとって重要なのはその後だ。


「そうそう、王様? あまり虐めないでくれよ、あのガキの人格も俺だからな、統合される時に多少なりとも影響は出る。損するのは王様だ」


「……君は、味方になってくれる?」


堕天使は魔性が薄く、僕の力が通じにくい。悪魔にまで堕ちてしまえば問題無いのだが、中途半端は困る。味方にならないのなら彼女は危険因子だ。


「おいおいおいおい王様よ、そりゃないぜ。俺は王妃になるつもりだ、その質問は意地が悪い。虐めるなって言ったばかりだろ」


「王妃って……え? 何、僕の……?」


「およめさんになりたいなぁー? なんてな。でもな、幼い頃に危ないところを助けてくれた男に惚れるのは幼女として間違ってはいないはずだ」


「いや間違ってるよ。女の子を何だと思ってるのさ。いくら助けられたからってこんな気持ち悪い奴に惚れる子はいないよ」


「んー否定の方向性が自虐的、魔物使いの自覚ないな?」


そもそも「幼女」ではないだろう。見た目は既に少女一歩手前まで育っているし、中身も堕天使で性別や年齢は存在しないはずだ。


「……いや、何で? 何で僕?」


助けられた男というのなら兄やトールでもいい、むしろ彼らの方が「らしさ」がある。


「そりゃ王様だからな、玉の輿だよ。王様も好きだろ? 若くて可愛い女の子」


「僕は歳上の優しいお姉さんが好き……じゃなくて、前から言ってる王様ってなんなの?」


「熟女好きかよ……あぁ、王様ってのはそのまま。お前のこと。魔物の王様だろ? 魔王様がいいか?」


僕は確かに魔物を従える力を持っているが、王と呼ばれる程ではない。本当の王であるサタンやベルゼブブに聞かれたら何と言われるか分からない、やめて欲しい。


「それとも何だ、ご主人様がいいのか? この変態め。にゃんを語尾にしてやろうか」


「何言ってんのか分かりたくもない。フェルが泣くのも仕方ないね」


「何だよ、つれないな。つまんない奴」


「はぁ……まぁいいや、とにかく、味方になってくれるんだよね? 着いてくるの?」


「ここで一人で暮らせって? 三日で死ぬな」


「だろうね。普段からそのふざけた口きくのはやめてね、これ以上はにいさま耐えられないと思うから。それと、危ない時に子供のフリするのも禁止。いい?」


「ほーい。面倒臭い奴だな」


口は減らないが、そう反抗的な訳でもない。成長すれば強くなるのなら、戦力面でも期待できる。良い味方を手に入れたのかもしれない。

僕は彼女と手を取り合い、しっかりと握手を交わした。


「……王様? いつまで握ってんだ。欲情したか?」


「名前彫っていい? 君信用出来ないから」


名の盟約を交わせば魔物使いの力に関係なく僕が支配できる。


「はぁ!? 嫌に決まってるだろ! 子供に名前彫るとか正気かお前!」


「堕天使じゃん……」


「身体は本物の子供なんだよ! 俺引っ込んだらグロル泣き喚くぞ!?」


「分かったようるさいな、冗談だって」


「冗談に聞こえなかったから叫んだんだよ……」


グロルの手を引いて扉に向かう。ランシアを埋葬するのは全員でやろう、グロルも人間の人格であるべきだ。

扉を開くと丁度起きてきたらしいアルと目が合った。


『ヘル、今探しに行こうと思っていた所だ。危険なんだ、独りになるな』


僕の傍に駆け寄って頬を舐める。昨日危険な目に遭ったからだろうか、今日はいつも以上に過保護だ。


「ごめんね、よく寝てたから。それに一人じゃなかったよ、ほら、グロルちゃんも一緒」


「よっ、キマイラ」


グロルは右手を高く掲げ、アルに存在を主張する。


「……早くグロルちゃんに戻ってくれない? その喋り方すごい違和感あるんだけど」


「俺もグロルはグロルだぞ」


「ややこしいからこれから君のことアザゼルって呼ぶよ」


「……グロル、結構気に入ってるんだけどなぁー」


アルはグロル──改めアザゼルをじっと見つめた後匂いを嗅いで、僕を翼の中に隠した。


『助けに来る必要など無かったな。あの天使は間抜けだが敵対はしていなかった、あの娘もだ。今回ここに来て損しかしていないぞ、ヘル』


「何だよ、俺は助けてもらわないと死んでたぞ。流石に満月の時のオファニエルには勝てないって」


「……ねぇ、君堕天使なんだよね? だったら、天使の強さとか、上下関係とか、弱点とか、色々詳しいよね?」


僕はそっと薪割り用の斧をアザゼルの肩の上に置く。刃を首の方に向けて。


「教えて?」


「な、なんで王様俺にだけ怖いんだよ……俺は幼女だぞ? なぁ、俺幼女、分かる? よーぅーじょ」


「おーしーえーてー?」


アルはアザゼルの力がまだ弱いと分かったのか、僕を翼の中から解放した。少し寂しいが、これでアザゼルと話がしやすくなった。


『……ねぇ狼さん、ヘルってあんなだっけ?』


『うむ……外で何かあったのかもな』


フェルが先程までの僕の居場所に収まり、アルに身体を預ける。フェルでなければこの斧を投げていたところだが、フェルなら微笑ましい。


「教えるよ、教えるから。そんな事しなくても俺王様に従うって」


「……堕天使は信用出来ない」


「あのなぁ、天使じゃあるまいし堕天使なら操れるだろ? 何でそんなに警戒するんだ?」


「名前彫らせてくれたらマイナスの信用がゼロになるよ」


「プラスに行きたいな」


「なら悪魔まで堕ちて? 今すぐ。ほら、堕ちろ」


斧の側面でペちペちとアザゼルの頬を叩く。子供特有の下膨れの餅頬が揺れるのは面白い。


「俺何かした……? はぁ、仕方ないな」


「堕ちる気になった?」


アザゼルはかくんと首を落とし、またすぐに顔を上げて僕を見つめた。その真っ直ぐな視線に少し気圧されたが、突如として響いた金切り声に全ての感情が押し出される。


「やぁー! やぁ、やだぁ! おかーさん! おかぁさぁん!」


「グロルちゃん……? あっ、いや、これは違っ……あっ、待って! アル! 捕まえてきて!」


家を飛び出したグロルはすぐにアルに捕らえられ、僕の腕の中に閉じ込められる。僕に怯えて逃げたはずなのに、グロルは僕に抱かれて落ち着いた。

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