第391話 嘗ての神
昨晩は嫌な話をした。おかげで目覚めは最悪だ。
僕はまだ眠っているアルを置いて、まだ薄暗い窓には目もくれず、真っ暗な廊下を歩いて明るい部屋を目指した。
『あ、ヘル……お兄ちゃんおはよぉー。もう起きたの?』
既にフェルは起きており、台所に立っていた。僕の複製だというのに朝に強いとはどういう事だ。いや、睡眠が必要無いのだろうか。この間共に寝た時だって僕が眠るまで起きていたし、僕が起きた頃には朝食を作っていた。
「フェル……ねぇ、フェルは、僕のこと家族だと思ってるよね?」
『へ? うん……思ってるけど、何? 僕だけ? お兄ちゃん実は思ってない感じ?』
その捻くれた疑り深さは僕に遜色ない。流石は複製だ。
「……フェル、幸せ?」
『お兄ちゃんのおかげで幸せを感じにくい脳みそしてるからね。でも、幸せだよ。本物が来たら僕は消える予定だったのに、その本物に弟だって認めてもらったんだ。にいさまも最近優しいし、狼さんもふわふわしてる。僕が僕として生まれて以来、今が一番幸せだよ』
幸せだとだけ言えばいいのに、初めに嫌味を持ってくるあたり、流石は僕の複製だ。
僕はフェルが切っていたキャベツを一欠片口に放り込んで、彼が料理する様子をすぐ隣で眺めた。
『何? あんまり近寄っちゃ危ないよ?』
「君は、フェルは……僕の弟、だよね。本物の弟……」
『本物の定義によるよ。僕は複製だし』
フェルもアルと似たような事を言うのだろうか。僕は不安になりながらも冷静に続きを促した。
「定義って?」
『同じ腹から産まれた生き物だけが兄弟なのか、同じ種から作られた生き物だけが兄弟なのか、同じ時を過ごした生き物だけが兄弟なのか』
「僕の複製の割に難しいこと言うなぁ……」
『僕は、お兄ちゃんのこともにいさまのことも、兄弟だと思ってる』
「……定義は?」
『兄だって言ってきたから。そして、僕はそれが嬉しかったから』
先程の小難しい理屈は何だったのか、フェルはふにゃっとした笑顔でそう言った。僕はこんな表情を作った事があっただろうか。
『にいさまって呼べって、お兄ちゃんって呼んでって言われて、そう呼んで反応して貰えたら、僕はとっても嬉しくなるんだ』
「…………君は僕の弟で、いいんだよね」
『僕が許可を出す事じゃない、お兄ちゃんが勝手に決める事だよ。でも、ダメだって言われたら僕泣いちゃうよ』
僕は先程のフェルに倣って、ふやけた笑みを浮かべる努力をした。その顔を保ったまま、僕は自分だけの家族の定義を決めた。
「じゃあ、僕が家族になってって言って、いいよって言ってくれたら家族…………で、いいんだよね?」
『格好つかないね。僕が許可を出す事じゃないったら』
「…………にいさまも、フェルも、アルだって、家族だよね」
『僕に聞かないでよ』
昨晩の嫌な思い出が薄れていく。最悪だった目覚めが、フェルと話せたことで最高の早朝に変わっていく。
「フェル! ありがとう!」
感極まってフェルに抱き着き、すぐに引き剥がされて怒られる。
『危ないって言っただろ! 火使ってるし、包丁だってある。いい? あ、ぶ、な、い、だよ。危ないって言われたらゆっくり離れる! いいね!』
「お兄ちゃんに説教しないでよ……」
『弟に説教されるような行動しないでよ』
思考回路が同じはずなのに、口喧嘩はいつもフェルに軍配が上がる。魔法も使えるし身体も僕より丈夫、複製と言うよりは上位互換だ。
『ほら、卵焼けたから大人しくこれ食べてて』
「…………分かったよ」
『わぁ不満そう』
言われた通りに卵を食べていると、ハムやキャベツが追加される。それらを食べ終わった頃にパンを出されて、僕は不満を口に出す。
「なんでパン最後に出すんだよ」
『味付いてるからパンだけで食べれるよ。卵に牛乳それから砂糖、トールさんは美味しいって言ってたよ』
「…………薄い」
『……香辛料でも食べてれば』
「食べてたよ小さい頃は」
『あれは薬草。確かに香辛料としても使えるけど、本質は魔法薬の材料』
一度死んで生き返ったり、何度も治癒魔法を受けたりしているのに、僕の味覚は戻らない。幼い頃は人並みだったのに。
『……おはよ』
音も立てずに背後に忍び寄り、機嫌が悪い時よりも低く小さな声で挨拶を呟く。
「おはよう、にいさま」
『おはよーございまーす』
『…………あのバカと犬は?』
『狼さんは寝てる……? よね。トールさんは暇だから散歩して来るってさ』
トールの姿は見なかったが、僕が起きるよりも前に出かけたのだろうか。足元が見えるかどうかという暗さの中散歩に出かけるとは流石は神様だ、理解出来ない。
『…………牢獄だっけ、行くの?』
「食べ終わってアル起こしたら」
『ん……フェル、あのバカ呼んできて』
『がってーん』
フェルはエプロンを着たまま外に出ていく。皿やフライパンはひとりでに洗われている。僕には使えない魔法が僕の複製には使えるという事実は僕の心に影を落とす。
「にいさま、バカとか呼んでるけど結構トールさんに頼ってるよね」
『当たり前だろ? 敵を叩きのめすだけなら彼以上の適任はこの世に存在しない。あ、バカって言ったのは秘密にしてね、バレたらお兄ちゃん蒸発させられちゃう』
「じょ、蒸発……? 言わないけど……」
最後の一口を飲み込んで、寝室に戻る。アルは丁度今起きたらしく、ベッドの上で毛繕いをしていた。
「アル、おはよ。今から牢獄の国に戻るけど……」
『あぁ……分かった』
洗面器に張った水を飲み切り、ようやく目が覚めた様子のアルは僕を乗せて広間に戻った。
トールも既に戻っており、兄が魔法陣を描いて待っていた。
『早く入って。ほら、肉』
アルは兄が投げた肉の塊を咥え、魔法陣の中へ。僕は魔法陣からはみ出ていたアルの尾を引っ張って、兄に準備が出来たと伝える。
『……兄君、悪いが昨日と同じ場所ではなく、人の少ない場所に飛んでくれんか』
『そのつもり。空間転移を見慣れた凡人なんて居ないだろうし、騒がれたら鬱陶しいからね』
浮遊感と光の洪水。空間転移特有のこの感覚はあまり好きではない。
『着いた。さ、あの間抜けそうな子と合流するんだろ?』
兄は手のひらにコンパスに似た魔法陣を浮かべる。
「とりあえず……そうだね」
『よし、お兄ちゃんに着いておいで』
アルから降りて先導する兄に着いて行こうとする僕の腕に、アルの尾が絡む。
「どうしたの?」
『……私は、ここに……物陰に潜んでいよう。勿論貴方から目を離すつもりは無い』
「なんで? 一緒に行こうよ」
視線を合わせて微笑みかけたところで、昨晩の会話を思い出す。
「…………僕と居るのが嫌なの?」
『まさか! そうではなくてだな、この集落……魔獣に馴染みが無さそうだとは思わんか? 悪魔の子を殺せと天使に頼むくらいだ、牢獄の国はつい最近まで魔物に支配されていたしな。私が歩き回れば要らぬ騒ぎを起こすだろう?』
「アルは……ちゃんと、刻印してるし」
『……分かった、本当の事を言おう。私は貴方と出会う何百年も前にここに居た事があってな、あまり…………良い思い出が無いのだ』
アルの過去を僕は全く知らない、せいぜい生まれた場所くらいのものだ。それは不愉快だが、この場所を本当に嫌がっているようだし、今ここで無理に話させる必要は無いだろう。
「…………分かったよ。アルは隠れてて。でも、離れ過ぎないでよね。僕の傍に居てよ?」
『ああ、勿論。何かあれば直ぐに行こう。済まないな、ヘル』
僕の腕に巻いた尾を解き、アルの姿は岩陰の向こうに消えていった。
僕は未練がましくその先を見つめていたが、兄が不機嫌になってきたと焦ったフェルに手を引かれ、踵を返した。
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