第378話 歪な家族の団欒
兄とアルとの会話を聞いているうちに僕にも気になることが出来た。僕は暖炉の前で正座してじっと火を見つめるフェルを呼びつけた。
「……髪、触っていい?」
『ちぎるも抜くも掴んで膝に叩きつけるも、好きにしていいよ』
フェルは目を閉じて椅子の前に膝立ちになる。僕はフェルの前髪をかき上げ、右眼を見ようとした。
「目開けてよ」
『……流石に目潰しは』
「しないよ。右眼見たいだけ」
フェルはため息を吐いてから目を開けた。僕と同じ濁った黒の左眼と、虹色の右眼があった。鏡で見る僕の眼よりも彩度が低いというか、輝きが無いというか、そんな気がする。
『……魔眼だな。どうやったんだ?』
いつの間にかアルもフェルの眼を覗き込んでいた。
『大変だったよ。虹彩の色弄るのって難しいんだね。多色に分かれてるってだけならまだいいけど、ヘルの眼は光の加減で色が変わるタイプだからね』
『色だけか』
『よく見なよ、魔力無いだろ。虹彩の色でヘルの眼に似せてるだけで、魔力による輝きは無いから大して綺麗でもない』
見た目は同じだが、魔眼の力はないらしい。僕は自分の役目が奪われなかったことに胸を撫で下ろし、フェルの髪を整えた。
「…………ねぇ、にいさま。僕こんなに顔色悪くないよ」
『悪いよ』
「……こんなにクマ濃くないよ」
『濃いよ』
「……こんなに濁った目してない」
『ヘルの目には何の希望もないよ』
兄らしいと言えば兄らしい酷い言い方に、僕はアルに目配せして反論の援護を頼んだ。けれどアルは兄に同意するように頷いていた。
孤立無援となった僕が次の反論を考えていると、扉が開いて大荷物を抱えたトールが帰ってくる。
『戻ったぞ。何をすればいい』
『芋の甘辛煮作って』
『分かった。で、何だそれは』
『……一度で覚えてよ』
兄は僕を暖炉の前に下ろし、トールと共に台所に向かう。僕は安楽椅子に置いていかれた毛布を頭から被り、揺らめく炎に手を翳した。
『ねぇ、入れてくれない? 僕も寒い』
「……スライムのくせに」
『君が脂肪付けてないから僕が寒がる羽目になったんだ、責任取って毛布半分寄越してよ』
「勝手に使いなよ。その方が暖かそうだし…………冷たっ!? 出ていけ寒い!」
毛布の中に招き入れたフェルの手は想像以上に冷たい。僕はアルの翼を引っ張り、伸ばした足を包ませる。
『便利だねこの狼。毛皮に羽毛に鱗、一挙三得。鱗は暑い時に良さそう』
「……便利って言い方嫌い」
『だよね分かる。モノ扱いされてる気がするよね。にいさまよく言ってるよ』
「…………アル、もうちょっとこっち来てよ寒い」
兄が離れた途端饒舌になったフェルに嫌気がさし、僕はアルの頭を抱き締め会話からの離脱を狙う。
『ねぇ、僕もその狼で暖まりたい』
「嫌だよ。アルに触っていいのは僕だけ」
『僕も君だよ』
「君はフェルだろ」
『何? 僕に君とは違う人格を見い出してくれるの? それはそれで嬉しいけど今は不便だ、僕はヘルだからその狼で暖まりたい』
「仮に君も僕だとしても過去の僕だし、僕はアルの事を狼なんて呼ばない、アルって呼ぶ。君はアルを狼って呼ぶしフェルって名前だから僕じゃない」
僕達の中身の無いくだらない会話を止めさせるためか、アルは自ら動いてフェルの足に胴を乗せた。
『あったかーい』
「アル……」
『意地悪をするな、弟なんだろう?』
アルは意地の悪い笑みを浮かべ、トールとの会話を蒸し返す。
「それは説明が面倒くさかったから……そういうものだって言ったけど、違うよ……」
『可愛がってやれ』
『そうそう、可愛がってよ。毎日毎日殴られて可哀想な僕を可愛がって』
「うるさいな!」
『大声出さないでよ……怖いよ』
フェルは肩を抱き、僕から目を逸らす。それに演技らしさは感じられず、本心から怯えてしまったのだと察した。
僕の複製で、その上兄に虐げられていたのだから、大声が苦手で当然だ。
「……ごめん。ちょっと意地になってて……もう絶対怒鳴ったりしないよ、本当にごめん」
『…………うぅん、調子に乗り過ぎた、鬱陶しかったよね、怒らせちゃって……ごめん』
「いや、今のは僕が悪い。フェルは謝らなくていいよ」
『違う、今のは僕が悪い。ヘルは謝らなくていいよ』
どうして謝ってるのに否定してくるのか、理解出来ないし腹が立つ。僕は激情を「兄と同じになるぞ」という戒めで律しつつ、謝罪を通す為言葉を続けた。
「僕が感情的になってフェルがどう思うかも考えずに怒鳴ったんだから、僕が悪いに決まってるだろ? ごめんなさい」
『ヘルが感情的になった原因は僕が鬱陶しかったからなんだから、僕が悪いに決まってるだろ? ごめんなさい』
僕とフェルは睨み合い、互いに全く同じ声量とタイミングで大声を上げた。
「僕が悪いって言ってるだろ!」
『僕が悪いって言ってるだろ!』
丁度戻ってきた兄は僕達が頭から被った毛布を剥ぎ取り、肩に羽織って微笑んだ。
『仲良いねぇ』
『ああ、全く。主人が二人……天国のようだ』
『練習が終わったらフェルは処分するつもりだったけど、面白くて勿体ないからアル君にあげる』
『遠慮無く頂こう』
僕はフェルと睨み合いながらも、兄の言葉に心を乱されていた。処分するつもりだったと確かに言った。
「……ねぇ、フェル。もうやめよ。意味無いよ」
『僕も同じ事思ってた。寒いし大人しくしてよう』
フェルにもあの言葉は聞こえたはずなのに、フェルが気にした様子は無い。
まともに産まれた生き物ではないにしても、今は独立して一人の人間として振舞っている。なのに、処分だなんて言われて、本当に気にしていないはずはない。僕のくせに演技が上手いらしい。
「…………フェル、仲良くしようね」
『何いきなり。でも……うん、ありがとう、同情してくれて』
フェルはアルの腹を撫でながら寂しげな自嘲の笑みを浮かべた。
「……同情なんて」
『僕は君の複製だからさ、君が何を考えてものを言ってるかは結構分かるんだ。僕が生まれたその日からは別々の時間を過ごしていたけれど、人の思考パターンはそう変わるものじゃない』
「…………そうだね、同情だよ。でも、同情されるの好きでしょ?」
『ちょっとムカつくけどね、甘やかしてくれるならなんでもいいよ』
僕はフェルの前髪をかき上げ、僕が石で殴った痕を探した。けれどもそれらしい傷は見つからない。
「……怪我、無いね」
『君が殴ったやつ? そんなのもう無いよ、傷の治り早いんだ……っていうか、人間みたいな怪我はしないよ。僕スライムだからさ』
「そのアザは? あの時は血も出てたし……」
『人間で言う嘘泣きってとこかなぁ』
フェルは腕にあった痣を指でなぞる。するとその痣は消えて、元の青白い肌が戻ってきた。
よくよく思い返してみれば、先程部屋に帰ってきた時にあった顔の傷は次の瞬間には消えていた。
『こっちの方がにいさま好みだからね。頬腫れたとか目潰れたとか髪いっぱい抜けたとかはすぐ戻すけど、こういう傷は作っておくんだ』
「作るって……」
『いくら人間と同じつくりだって言っても、拳や石で殴られた程度で怪我しないよ』
フェルはかなり頑丈に出来ているようだ。そういえば、イロウエルに鉄球で殴られた時は血も出ていなかった。
なら、あの怯えも演技なのだろうか。だとしたらフェルに同情する必要は無い。
『エア、味見を頼む』
『ん。んー……悪いね、分かんない』
兄はトールに渡された食事を一口食べるとフェルに渡した。
『……貴様も味覚が鈍いのか?』
『人間以外で味を感じられない呪いがかかっててね、栄養吸収もダメ。ま、人間だった頃から五感ほぼ潰してたから未練は感じてないけど』
フェルは汁を僅かに飲み、僕に器を回す。
『有害物質は無い』
「……なんか、たまに機械的になるよね君」
『機械知らない田舎者が何か言ってる』
科学の国には何度か行っているし、ゲームの経験だってある。機械に対しての理解は全くないけれど、冷たい雰囲気は通じるものがある。
「…………味薄い」
『見せてみろ』
起き上がったアルに器の中身を見せ、嗅がせる。アルは眉間に皺を寄せ、目線を外してわざとらしいため息を吐いた。
『濃い。有害だろう』
『健康には悪いけど、すぐにどうにかなるって訳じゃない』
『それを有害だと言うんだ。ヘルが妙な病気に罹ったらどうしてくれる』
空の器をトールに返し、もう少し味を濃くするように頼む。だが、すぐにアルに覆される。
「濃くしてください」
『駄目だ、薄くしろ』
「アル食べないでしょ。アルのことは気にしないで濃くしてください」
『貴方の健康を思って言っているんだ! トール、薄味だぞ、薄味』
『病気になったらお兄ちゃんが治してあげる。神様、めいっぱい濃くして』
『分かった』
トールは台所に戻り、鍋に大量の調味料を追加する。今更ではあるが、神に料理をさせているのはとても無礼なことではないだろうか。それでなくとも兄は彼の事を便利な奴だとか宣っていた。
僕はそこはかとない心配を抱きつつ、アルを宥めつつ、料理の完成を机で待つ為に立ち上がった。
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