第325話 形見の小石
僕は病気を治せない。
兄なら病気を治せる。
けれど今兄はここに居ない。
今兄を呼ぶことも出来ない。
「どうしよう……どうしよう、嫌だ、死んじゃやだ、ヘルさん。まだダメ、すぐに思いつくから、まだ死なないで」
「あはは……気にしないで、もういいんだって。仕事は君がやってくれたし、にぃは俺を認めてくれたし、もう……いいんだ」
「にいさま、にいさまなら……出来るのに、僕には出来ない」
──出来ないの?
また、ライアーの声がどこからが聞こえてくる。僕の妄想? 僕の幻聴? 僕ももう壊れてしまっているのかな。
「…………あなたには出来るの?」
──ボクには出来るよ、キミの本当のお兄さんと同じこと……ううん、それ以上の事が。
「なら、やって……お願い」
──ボクは誰? キミの何?
「あなたは……僕の兄さん。優しい優しい、僕の兄さん」
──そう。お兄ちゃんなら、弟のお願いは叶えなきゃね。
僕はこの声を妄想だと思う事にした。人の死を目前にした僕の心の自己防衛なのだろうと漠然と思った。
けれどそれは間違いだった。
願いを叶えるとライアーの声が聞こえた瞬間、黒い霧が形を変えた。
霧の中から実体を持った鉤爪が現れ、その爪が空中に魔法陣を刻んだ。魔法陣はヘルメスに張り付き、消えた。霧と鉤爪も同じように消えていった。
「…………何だったの」
「ヘル君、ねぇヘル君」
「……あ、ヘルさん! すいませんぼーっとして……まだ死なないで……あれ?」
「なんか治ったんだけど」
「肌……綺麗ですよ? え? さっきまで爛れて……え?」
「な、何? どこも痛くないし思いっきり息吸える! 何これ何これ! やばっ……え!? 嘘、治っちゃった!?」
ヘルメスは体に取り付けられていた医療器具を引き剥がし、ベッドの上で立ち上がる。
「やっばい! めっちゃ健康! 嘘……前より調子いいかも!」
「…………兄さん?」
あの声は幻聴ではなかったのか?
あの霧はライアーと関係があるのか?
「ヘールー君っ! ヘル君ヘル君! やったやったぁ! 治ったよ! 俺まだ十八だもんね、まだまだやりたい事あったんだよー! 死ななくてよかったー!」
もういいと言っていたのはどこのどいつだ。
「君が治してくれたんだね!」
「……え?」
「ほら、その石……魔石か何かだろ? 違うの? 聞いた事あるよ俺、希少鉱石の国には人を癒す力を持つ魔石もあるって」
「魔石……なんですか?」
「いや分かんないけど、違うの?」
改めて石を観察する。
ほぼ球体、ではあるが確実に多面体だ。
ところどころに赤い線が入っているから辛うじて宝石にも見えるが、漆黒だけなら道端の小石と変わらない。
「…………っ!?」
「ヘル君? どしたの?」
「ぁ、い、いえ、今何か……見えた気がして」
一瞬だった。
ただの一瞬だけ、不気味なものが見えた。
この世のものとは思えない何処かの景色。それはヘルヘイムにも似ていて、全く違うようにも思えた。
「……ふぅん? まぁとにかくは……にぃ達をどうにかしないと、だね」
「あ……そう、ですね。人呼んできます」
とりあえず石は気にしないようにした方が良さそうだ。
僕は石を服の中に入れ、人を呼びに部屋を出た。
他の医者を呼んで、ちょっとした騒ぎになって、僕も色々と検査を受けた。
外に出たのは正午過ぎで、待ちくたびれたアルにどれだけ心配したかねちっこく説明される事になった。
それから一週間後、僕は王城の庭にいた。
白い大きな机、その上に並べられたカラフルなお菓子、上品な香りを立たせる紅茶。
ヘルメスとアポロンの退院祝いを名目にお茶会を開いたのだ。
「じゃあ僭越ながら第二王子ヘルメス・ハイリッヒ、音頭をとらせていっただっきまぁーす!」
「途中でふざけんじゃない! 真面目にやんなさいよ!」
「まぁま、飲んで飲んで!」
「庶民の酒盛りじゃないのよこれは! 王族のお茶会なの!」
ヘルメスは再び養子として王家に引き取られた。そんなに何度も出たり入ったりして王の信用は大丈夫なのか、なんて自分でもよく分からない心配が湧いてきた。
「王族のお茶の味はどうかなオオカミちゃぁーん!」
『私の前に出されているのは水のように見えるな、味も水のようだ。これが王族の茶とやらか?』
「……犬ってお茶よくないじゃん?」
『貴様……人語を解し酒を飲む私をただの犬と同じ扱いをしているのか?』
「あ、お茶菓子これチョコ入ってるじゃん。犬用クッキー、犬用クッキー持ってきてじいやー!」
「うちに爺やはいないのよ! アンタさっきから何ボケてんの!?」
「楽しくって……あははっ!」
元気になってよかった、そう思考を停止して構わないだろう。
アルにはちゃんと紅茶が出され、チョコ入りの茶菓子も振る舞われた。
オルトロス? オルトロスは……水と犬用クッキーだ。上級魔獣ではあるが合成魔獣ではないから、との理由で。本人に不満は見られない、問題はないだろう。
「へいへいへーい! ヘル君飲んでるぅー!? ダメだよ飲まなきゃ。それとも何かな、綺麗なおねーさんが隣に居なきゃ飲む気になれないって?」
「だからなんでアンタはそう下品なのよ! もう……し、仕方ないからアタシが隣に座ってあげる。今回は馬鹿兄弟が色々と面倒かけちゃったし……」
「…………ねぇは綺麗なおねーさんじゃないよ?」
「はぁ!? なんでよ!」
なんで、と返すのもどうかと思うが……アルテミスはかなりの美人だ。少々荒々しい性格をしているが、それもまた魅力だと言う人は多いだろう。
「自分の胸に手を当てて考えてみなよ、どっちが背中か胸か分かんないよ?」
「…………アルテミスの弓よ、我が手に……」
「ごめんごめん、悪かったって。だから弓構えないで俺今度こそ死んじゃう」
そういえばヘルメスは女の魅力はバストサイズだとか言っていたな。確かにアルテミスの胸囲は平均を大きく下回っている、見た目で分かる。
「……何よ、何見てんのよ! アンタもアタシが貧乳だって言いたいわけ!?」
「い、いえ、珍しくて……あっ。ちが、その……アルテミスさんは髪がとっても綺麗ですよね」
「でしょ! 毎日超手間かけてるんだから!」
あぁ、危なかった。珍しいとか言ってしまった。
だが仕方ない。『黒』やマルコシアスがかなりのものを持っているから……もっとも彼女らは身体の形を自由に変えられるのだろうけど。
「……っていうかアポロンさんはずっとぬいぐるみ抱えて何してるんですか?」
「…………メズだ」
「はぁ」
アポロンが抱えているのは馬の頭を屈強な男の体と縫いつけたようなぬいぐるみだ。
似たような物を娯楽の国で見たような……ぷりてぃで、まっするな……何かを説明されたような。いや、あれは封印すべき記憶だ。忘れよう。
僕は頭を振って、何故か大人しいアポロンと話を続けた。
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