第324話 自己中心的

ヘルメスはアポロンに驚いたのか、薄くしか開かなかった目を大きく見開いた。


「……ヘルメス、まだ聞こえるか? 悪かったな、話も聞かずに…………そういえば、お前とまともに話したことはなかったな。俺はいつだってお前がやったことの理由も聞かずに責め立てて……」


僕には彼が本気で後悔しているように見えた。

やはり、根はいい人なのだろう。けれど今更何を言ったって遅い。

ヘルメスをこんなふうにしたのはお前だ。全て自業自得だ、お前が悪いんだ。なんて言ってやりたかった。


「父に確認を取った。確かにお前に仕事を任せたそうだ。それを先に聞いていれば、お前が城に忍び込むような真似をしなければ、俺だって……あの弓を使ったりしなかった」


弓の力は即死、もしくは疫病、だったかな。ヘルメスに少し聞いただけで詳しくは分からないが、どちらも時間が違うだけで命を奪うことに他ならない。

神降の国の土台は神具なのだから、その神具を盗む輩は国家反逆罪とも言える。そう考えれば仕方のない行為、なんて納得できるほど、僕はできた人間じゃない。


「兄失格だな、俺は……」


「……弟じゃないんじゃなかったの」


「まだ話せるのか……! あぁ、いや……あの時は、その」


「まぁいいよ、最期に認めてくれたんなら俺もう悔いない、安心して死ねる」


「…………どうして、お前はそう……」


ヘルメスはゆっくりと首を回し、瞳を動かし、何かを探した。


「仕事も果たせたしね。兜は僕の後輩のヘル君が持ってる。まだ居るかな?」


探しているのは僕だったらしい。僕は再びベッドの横に戻った。


「居るみたいだね」


「……兜は一体どうして……あぁいや兜なんて今はどうでもいいんだヘルメス、今はお前だ」


「なんなのさ……にぃはいつも国とねぇのことばっかだったじゃん」


「血の繋がった弟なんだ、心配して当然だろう。何か言いたいことはないか? したいことは? お兄ちゃんが何でも叶えてやるから何でも言ってみろ」


よくもまあそこまで手のひらを返せるものだ、尊敬する。

血の繋がりも曖昧で、暴言の言い訳も出来ないで、それでも反省していると伝えられるなんて、出来た人間だ。

僕もそのくらい説得力のある物言いが出来れば、兄がもう少し自分の非を認められる人間だったなら、僕達も仲直り出来たのかもしれない。


「……本当に何でもいいの?」


「ああ、早く言え」


「…………にぃと、ねぇと、ずっと……お城で暮らしてたかった」


ヘルメスの願いを聞いて、アポロンは静止する。

自分がしでかした罪の重さを思い知ったか、なんて言ってやりたいな。それは流石に責めすぎか、それに僕にそんな事を言う権利はない。


「……ヘルさん」


「あぁヘル君、どこ……?」


「ここです」


爛れた皮膚、赤黒い手。

僕はそんなヘルメスの手を握って、彼に居場所を伝える。

もしここに僕の兄がいればこの病気も治せただろうに。活性化させる魔術と違って時間を戻す魔法なら病気はなかったことに出来るのに。


「にいさまなら……治せたのに」


僕には何も出来ない。


「にいさまなら、出来るのに」


──ボクには出来ないの?


「…………誰?」


頭の中に声が響く、優しい優しい、兄の声だ。

実の兄ではない、嘘の……理想の兄だ。


「ヘル君……? それ、何?」


頭の中に響いた声に気を取られていて、目の前で起こっていた異常に気が付かなかった。

僕のネックレス……ライアーの形見の石から黒い霧が吹き出していたのだ。


「え……な、なに、何これ」


絹を裂くような悲鳴が悲鳴が部屋中に響く。

病院の職員達が黒い霧を指差し、叫んでいた。その顔は恐怖に満ちている。

僕もその霧を恐ろしく思っている、けれど恐怖に完全に落ちてしまった職員達を見て冷静になれた。

それにこれはライアーがくれた石なのだ、不吉な事なんて起こるはずがない。少し見た目が怖いだけだ。

恐怖を押し隠した僕が顔を上げると、ちょうど霧を払おうとアポロンが振るった椅子が目の前に見えた。


「……っ! ぅ……」


ガラガラと音を立てて椅子と兜が床に転がる。

椅子は兜をはね上げ、僕を少しよろめかせた。僕自身に大したダメージはなかった。


「にぃ……待って、やめて、それ……ヘル君」


「バカを言うな! こんな邪悪なものがこの世に存在していい訳がない! 大丈夫だ、お兄ちゃんに任せろ。こんな奴すぐに倒して……お前と城に帰るんだ。アルテミスと、俺と、お前と……ずっと城で暮らすんだ」


アポロンは転がった椅子を拾い、僕に……いや、霧に向かって振り上げる。

彼の表情は恐怖と狂気に支配されていた。

彼は今、この霧がヘルメスの病の元だと思い込んでいる。どうしてそんな思考回路をしているのかは理解し難いが、霧への恐怖と弟を死に至らしめる事への後悔が混ざって彼はおかしくなってしまったのだろう。


「僕がいつまでも黙って殴られてると思うなぁっ!」


狂気に落ちたアポロンは判断能力を完全に失っており、椅子を頭の上まで振り上げた隙は僕にも狙えた。

彼の腹に抱きつくように体当たりを仕掛けて、押し倒して馬乗りになる。


「…………こっからどうしよう」


乗ったところで僕には大の男を殴って気絶させるような力はない。それどころか押さえつけておく体重もなかった。

アポロンは僕の腕を掴み、簡単に引き倒した。


「たっ、助けて……にいさま…………いや、兄さん!」


黒い霧に眼が浮かぶ、燃え上がるような三つの眼が。

その眼は僕を見て……それからアポロンを見つめた。


「ぇ……あ、ぁ、うあぁぁあああっ! ぁあぁあっ、あ、ぁ…………」


アポロンは奇声を上げ、その場に倒れ込む。

まるで胎児のように体を丸めて何かに怯えた。


「……何がどうなって…………あ、ヘルさん! ヘルさん、大丈夫ですか?」


「なんとか生きてるけど……」


「よかった、すぐにちゃんとしたお医者さん呼んできますからね。こんな急に倒れちゃう人じゃなくて、ちゃんとした人連れてきますから!」


「……待って、それ出したままじゃみんなこうなるよ」


「それって……」


それと言うのは霧の事だろう、だが僕は霧を操ることは出来ない。そもそもこの霧が何かもまだよく分からない。

ヘルメスは目を閉じたまま僕のいる方へ手を伸ばす。


「やばそうだったから目閉じてたんだけど……正解だったみたいだね、気配だけでやばい……なんなのそれ。悪魔とかじゃなさそうだけど、絶対やばい」


やばいやばいと言われても何がどうやばいのか全く分からない。僕は他者の気持ちを汲み取ることは出来ない。


「…………まぁ、いいや。もうすぐ死ぬんだし……にぃも倒れちゃったのかな? なら君はここに居てよ、死ぬ時に一人じゃちょっと寂しい」


「死ぬなんて言わないでくださいよ! なんとかします、どうにかして、治してみせますから!」


何をどうするんだ?

僕は万能な兄とは違う、僕は無能なんだ。

出来もしないのにやってみせるだなんて、救いようのない馬鹿だ。

僕は本当に……大切な人の死に目でも、自分を卑下してばかりだ。自分の事しか考えられない。

あぁ、本当に、僕は……最低な人間だ。

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