第311話 傷つけたのは誰?
注文した料理とドリンク類が届き、アルはテーブルの下に引っ込んだ。骨付き肉を貪る音だけが聞こえてくる。
「……あの、こんな大きな魔獣が使い魔ってことは、お客様はお強いんですか? も、もしかして高名な魔術師様だったり……神具が使えたり」
「僕自身は全く。多分君にだって勝てないよ」
「またまた、きっとすごい魔術を使えるんでしょう?」
「……いえ、僕は本当に無能ですから」
「…………ご、ごめんなさい」
ああまずい、彼女の仕事は客を褒める事だ。あまり自分を卑下しては彼女に迷惑をかける。
「で、でも僕は! えっと……そ、そうだ! コイントス、コイントスが上手いんですよ。見ててください、連続で裏を出してみせますから!」
「へ? あ、是非見たいです!」
ヘルメスに貰ったコインを投げる。
空中で掴み取ってミナミに見せる。当然裏だ。
もう一度投げて、掴んで、見せる。裏だ。
また投げて、掴んで、見せる。ミナミの表情が変わってきた。
十連続で裏を出すとミナミはパチパチと手を叩いた。
「すごいですぅ! ヘルさん!」
「あ、ありがとうございます……」
このコインは両面裏だ。なんてネタばらしをミナミの純粋な笑顔を見て出来るわけがない。少し心が痛んだ。
「……あれ? 僕名前言いましたっけ?」
「メルクさんが呼んでましたから」
「ああ……そうでしたね」
僕は僕の名を呼ぶ相手を警戒するようになっていた。名乗ったかどうかは必ず気にするようにしている。
だが今日はヘルメスが僕の名を大声で何度も呼んでいた、そこまで警戒しなくてもいいだろう。どうせ一晩だけの会話相手なのだから。
「あ、ジュース注ぎますね……きゃっ!?」
ミナミは大きな酒瓶を倒し、自分の腕と僕の足を濡らした。
「あ、ぁ……ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
「だ、大丈夫ですよ……ちょっと冷たいだけですし」
小走りでタオルを持ってきた男の従業員にも大丈夫だと伝える。自分を気にせず僕のズボンを拭いているミナミ、僕はその腕に釘付けになった。
ミナミは肘のあたりまである長い手袋をしている、濡れて透けたそれは彼女の肌を僕に見せている。何本もの切り傷がある彼女の腕を。
「本っ当にごめんなさいぃ……クリーニング代は私が出します、今日のお代も全部私が……っ!」
「大丈夫ですって、自分で洗いますしヘル……メルクさんが払いますから」
ヘルメスは騒ぎに気付いた様子もない、酒を煽って楽しそうに話している。それで失恋した心の傷が癒えるのなら部外者がとやかく言う資格はないけれど。少し腹が立つ。
「ちょっともー何してんの新人」
「あ、せ、先輩。お疲れ様です」
「お疲れ様です、じゃない。もうアンタ下がりなさい」
「え? で、でも」
先輩と呼ばれた女がミナミの手を引く。僕は咄嗟にもう片方の手を掴んだ。
「ま、待ってください!」
「……え、嘘。気に入られてんの? ミナミが? 嘘でしょ?」
「ヘルさん……? 本当に? ぁ……あ、ありがとうございますぅ!」
「へ? いや、何か勘違いして」
ミナミは先輩の手を振り払い僕の隣に戻る。前よりも距離を詰めて、僕の左手を両手で握った。
……気に入った、というか本当に反射の行動で。理由なんてないし付けるとしたら新人のミナミがおそらく一番話しやすいからなのだが。彼女達は何か勘違いしたらしく、先輩らしい女は不機嫌そうに違う席へ移った。
「えへへ、ヘルさん……」
「あの、ミナミさん? 僕は……その、別に」
「高いお酒こぼしちゃって嫌われたと思ったんですけど……えへへ、気に入ってくださったんですね。嬉しいです! 大好きですヘルさん!」
「だ、大好きって……」
営業トーク、とは思えない。ミナミは新人だし、何よりこういった仕事なら個人に感情を向けたような言葉は厳禁だろう。好きになりそう、ならまだしも。
『なんだヘル。また誑したのか』
「人を詐欺師みたいに言わないでよ!」
「ま、また? ヘルさん、女の子にモテるんですか?」
『それはそれはもう……凄いぞ?』
「モテたことないよね!? 変なこと言わないでよアル!」
そうだ、モテた経験なんて一度もない。多分。魔物には好かれるとは思うが、それ以外で僕を好くのなんて異常者だけだ。
「彼女……とかは」
「いませんよ!」
「そ、そうですか…………よかった」
「へ? 何か言いました?」
「いえ、何も。それにしてもモテないなんて驚きです」
モテない理由なんていくらでも思いつく。
いや、たった一言で説明出来るな。僕だからだ。こんな暗くて気持ち悪くて鬱陶しい奴、好きになるような奴はそうそういない。
「……それより、その、ミナミさん。その腕の傷は……」
話を変えようとした僕は最悪の方向へ目一杯舵を切った。
「えっ!? あ……透けて……嘘。ち、違うんです、これは」
「誰にやられたんですか?」
「…………え?」
「まだ痛いんですか? ちゃんとは見えてないんですけど、結構酷い傷ですよね」
この店での新人イジメ、という線は薄い。ミナミは今日が初めてだと言っていた。研修期間なんてそう長くはないだろうし。
「いつやられたんですか?」
「……な、何年も前から、ずっと……時々」
「…………酷い。誰ですか? 僕がやめさせます。普通の人間ならアルが脅せばすぐにやめますよ」
「そ、そんな……大丈夫です。なんともないですから」
どうしても気になる。ミナミが僕に重なって見える。誰かに虐げられているようなら僕がそいつに教育してやらないと。
「……痛くされるの、嬉しいんですか?」
「え……?」
「傷つけられたら、愛されてるって思っちゃいますか?」
「な、何を……この傷は、そんなんじゃ……」
「…………本当に愛してくれる人は大切に守ってくれますよ」
僕にとってのアルのように。その身を犠牲にしてこそ愛は証明できる、僕はそう考えている。
「殴るのは君の為だなんて言う奴、君が怒らせるからだなんて言う奴、君は出来損ないだって言い聞かせるような奴……そんな奴の愛なんて、息苦しいだけで何の価値もありません」
ミナミは何も言わずに僕を見つめている。図星を指されたからなのか、僕の見当違いの話に混乱しているからなのか、どちらかは分からない。
「…………でも、欲しいんですよね。そんな価値のないものでも。苦しくっても痛くっても、欲しいんですよね。そんなの欲しがる自分が、一番最低だって思っちゃって、もうどうにもならなくなって……」
消えてしまいたい、なんて思ったり。それは言わないようにした。当たっていても外れていても聞かれたくなかった。
僕の醜い思考を全て晒す事なんて出来なかった。
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