第295話 混乱
アルはツヅラを隠すという僕の狙いを理解してくれたようで、呆れたようにため息をつきながらも翼を広げたまま保ってくれている。
『宿取れましたよ、早速行きます? それとももう少し見て回ります?』
「お風呂入りたいし、行こうかな」
「あ、悪魔の子やん、元気?」
『…………葛・竜一?』
ツヅラはアルの翼を押しのけ、ベルゼブブの前に歩み出る。
せっかく上手く隠せていたのに、なんて心の叫びは例えツヅラに聞こえたとしても意味は通じないだろう。
「よう覚えてくれてんなぁ、嬉しいわぁ」
『いえ、それほどでも。ところで貴方……今日は随分と訛っていらっしゃいますね』
「あー……前アンタらと会った時はちょっと気ぃつけとったからなぁ」
『そうですか、別に気にする必要はありませんよ』
「……あの国で方言キツイのはもう妖怪ばっかやからね、変なとっからバレとうないんよ」
にこやかに対応するベルゼブブに安心する。零に説得されて考えを変えてくれたのかもしれない、そこまでの警戒は必要なかったのだ。
『少しお聞きしたいことがございます、貴方は何を信じていますか?』
「変な質問やね」
『なら聞き方を変えましょう、貴方にとって主とは何ですか?』
朗らかにベルゼブブと話していたはずのツヅラは突然表情を消し、抑揚のない声で答えた。
「……我等が主は尊き御方」
『どこにいますか?』
「…………海の底」
『よく分かりました』
ベルゼブブはツヅラに、僕達に背を向ける。少し歩いて振り返り「こちらですよ」と手を差し出す。
僕を宿に案内するつもりなのだろう、暴力沙汰にならなかったのはありがたいが、不安はまだつきまとっている。
「あの、ベルゼブブ? ツヅラさんは……いいの?」
『出来ることなら片付けておきたい案件ですが、ヘルシャフト様は嫌がるでしょう? 貴方様の目の前ではやめておこうと思いましてね』
「僕の見てないところならやるみたいな言い方やめてよ」
言い方、ではなく実際そうなのだろう。ツヅラとは大して親しくもない、今後一切会わなくても僕は何の疑問も抱かない。
ベルゼブブに手を引かれて歩きながら、ふと振り返ると、ぼうっと空を見上げるツヅラの姿が目に入る。
やはり先程までの快活さはなく、見た目通りの暗い雰囲気を醸し出している。
「我が主よ、星辰は未だ揃わず。我等は偽りの理想郷に閉じ篭り、主の帰還を待ち望む。あぁ我が主よ、究極にして至高の恐怖を、無知なる人々に」
呟かれた文言はハッキリとは聞き取れない、だが異質だとは分かった。
彼が零のように創造主を信仰する者ではない、それも分かった。
「……あのさ、ベルゼブブって何でツヅラさんを殺したいんだっけ」
『別の存在を信仰しておきながら神父という立場にある。これ、かなりまずいんですよ? 創造主の信仰者をまるごとこっちに持ってくることも可能かもしれないんです。私、深き者をこれ以上増やしたくないんですよ』
「…………やめてよ? ツヅラさんは神父様の親友だって言ってたし、前に協力してくれたんだから」
『えぇ、まだ時間はありますから。貴方様が死んだ後でも問題ありませんしね』
半ば不老不死の悪魔なのだから仕方ないとは思うが、当然のように僕が死んだ後の話をしないでほしい。その時が今すぐではなく数十年先の事として話しているとしても、だ。
『……着きましたね、ここですよ』
「結構大きいね、お金大丈夫なの?」
『私、帝王ですよ? お金の心配なんて要りません』
「帝王って言っても悪魔のでしょ?」
『……先輩、風呂の間にヘルシャフト様に私達の常識叩き込んでおいてください』
『申し訳ございません。私は人に造られた存在ですので、そちらには明るくありません』
ベルゼブブは僕に部屋の鍵を渡し、また外に出ていく。ツヅラに危害を加えたら絶交だ──なんて無意味な脅しをかけておいた。
『風呂か、楽しみだな。相当広いと見た』
「アルって本当にお風呂好きだよね」
『……そうか?』
「そうだよ、娯楽の国でも、温泉の国でも、お風呂ばっかり入ってた」
『温泉……? あ、あぁ、そうだったかな』
僕はそれから黙った。部屋に入って、荷物を置いて、風呂に向かった。
考えないようにしていたのに、たどたどしいアルの話し方がどうしても気になった。
広い脱衣場で、シャツのボタンを外す手が止まる。
『……ヘル? どうかしたのか?』
「ねぇ、アル、もしかして……だけどさ、生き返る前の記憶、無いの?」
最悪の想像。アルが僕の元に戻って来た時からずっと頭のどこかにあった、馬鹿げた妄想。
『何を言っている、全て知っているさ。貴方を見つけて、色んな国を旅した』
「…………娯楽の国で、僕はどんなバイトしてた?」
『カジノの警備員』
当然、正解。妄想は妄想に過ぎない。
だが、念の為にもう一問。
「じゃあ、さ。アルは……アルは、牢獄の国で、死んじゃう前、僕が魔物使いじゃなかったらどうだって言った?」
もう一度言ってほしい言葉を選んで、しつこく尋ねた。
覚えているはずだ、絶対に覚えていなくてはならない言葉のはずだ。
なのにアルは戸惑ったように俯き、耳を垂らした。
「…………覚えて、ないの?」
『い、いや、覚えている、覚えているとも!』
「じゃあ早く言ってよ」
『…………あ、貴方が、魔物使いでなかったら……私達が出会うこともなかった。だから、貴方がどんなに自分の力を疎ましく思おうとも、私は貴方の──』
「違う!」
アルの言葉を遮った僕の大声は、脱衣場に反響してぐわんぐわんと漂った。
僕は今どんな顔をしているのだろうか、自分では分からない。アルは怯えている、どうして? 僕はアルに酷いことなんてしないのに。
「違う違う違う違う違う! 全っ然違う!」
『ヘル、済まない、その……私のコアである石は欠けていて、修復はされたが貴方との思い出は……』
「黙れ! 言い訳なんか聞きたくない!」
『…………貴方との思い出は、知識としてはあるんだ。どこに行って何をした、とは分かるんだ。だが、その時に私が何を感じていたか、貴方がどんな表情をしていたか、そんな詳細は……分からなくて』
「うるさい……うるさいうるさいうるさい! 黙れよ、もういい、黙れぇ!」
『ヘル……』
アルは耳を垂らして、体を縮こまらせて、自分の体を自分の翼で包み込む。悲しそうに悔しそうに、じっと俯いて床を睨んでいた。
「………………アル? 何してるの? 早くお風呂入ろ?」
『え? へ、ヘル? どうしたんだ、急に……』
「急にって何さ、僕達はお風呂に入るためにここにいるんだよ? アルだって楽しみにしてたじゃないか」
僕は服をさっさと脱いで、磨りガラスの引き戸を開いて浴場に足を踏み入れた。
呆然と僕を見つめるアルに手招きをして、それから浴場を眺めた。
「露天風呂みたいだね、壁に海の絵描いてるよ」
『…………ヘル、その、私は……』
「温泉の国を思い出すなぁ、ほら、魔物用の温泉あったろ? あそこでアル、うさぎに殴られて……狼のくせに、それからうさぎ怖がってたよねぇ」
『……ヘル、私が憎く思えるのなら責めてくれて構わない。だから、ヘル』
「何言ってるのさ、僕はアルのこと大好きだよ?」
そうだ、独りになった僕に寄り添ってくれたのは、僕を孤独から救ってくれたのは、いつだってアルだった。
そんなアルを憎むなんて、責めるなんて、出来るわけがない。
『ヘル……! どうしたんだ、本当に……』
「僕はアルに酷いことなんてしないよ? にいさまじゃないんだからさ、アルを虐めたりしないよ。アルのこと、大好きだから」
『…………ヘル』
「どうしたのさ、さっきから変だよ?」
シャワーの水圧を緩めに調整して、アルの翼を濡らす。アルはこうやって背を流されるのが好きだったはずだ。
キョトンと僕を見つめるアルを撫でて、それからぎゅっと抱き締めた。
大好きだって、態度でも示す為に。
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