第266話 恐怖を司る天使

手首と首に青黒い痣が残っている、美しい翅持つ少女達は自らの美が穢されたことを悲しんだ。


「……国王、少し話があるわ」


人質に取られていた少女がウェナトリアの袖を引く。

美しい黒と瑠璃の翅、黒檀のような長い髪。蒼い瞳。素晴らしく美しい彼女は傲慢に見えた。


「えぇと、君は確か……族長だったね」


「ええ、シュメッターリング族族長。照魔しょうま・瑠璃よ」


「話、というのは?」


「……どうしてシュメッターリング族の集落にまで賊が上がり込んだのかしら? ホルニッセ族もアーマイゼ族も、もう軍隊ごっこは飽きたのかしら」


「それは分からない。だがもう対策は打ったし、侵略者はこれから掃討する」


瑠璃は触角を上下に揺らし、僕達を一人一人、睨むような目付きで見回した。


「蛾に蝿、人間に魔獣……強そうなお仲間ですこと。一応言っておくわ、助けてくれてありがとう」


『感じの悪い子ですね』


「……お礼は言ったでしょう?」


瑠璃の言動を見て確信する、僕達を見下していると。

それが何なのか僕には分からないが、彼女は自分が一番だと心の底から信じている。


「ねぇ、御白様のお嬢さん。あなた族長に引き取られたのよね?」


「……ええ」


「原因不明の事故で、ご両親を亡くされなそうで……」


「何が言いたいの」


「あら、気分を害したならごめんなさい。少し伝言を頼みたいのよ、そちらの族長に……今は影美えみちゃんだったかしら」


「お姉ちゃんに?」


「お願いできる?」


僕に向けられたものではないが、瑠璃の値踏みするような目は不快だった。


「何を言えばいいの?」


「……「あなたのことを教えたわ、ごめんなさい」で、いいわよ。意味が同じなら少し変わっても構わないわ」


姫子は小さく頷き、伝言を二度復唱した。

ウェナトリアはその言葉を聞いて瑠璃に詰め寄る。


「誰に教えた!」


「近寄らないで、その目嫌いよ」


「答えろ、誰に教えたんだ! 何を教えたんだ!」


「そんなに怒らないで、怖かったのよ。だって、影美ちゃんは醜いナハトファルターの中で一番人間からの人気が高いでしょう?」


ウェナトリアは姫子とツァールロスを抱き、広場を抜けて森の奥へ走っていく。


「ま、待って……ダメだ。アル、乗せて、走って!」


僕はアルに跨って、ウェナトリアが走り去った方角を指差した。

アルなら追いつけるはずだ、ここではぐれる訳にはいかない。



折れた枝を踏み、漂う木霊の群れを突っ切り、ウェナトリアを追う。

辿り着いたのは見覚えのある集落、前に来た時に一番初めに見た場所だった。


「……ここ、ナハトファルターの? ウェナトリアさん、どうしたんですか?」


「瑠璃は侵略者にここを教えたんだ! ここに……いるはずだ、敵が!」


人の気配はない、侵略者どころかナハトファルター族も一人も見当たらない。

遅かったか、そう考えたその時、背後でパキと音がした。

腐って地に落ちた枝を踏んだらしいその女は僕達に温和な笑みを向けた。


『…………はじめまして』


あっさりと木の影から出たこと、そしてその表情から僕の警戒は解けていた。


「あ、は、はじめまして……?」


戸惑いだけが残っている。

挨拶を返した直後、ベルゼブブに目を塞がれる。


『少しは考えてくださいよ、ヘルシャフト様。アレが天使です』


「手離してよ、見えない」


『ダメです』


「どうして……」


『迂闊でした。ここに来ていた天使がイロウエルだったなんて……絶対に目を合わせてはいけませんよ』


「どういう意味?」


『イロウエルは恐怖を司る天使……心の底に眠る恐怖を引き出し、心を壊す、趣味の悪い奴ですよ』


目を合わせることが発動条件、ということか。

天使ではあるが、魔眼のようなものと認識してよさそうだ。


『この状況、かなり不利ですよ。国王も先輩も、怖がって動けない。私も本調子は……』


「ベルゼブブもなの? そんな、悪魔の中で一番強いんでしょ? 怖いことなんて何もないよ」


励ましも込めてそう言った。

すると、前方から女の笑い声が聞こえてくる。


『アンタはやりやすかったよ、アンタが怖いのはあのバケモノだ。過去に潰された経験、力を根こそぎ奪われた経験。経験からくる恐怖ほど操りやすいものはない』


『……黙れ』


『もっと、怖いのが欲しいんだね?』


僕の目を押さえていた手が消える。

振り返って目を開けば、蹲るベルゼブブがいた。


「ベルゼブブ! 大丈夫だよ、君は強いんだから! ね、ほら……大丈夫! ね、大丈夫だって!」


『あ、ぁ……ああ、そうだっ、アイツは、殺した。この手で、殺した』


「そうなの? ほら、大丈夫じゃないか。ね、君は強いんだ。誰も怖がる必要なんてないよ」


ベルゼブブは僕の手を振り払い、両手で顔を覆う。

恐怖に震える肩は触れるのも戸惑われるほどに小さく、弱々しい。


『アンタのことは聞いてるよ、ヘルシャフト』


「ひっ……!」


「アンタにはまだ使ってないよ、そんなに怯えるなって」


頭を下げ、間近に迫ったイロウエルの靴だけを見る。

覗き込まれないように手で目の周りを覆った。


「…………なんで」


『どうしたの?』


「なんで、知ってるんだよ、僕のこと!」


『なんでって、分からないの? ミカエルは全ての天使にお触れを出したんだよ、少し前に撤回されたけど……ベルゼブブを刺激すると厄介だからって、ミカエルの過大評価みたいだけど』


蹲るベルゼブブの頭を踏み、嘲笑う。

その足はベルゼブブが顔を上げたと同時に消えた。


『……何だ、克服してたの?』


足を食いちぎられたというのに、イロウエルはニタニタと笑っている。


『殺してやる……殺してやる、何度でも、何匹でも、全部、殺して、喰い尽くして』


『振り切れただけか……あぁ、惨め。はは、ぎゃははっ、ひゃっはははは!』


ベルゼブブの姿が、歪む。

どこか獣を思わせる蝿へと姿を変え、イロウエルの体を食む。

僕は勝利を確信したが、直後に見たイロウエルの嘲りの表情が僕の安心を萎ませた。

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