第245話 天使と悪魔の酒盛り

棒立ちを続けるゼルクに腕を掴まれたままの青年が部屋に入る。


「何突っ立ってんの……わ、いっぱいいる」


「…………先輩!」


翡翠のような瞳、美しいグラデーションになった蒼い髪。僕が覚えているままの姿で先輩は現れた。違うのは服装だけか、店の制服らしいそれは僕が働いていたカジノのものではない。


「え? あ、あー……えっと、ヘル君?」


『マジ? 魔物使い? うわー、久しぶり……だっけ? 覚えてねーわ』


「いい加減離せよ! 仕事中だったのに無理矢理連れてきて!」


『別にいいじゃん、暇だろ?』


「先輩! こっち座ってください、せんぱーい!」


「ほら、呼ばれてるだろ……離せよ! 待ってねヘル君、今行くから」


先輩はゼルクの肩を蹴りつけ、引き剥がし、僕の隣に座る。

マンモンはゼルクに酒を渡し、ベルゼブブはいつの間にか冷蔵庫に向かっていた。


『人ンちの冷蔵庫勝手に漁んなってんだろ便所蝿!』


『うるはいでふ』


『喰ってんじゃねぇ! 吐け! 今すぐ出せ!』


ベルゼブブの胸倉を掴んで振り回すマンモン、止めた方がいいのか、微笑ましいと認識するべきなのか。


『……あいつ誰?』


『ベルゼブブ様だ』


『マジかよ……やっべぇ、最強クラスじゃん』


ゼルクは机の下のアルに話しかけ、答えを聞いて顔を青くする。


「君いい加減堕ちるんじゃない?」


悪魔と仲良く昼間から酒盛りなんて、とても天使のやることとは思えない……っと、そうだ。

神具について話しておかなければ。


「先輩、その……弓なんですけど、今はお姉さんが持ってます」


「あ、そうなの? ふぅん……取り返しに来た? キツい人だからね、怖かったんじゃない?」


「僕そんなに怖がりじゃないですよ。ところで……その、先輩も神具使いなんですか?」


先輩の顔から表情が消え、突然温度を失った瞳が僕を映す。

聞いてはいけない事だったのか、謝ろうとすると、先輩は自嘲の笑みを浮かべた。


「…………ま、そうだよ。神具使いだ。正式とは言いにくいけどね」


「正式じゃないって……その、聞いても?」


「いいよ、話したいし、酒の肴には少し暗いかもだけど」


先輩は果実酒を手に取り、グラスに注いだ。


「神具使いには条件があってね。まず才能だろ? 次に人格、そして血統。才能はまぁ分かるよね? 神力を体内に留められるかどうかだ。それで人格……一言で言えば正義の味方みたいなのが理想」


「正義の味方……ですか」


「そう。助けられるのに困っている人を助けない、魔物の手引きをする、必要外で人に危害を加える。これを行うと神具所持権を剥奪される」


「……あ、先輩、僕のこと助けてくれましたよね、大怪我までして……」


「決まりだからやったってわけじゃないけどね。それで……血統、これは神降の国の王族、ハイリッヒ家の血を引いているかどうかだ」


ハイリッヒ……確か、弓の神具を操る女の名は、アルテミス・ハイリッヒだった。

王族だったとは驚きだ、あんなに口が悪い王族がいるなんて。


「俺の本名は、ヘルメス・ビズバルドだ」


「……え? でも、神具……」


「そう、扱える。不思議なことにね」


「分家、とか?」


「違うと思うよ。親の顔も自分の名前も知らないし……路地裏育ちだから」


どう言っていいか分からない。

何を言えば正解なのか、何を言えば間違いなのか、分からない。

だから僕は黙ることにした。


「俺が使える神具はコレ、ヘルメスの羽根飾り。身体能力補助系の神具だ。ハイリッヒ家では余ってたらしい。十二個あるからね、いくら王族っても才能がある奴十二人集めるのは大変なんだろう。

それで……確か、そう、所有者のいない神具を紛失しないように、使用人が郊外の金庫に隠しに行った時。盗んだんだ。

神具だって知ってたわけじゃなくて、金目のものだと思っだけ、アクセサリーとして売ればそれなりになるんじゃないかってな」


青いブーツに取り付けられた羽根飾りは、一切の汚れがなく美しい。

確かに、アクセサリーとしての価値は高そうに見える。


「んで、逃げる途中に気がついた。妙に体が軽い、足が早くなった、周りが遅くなった……魔道具か何かだろうと思って、盗みに便利そうだったから売り払うのはやめた。その後、ハイリッヒ家の使いが俺の隠れ家までやってきた、盗み仲間に金でも掴ませたんだろうな。で、言われたんだよ、養子になれって」


「養子……ってことは、王族になったんですか?」


「すぐに追い出された上に苗字も変えさせられたけどね。親無しが名前なんかあるわけない。ビズバルドは正式に登録された偽名なんだよ、でも結構気に入ってる」


「追い出された理由って……まさか、ぬいぐるみ?」


娯楽の国を出る前、喫茶店で聞いた話。

ぬいぐるみを盗んで兄に嫌われて追い出された、そのぬいぐるみは可愛くなかった。


「よく覚えてるね、正解だよ。それだけじゃなくて、それがきっかけってだけ。他にも色々盗んだり悪戯したり嘘吐いたりしてたから」


「どうしてそんなことしたんですか?」


「さぁ? ただ、やりたかったんじゃないかな。本能みたいなものだよ」


「……本能、ですか」


「君にはない? どうしてもしたいこと、しなくちゃ気が済まないこと、やり始めると止まらなくなること」


魔物使いの力を使っている時の奇妙な快感、アレがそうなのだろうか。

僕の為なら命すらも喜んで捧げる、その様を見ている時の、操っている時の、軽蔑するべき喜び。

あんなものが僕の本能だったとしたら、きっと僕の夢は叶えられない。


「……ってか俺仕事中だったんだよ、もう帰るね。暇なら店寄ってってよ」


「あ……はい、さよなら」


小さく手を振って見送る、ゼルクが何やら悪態をついてはいたが、先輩はそれを無視して去っていった。


『帰りやがった、ったく付き合いワリーの』


「……元気でしたか?」


『まぁまぁ。あ、そういやちょっと前に地下送りにされたぜ。ま、俺にかかりゃ十年以上前の工期も秒で終わるってもんよ』


「へぇー……」


『お前、信用してねぇな? いや、興味ねぇのか?』


「どっちもです」


『自分から聞いておいて……ま、秒で終わるは嘘だぜ、三日でバックれたし』


空の酒瓶を作っていくゼルクに、アルは軽蔑の目を向けている。


『貴様は一体何時になったら堕ちるんだ?』


『堕ちねぇっての! 俺は超優秀な天使だからな!』


「仕事勝手にやめて、悪魔と仲良くして、昼間から酒飲んでるのに?」


『堕ちねぇんだよな、これが』


「……忘れ物届けた人間を襲うのに?」


『根に持ってんなぁ、めんどくせぇ奴』


ゼルクに聞こえるように、わざとらしくため息を大きくして、隣に戻ってきたベルゼブブに話しかける。


「ねぇ、意志ありそうだよ」


『……そういうことではありませんよ。確かに、この天使は欲望に忠実なようですが、神には絶対服従でしょう?』


『たりめーだろ、天使だぞ』


『悪魔と酒を飲んでいても、神に背いたわけではありませんから』


「……書物の国は、少し神様を批判する本を書いただけで襲われたのに?」


『そうなんですか? じゃあアレですね、身内には甘いっていう』


『ちげーよ、天使と人間じゃ基準がちげーんだよ。それに、こうやって仲良くして、情報収集ってのもあるしな』


『……へぇ、なら早めに潰しておかなければ』


『冗談だって、怒んなよ』


天使と悪魔、本来交わるはずのないモノ同士が仲良く酒を酌み交わしている。

その光景は僕が望んでいたはずのもので、素晴らしいはずのものだ。

だからこの場にいられる事自体が、何にも勝る幸運のはずだ。


その奇妙な飲み会は夜を過ぎ、朝方まで続いた。

ラビがゼルクを迎えに来るまで、僕が眠っても続いていたらしい。

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